優美で洗練された輝きに、世界中の人々を魅了し続けるバカラ。その名前を聞くだけで、豊かな伝統と気品が思い浮かぶ。260年以上もの時を超えて、多くの王侯貴族やセレブリティーをもとりこにしてきたバカラのクリスタルは、単なるガラス製品を超え、もはやアートの域に達している。10月21日に東京・広尾のフランス大使公邸にて行われた「YOMIURI EXECUTIVE SALON(YES)2024」のメインイベントとして、バカラの日本における歴史を作ってきたバカラ パシフィック取締役会長の小川博氏が「歓びのかたち バカラ」をテーマに歴史とその美の魅力について語った。
人生をより楽しく、豊かに、美しくするもの
バカラ パシフィックは1983年に設立され、当時日本のシェアは13位だったが、1998年以降、日本は世界市場のシェア1位となった。現在、世界売り上げの3分の1以上が日本国内の日本人の購入によるものとなっている。
「当時、バカラがまだ日本で知られていない中、ブランドのアイデンティティーを、フランスが誇る、文化的、芸術的、精神的に大切な財産と定義しました。バカラは、人生をより楽しく、豊かに、美しくするもの。単なるクリスタルの塊、オブジェではなく、人生のあらゆる大切なひと時に、お側に置いていただく“歓(よろこ)びのかたち”であるということから始めました」
バカラの語源は、パリから東へ約400kmのロレーヌ地方にある人口約4,000人の「バカラ村」から来ている。ロレーヌ地方の経済再建のために、バカラ村には、燃料としての豊かな森林、産業用水としてのムルテ川、そして労働力となる多くの失業者が存在していた。
バカラ村 ©バカラ
東ヨーロッパへと外貨が流出してしまうことを防ぐために、このバカラ村にガラス工場を作ることから始まった。1764年の創業以来、今もなおすべて「メイド・イン・バカラ村」を守り続け、パリ万国博覧会で金賞、大賞を受賞するなど数々の受賞歴がある。
顧客リストには、世界中のVIP、セレブリティーが名を連ねる。仏ルイ・フィリップ1世、ロシア皇帝ニコライ2世、インドのマハラジャなど。“王者たちのクリスタル”と言われるゆえんだ。
多くに愛されるバカラを作ってきたのは、バカラの基礎を築いたゴダール・デ・マレ氏の理念を、最良の素材、最高の技術をもって受け継ぐ職人たち。誇りをもって伝統を守り続けてきた職人にはM.O.F(Meilleurs Ouvriers de France=フランス国家最優秀職人章)の受章者も多くいる。
「YOMIURI EXECUTIVE SALON 2024」で講演する小川氏
photo: Tomoko Hagimoto
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日本との関わり
バカラと日本との関わりの歴史は、1901年(明治34)に時計を取り扱っていた大店の主人・安田源三郎が欧州土産として、親戚筋にあたる春海商店3代目春海藤次郎にバカラのクリスタルを贈ったことに始まる。美しい欧州土産に感銘を受けた目利きであった大阪の茶道具商の春海商店店主・春海藤次郎が、バカラへの注文を始め、その後カタログ商品だけでは飽き足らず、茶道具の特別注文を行なった。当時の茶の湯の世界を通じ、上質な日本文化に参入した。徐々に人気が高まり“春海好み”と呼ばれるようになる。まさに、日本とフランスの文化芸術の結晶体であり、茶懐石料理でのバカラが確立した。現在も多くの名店にて使用されている。
当時の“春海好み”を復刻した品 ©バカラ