本人と家族――告知はどちらが先行しても問題が
一方で患者さんから「先生、私は癌ですか?」と聞かれることがあります。当時から私には「真実を知りたいと言う患者さんには、伝えるべきである」という思いがあったので、真実をお伝えしていました。また、告知を受けた方のなかには「家族には言わないでくれ」という場合があります。そうした申し出をする患者さんは「家族に心配かけたくないから…(言わないでほしい)」という思いでいるのです。
患者本人の意思を尊重することは大切です。ですが、もしご家族に告知しないまま癌が進行してご逝去されたときに、ご家族から「何で言ってくれなかったんですか? 訴えますよ」と言われてしまうような事態に発展する可能性があるわけです。本人と家族、告知はどちらが先行しても問題があるという苦しい状態にありました。
そのため、私はあるときを境に、病名がわかった段階で本人と家族を同じ部屋に呼んで、同時に告知を行うことにしました。
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「残された人生をどう過ごしたいか」という問いの誕生
こうした方法が広まったことで、患者さんのなかで「自分は手術や抗がん剤で戦っても、余命いくばくもない。ならば、病院にいることもないだろう」と考える人が増えたのです。
こうした流れは死生観の変化を促しました。人生の残された時間、リミットを知ることで「(残りの人生を)どう過ごしたいか」という問いが生まれたためです。ある人は「住み慣れた我が家で過ごしたい」と思い、ある人は「病院で過ごしたい」と考える、といった選択肢をもつことができます。
昨今の死生観には「患者本人に病名や病状、死期についてそのままお話しするという」という告知方法が、大きな影響を及ぼしていることは間違いないと考えています。こうして生まれた死生観の変化が現在、在宅医療が求められてきている背景にあるのです。
野末 睦
医師、医療法人 あい友会 理事長