This Month Theme「カフェと音楽」のセンスに惹かれる。

「カフェと音楽」に当てた、いくつもの光。

 フランス映画には、「カフェと音楽」の効果を美しく取り扱った作品が多いように思う。カフェで過ごすこと、音楽を聴くこと、日常を繰り返すうえで、ありふれていながら、とても大切な行為。知っていたはずのことを、何度となく映画によって気づかされた経験がある。最後のヌーヴェルバーグとも称される監督、ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』もそのひとつ。

 5月革命後のパリの空気を背景に、無為な日々を送る青年アレクサンドルと、母性的な年上の恋人マリー、性に対して奔放なヴェロニカ、彼と彼女たちの奇妙な三角関係を綴った3時間40分の長編作。三人の心の機微にふれながら、男女のどうしようもなさや、どこにも行けないもがきを、時には音楽に語らせながら静かに映し出していく。

 物語の前半は、繰り返し多くの場面でカフェが舞台となる。今なお愛され続ける「フロール」や「ドゥ・マゴ」といった、パリの歴史的なカフェがしばしば登場する。撮影当時でも創業から100年近く経過しているカフェは、その長い時に磨かれた味わいに思わずため息が出る。アレクサンドルが10回も訪れるカフェのシーンでは、それぞれごとに清新なカットが用意され、澄み切った映像から監督の見つめるカフェへの親しみと憧憬を感じ取ることができる。

 まるで現実のカフェの時間の中に作品を溶け込ませるかのように、撮影は実際の営業時間に一角を占めて行われていると思われる。周囲のざわめき、ギャルソンの足音、よく耳を澄ませば何度も聞こえてくる「Au revoir!/さようなら」の声、厨房からガチャガチャと鳴り響く皿やカップの重なる音など、カフェの一番の魅力といってもいい「音」までも拾い集め、登場人物たちの長い長いお喋りに「伴奏」をつけている。また何より嬉しいのは、何気ないギャルソンとのやり取りや、飲み物を注文するところまで細かく散りばめられている演出だ。その時々で、コーヒーやワインにペルノー、ウイスキーにコーラを混ぜたものなどがテーブルに配され、ごく自然に作品を彩っていく。モノクロームでも伝わるカフェに注ぐ柔らかな光は、時おりハッとさせられる美しさを放ち、長くこじれていく話の隙間に、そっと清々しい空気を送りこんでいるかのように思える。

 しかしながら後半に進むと、カフェのシーンはぴたりと止んでしまう。物語は濃密になり、スキャンダラスな出来事が繰り広げられる。映画はどんどん三人を追い詰め、息の詰まるような三角関係がズルズルと終焉へと向かっていく。そんな重苦しい空気のなか、流れる音楽もまた、救いと情動を煽る役目を果たしているように感じる。登場人物たちが自らレコードに針を落とし曲に聴き入るシーンは、この映画をはじめて観た20年以上も前から、今も変わらず記憶に収められている。朝になろうとする時間に、ひとときの安らぎという感じでアレクサンドルが破顔して歌うフレエルの「La chanson des fortifs」とか、ラスト近く、マリーが膝をかかえて泣きながら聴くエディット・ピアフの「Les amants de Paris」とか。痛ましくも美しいシーンがずっと頭から離れない。

 この映画はいわゆる「良い話」ではないし、男女の色々も決して綺麗なものとは言えない。だけど、登場人物たちのために、観ている僕たちのために、救いの手段として、ジャン・ユスターシュが「カフェと音楽」に当て続けた光は今でも眩しい。

アレクサンドルが借金してまでヴェロニカとレストランで食事するシーンや、アレクサンドルがマリーに「夕食の前に何かつまみたいな」と言って床の上でワインを飲みはじめるシーンとか、とかとかとか……。カフェの場面以外でも、印象的なシーンがきっとたくさん見つかります。

Title
『ママと娼婦』
Director
ジャン・ユスターシュ
Screenwriter
ジャン・ユスターシュ
Year
1973年
Running Time
220分

illustration : Yu Nagaba movie select & text:Yuki Matsuura edit:Seika Yajima

「éperon」店主 松浦優喜

祇園のフレンチレストランで8年間、ソムリエとして勤めたのちに、独立。2023年にワインバー「éperon」をオープン。落ち着いたダークブラウンの木材で統一されたシックな喫茶店のような空間で、ナチュラルワインや小皿料理を楽しめる。造り手やワイン造りの背景についても優しく教えてくれる。