オーストラリア・ブリスベンでワーキングホリデー生活を送るククさん(21歳・男性)。
「英語を話せるようになりたい」「就活で周りと差別化したい」「お金を稼ぎたい」と、期待と希望を胸に地方国立大学で出会った仲良し3人と共に渡豪を決意。しかし、現実は理想とは程遠かった――。
◆友人が次々と職を見つける中、不安と焦りの日々
到着後、1か月間語学学校に通いながらも4人それぞれ仕事探しを開始。中には2週目で職を得たラッキーな友人もいたが、ククさんの場合は一筋縄ではいかなかった。
「直接店まで行って配ったレジュメは30件以上。一週間で100キロ以上歩き回ったこともありました。そんな中、友人たちは次々に仕事を見つけていたのでかなり焦ってましたね。
大学生でお金もなかったので、親に20万の借金をしたことも。親に対する申し訳なさや家賃すら払えないかもしれないという恐怖心もあり、常にストレスを抱えていました」
そんな当時のククさんの毎日の食事は一袋1.43ドルで買えるパスタばかり。具材はスーパーの食材の中でも比較的安く買える玉ねぎとじゃがいもだ。例外的にちょっと奮発したいと思った日にはお肉コーナーの中でもとりわけ安いせせりを買っていたという。
「こっちの物価は日本の2~3倍。その中でも安く買えるものがあるので節約するならまずは食費から。こっちのせせりってすごく癖があって独特な匂いがするんですけど『これでも肉だ!』とちょっとした贅沢感を味わいながらパスタと一緒に食べてましたね」
無職期間は1ヶ月半。文字通り「限界大学生」の生活を送っていた彼だが、なんとか職をゲット。ようやく希望の光が差し込んだように思えたが、それは希望のように見える悪夢の始まりにすぎなかった――。
◆最初は「とても親切だった」職場のオーナー
やっとの思いで見つけたのは自宅の目の前にあるローカルカフェ。「最初の1週間はトライアルだから時給20ドル(※約2000円)」と言われたそうが、オーストラリアの最低賃金は24.1ドル。明らかな違法労働であることは間違いないが、当時の彼にはむしろ棚からぼた餅だった。(※24年11月26日時点のレート、以下同)
「通常トライアルといえば、最初の2、3時間無給で働かされるところが多いと聞いていたので、むしろ時給が発生するだけラッキーだと思っていました」
オーナーはインドネシア人の男性。親日家で最初はとても親切だったという。
「お金や環境に対するストレスもあってか、眩暈で立てなくなるという症状が度々出てしまい、急遽休まざるを得ないことも。
とても迷惑な行為であるはずなのに、オーナーは『ちょっときついけどお前が元気になって戻ってきてほしいからゆっくり休め』と優しい言葉をかけてくれて。その時はなんてホワイトな職場なんだ、絶対ずっと続けようって思ってましたね」
◆なぜか終わらないトライアル期間
1週間が経過し、次第にカフェの環境に慣れ始めた頃、「いつ正式に雇ってくれるのか?」と聞いたというククさん。するとオーナーから思いもよらぬ逆質問を受けたそうだ。
「『お前はこのカフェの仕事の何%を把握してる?』と聞かれたんです。飲食経験ゼロだったのでなんて答えるのが正解なのか分からず、ちょっと迷ってから『70%くらい』と答えた。すると、『じゃあ今週もトライアルだ』と告げられ、なぜかトライアル期間が延長されました」
違法労働が税務署にバレることを防ぐため、給料は彼のみ手渡し。
その当時から多少疑心暗鬼になり始めてはいたものの、常に優しい言葉をかけてくれるオーナーに強く歯向かう事が出来なかったククさんは、そういったオーナーの些細な親切心に励まされながら頑張り続けたという。
◆1か月半経つとオーナーの態度が豹変
しかし、1か月半が経過しても時給は未だにトライアル賃金のまま。いよいよ彼がオーナーに反論しようとした矢先、状況は一変した。新たに日本人女性が面接に来たことがきっかけだった。
彼女を採用する話が持ち上がってから、ククさんへのオーナーの態度は激変。指示が急激に増え、当たりも強くなったという。
「仕事中に従業員の女の子たちが話していたので、自分も加わろうとしたらオーナーが『お前はあれをやれ、これをやれ』と自分にばかり指示を出してきて。
自分はキッチンで働いていたのですが、挙げ句の果てにはなぜかバリスタがやるはずの〆作業まで押し付けられました。本来であれば2人で行うべき作業を1人でやらされて、時間内に出来ないと怒られるんです」
一度は言い返してみたものの、「前にいたブラジル人スタッフは何を頼んでも文句一つ言わなかった!」と怒鳴られる始末。彼の心身は次第に限界に近づき、眩暈の頻度も増えていった。
「眩暈なんてこっちに来て初めての症状だったので、一度医者に行ったのですが、特に問題はないと言われて睡眠安定剤を処方されただけでした。
恐らくストレスからきていたんでしょうね。今考えると『やっとの思いで見つけた職だから簡単には辞められない!』という思いが余計に自分を追い込んでいたんだと思います」
◆オーナーからの八つ当たりが止まらない
ククさんの精神状態をすでに把握しているはずのオーナーだが、その後も八つ当たりは続く。
「自分がグリルを担当していた時にオーナーが来て突然『もういい俺がやる!』って言ってきたんです。忙しい時間帯だったのでイラついていたのかもしれないですが、揚げ物なんてタイマーを設定したら後は待つだけ。
つまり誰がやっても同じ時間に仕上がるわけで……。なのに他の従業員がやっている時は一切何も言わないんです」
一緒に働く従業員は日本人の女の子とオージーのベテラン女性たち。明らかにククさんにだけ当たりが強いその状況は周囲から見ても一目瞭然だったというが、誰かに相談しなかったのか。
「オージーの中には親切にしてくれる人もいる一方で、“日本人アンチ”のような人もいました。
特に、お局的な最年長の女性がアクセントも強いし言い方も違ったりする人だったんですが、僕が言葉を理解できないでいるとかなりイラつかれました。オーナーに『彼よりいい人がいるんじゃないか?』って裏で話してるのを何度も聞きましたよ。
また、後に聞いた話によるとオーナーは元々日本人の女の子を雇いたかったみたいで。男の自分が来たけどまあ日本人だからってことで採用してくれたようなんです。だから日本人の女の子たちにはすごく優しくて、自分の状況を気軽に相談できる感じではなかったですね」
◆職に就いたはずなのに変わらない困窮状態
ちなみに職にありつけたのにもかかわらず当時のククさんの食事は依然として困窮していた。なぜなら当時のシフトは週に3日。カフェでは賄いも出ず、極限状態に至った際の彼は、たまに客の食べ残したパンケーキなどを食べて食費を浮かせていたという。
「今考えるとかなり悲惨な状況でしたが、シフトは週に3日で一日最大5時間しか入れなかったし、時給は30分刻みだったので、例えば45分に終わった際にはその15分の賃金は発生しなかった。
家賃や交際費を引いたら月の食費に使えるのは8000円くらいでしたね。でも一緒に住んでいた大学の友人は週に最高47時間も働いていて、レフトオーバーになった寿司も持ち帰って夕飯の足しにしていた。服や靴もどんどん豪華になっていたのでとても羨ましかったです」
◆ついにカフェを退職。ハウスキーパーとして再出発
そんな苦難を1ヶ月間耐えた後もまだまだトライアル期間は続く。オーナーから「お前向いてないんじゃないか?」と言われたのを機にククさんはとうとう退職を決意した。その後の無職期間は約1か月。その間も不安でいっぱいだったというが、偶然参加したパーティーで人生が動き出す。
「たまたまそこで知り合った人が『ハウスキーパーやらないか』と誘ってくれたんです。当たり前ですけど時給も最低賃金以上だったし、フルタイムで働けると聞いてすぐに了承しました」
現在の時給は25ドル、月収は約30万円。基本的にはローカルな同僚とペアで掃除をするため、英語も使える環境だ。さらには客室に残された食べ物や未開封のビールやワインボトルなども持ち帰れるため、食費の節約にも繋がっているという。
「ブリスベンに来て5カ月半。大変な仕事ですが、やっとまともな職場に出会えました。ようやくワーホリドリームが来たかなという状況です。食費を節約する必要もなくなり、今では外食ばかりです」
◆ワーホリは自己成長を促す試練の連続
後日、友人にそのことをネタとして告白したところ、衝撃的な言葉が返ってきたと言う。
「『ワーホリ出来ている文句を言えない日本人が八つ当たりをされることはよくあることだよ』って言われたんです。
確かに最初オーナーに『どのくらい探したの?』って聞かれた時に『1か月半くらいだよ。だからあなたに救われた』と言ってしまったので足元を見られていたんだと思います。特にファームではこういった事例が絶えないそう。苦い経験だったけど、今思えばいい経験だったのかもしれません」
この経験を経て「どんな状況でも理不尽な事に直面したら強く言い返すことが大事であることを実感した」というククさん。
ワーキングホリデーは文字通りの「ホリデー」ではない。むしろ自己成長を促す試練の連続だ。筆者もワーキングホリデー中であるため、職を見つけられずに帰国せざるを得なかった人や、やっと見つけた職を速攻でクビなった人などを沢山見てきた。
たとえ困難の連続であったとしても、それらがもたらす経験は彼らの人生において大きな力となるに違いない。
取材・文/時弘好香
【時弘好香】
元『週刊SPA!』編集者。ビジネス書『海外ノマド入門』(ルイス前田著)の編集を担当後、自身もノマドワーカーの道を志し、5年勤めた出版社を退社。現在はカナダでワーホリ中。将来的には旅先で出会った人々を取材しながら世界一周することを視野に入れている。無類の酒好きで特に赤ワインには目がない。