「あの人だって結婚してるのに、私は…」他人の薬指の指輪を見て落ち込む、28歳女の憂鬱

◆これまでのあらすじ

メガバンクで総合職として働く氷室唯(28)は、「結婚する」と信じていた男性に振られ婚活迷子になっていた。そんなとき、結婚式の2次会帰りに後輩の一ノ瀬東也(24)と一夜を過ごしてしまう。彼から「素がかわいい」と言われ、ありのままの自分も悪くないと自信を回復するが…。

▶前回:毒吐き用のSNSアカウントが、彼の親にバレた!慶應幼稚舎出身、27歳女の裏の顔とは

完:ワセジョの憂鬱/氷室 唯(28歳)の場合



東京の空は寒く、何もかもが、きわめて不快だった。

「それでは、松本課長の新天地でのご健勝を祈って!かんぱーい!」

私たち銀行の法人第二課メンバーは、目黒駅近くのイタリアンでささやかな送別会をしている。

隣に座る藤堂カンナが、高そうな結婚指輪をちらつかせながら小さな声で尋ねる。

「ところで、氷室さんの婚活は、最近順調なんですかぁ?」

「絶好調ですけど」

「その割には声、暗くないですかぁ?」

彼女の質問には答えず、私は黙ってビールを飲み干した。

最近は、服装や見た目など、自分が変えられるところは、変えている。

それに、一ノ瀬と一夜を過ごした夜から自分らしく生きてみようと思ったが、自分の素を見せられる状況なんてめったにないし、そんな相手に出会えることも日常では稀だった。

職場では、相変わらず鎧をまとって生きているし、プライベートの婚活では、デートに行く回数は増えたけど、心のどこかで一ノ瀬とのことが引っかかっていて、なかなか前に進めないでいる。

その一ノ瀬東也は、目の前に座って同僚たちと話している。

彼は、今日もかっこいいし、のりのきいたシャツの上からでも、肉体が完璧であることがわかる。

私が一ノ瀬を見ていることに気づいたのか、藤堂がニヤリと笑った。

「氷室さんと一ノ瀬さんは、姉御肌のバリキャリと、癒やし系の子分って感じで、お似合いですよ。最近氷室さん、仕事も順調だしね」

― 子分って…。

たしかに仕事は絶好調だった。日吉の大規模マンションのPJ案件で大口案件を決めたのだ。

悶々としていると、藤堂は早々に席を立った。

「私、夫が家で待ってるんで、帰りますね」

嬉しそうに帰っていく新婚の藤堂を見送ると、その場にいる女性は私だけになった。

残りのメンバーは、「ま、氷室さんならいっか」というかのように、「この間の合コンで誰がよかったか」「一晩だけ過ごすなら誰か」という話をし始めた。



― まったく。いつまでたっても、高校生のノリが抜けないんだから…。

みんないい大学を出て、いい企業に入って、未来が約束されている。私だって努力してここまで来た。給与だって、立場だって男性と対等だ。

それは名誉なことだけど、女としても見てもらいたいというのは、矛盾しているのだろうか。

「で、一ノ瀬はどうなんだ?」

一ノ瀬、という言葉に私の意識は、急に彼らの会話へ向く。

「僕ですか?うーん。紗季ちゃんですかねー」

― なぁんだ。そういうことか…。

あの夜は、一ノ瀬にとってはなかったことになっているのだろう。

21時前。

週の真ん中ということもあり、早めに解散となる。二次会に流れるメンバーもいたが、私は帰ることにした。

目黒線に乗り込むと、運良く座れた。

― それにしても、一ノ瀬にとって私はなんなんだろう。

職場で毎日顔を合わすが、動揺しているのは私だけのように、彼はいつもクールだ。

― 私だけが忘れられないのかな。

都心の目まぐるしい日常の中で、彼はあの夜のことなんて、ちっとも思い出さないに違いない。

モヤモヤしてまっすぐ帰る気になれなかった私は、家がある大岡山を通り越して自分が携わった日吉の物件を見に行くことにした。

本部の好事例にもなった案件で、満室稼働していて融資の返済も順調だ。

結局、私は仕事を頑張って忙しくすることで、孤独という問題に向き合わずに生きてきた。だから、寂しさを埋める方法を仕事以外に知らない。

色々考えていたら、急に肩に重さを感じる。

横に座るおじさんが、こっくりとこっくりと船を漕ぎ、その頭は私の肩の上に乗ってきたのだ。

― このおじさん薬指に指輪してる。それなのに、私は…。

最近は、他人の結婚指輪をチェックして、勝手に落ち込むことが多い。

ぼーっとしていると、左腕をぐっと引っ張られて。私は左隣のちょうど空いた席に移動させられた。

そして私が座っていた席には、どしっと男性が座る。寝ていたおじさんは、気まずそうに頭を直す。

隣に座った男性の顔を見て驚く。

「え、一ノ瀬?なんで、二次会に行かなかったの?」



「行きませんでした。それにしても氷室さんらしくないですよ。おじさんにヘッドロックかましそうなのに…」

「ちょっと考え事してて…」

まさか、おじさんの薬指を凝視していたとは言えない。

「考え事?そういう慣れないことするからですよ」

私は作り笑いをして相づちを打つ。

「それで、どうして大岡山で降りなかったんですか?」

「この前手がけた日吉のマンションを見に行こうと思ってね」

「あー。満室稼働して、また次の案件も決まったやつですよね!」

そのあと、彼が発した言葉は、意外なものだった。

「僕も一緒に行っていいですか?」

「いいけど、なんで?…あ。今、一ノ瀬もPJ案件やってるもんね」

彼の言葉に胸が高鳴るが、すぐに自制する。

― うきうきしちゃだめだ。これはただマンションを見に行きたいだけだ…。

日吉駅で降りて、マンションまでふたりで歩く。私はふと、電車の中で浮かんだ疑問を口にした。

「どうしてさっきおじさんの間に入ってくれたの?」

「あーそれは。…好きな人が困っていたら助けるのは当たり前じゃないですか」

「えっ?」

私は足を止める。

「さっき、合コンで会った紗季ちゃんがいいとか言ってたじゃん」

「氷室さん、お酒飲んでいても記憶力いいんですね…」

「さ、行きましょう」

突然、彼に手を引かれる。

つながれた手、ふたりで歩く夜道、街のあかり。すべてが私の手に負えなくなってきている。

「氷室さんは、頭で考え過ぎなんですよ」

どこかで言われたことのあるセリフだ。

「自分で考えて『これはいける』とか『いけない』とか。ビジネスなら正しいかもしれませんよ。でも恋愛ではそれをやっちゃダメです。恋愛はふたりでするものですよ」

「ど、どうしてあんたがそんなこと言うわけ」

「ずっと氷室さんのこと見てて、思ったからです」

マンションに到着する。そこにはオレンジの明かりが点々と灯っていた。全部、私が融資部と戦って、取引先と交渉して、作られたマンションだ。

眺めていると、一ノ瀬がつぶやいた。

「サッカーで有名な言葉で『走った距離は裏切らない』って言葉がありますよ」

「そっか。この仕事、がんばってきて良かったな…」

「このマンションで暮らしている人に幸せを提供できたからですか?」

「それもそうだけど、一ノ瀬と出会えたから…かな」

私の手を握る彼の手にぎゅっと力がこもる。

「唯さん、明日仕事が終わったあと、なにか予定ありますか?」

「今度TOEICを受けるから、その勉強をするつもりだったけど…」

「それ、暇っていうんですよ」

私が笑うと、彼も笑った。

「ちゃんとした告白は明日します。ここじゃ何ですし。僕、意外とロマンチストなんで」

つながれた手をもう一度見ながら思う。

私の“かわいい一面”を見せられる唯一の男性を大切にしたい…。



Fin.

▶前編:早稲田出身、メガバンク勤務の28歳女の婚活が難航するワケ「彼氏はできても結婚できない…」

▶前回:毒吐き用のSNSアカウントが、彼の親にバレた!慶應幼稚舎出身、27歳女の裏の顔とは