“普通のこと”をするためにどんどんお金がなくなっていく現実

「パートでもらうお給金はほとんど手を付けないで蓄えに回しています。使わざるを得ないことってあるでしょ、そのときに恥をかかないようにしたいですから」

息子、娘とも都内在住で行き来は頻繁。正月には孫を連れてやって来る。ここで必要なのがお年玉。

「お年玉をくれないおばあちゃんなんて嫌でしょ。わたしだって孫たちにお年玉のひとつもあげられないのは惨めですよ」

息子のところの長女が小学校に入ったときは、奥さんの親がランドセルをプレゼントしてくれたと聞いたので学習机を贈ってやった。

「去年の秋に娘が男の子を出産しましてね。今年の端午の節句に合わせて五月人形を贈っておきました。それぐらいのことはしてあげたいんです」

ホームセンターで売っていた格安品だったが、自身の体面は保たれるし娘も喜んでくれた。これが大事だと思っている。

「親類縁者との交際にだってお金は必要ですよ。出せなかったらみっともないことがある。甥っ子、姪っ子の結婚式にお呼ばれしたら3万円は包まなきゃ格好がつかないでしょ」

弟妹には夫の周年忌で御仏前を頂戴したり、お花代を包んでもらったことがある。自分は厚意を受けているのにお返しのひとつもしなかったら罰が当たる。祝儀、不祝儀、お見舞いなどの付き合いは欠かせないものだと思う。

「近所付き合いでもお金はかかりますね。団地で暮らしていると親しくなった人から、田舎から送ってきたからとリンゴや栗をお裾分けしてもらうことがある。もらいっぱなしじゃ悪いからクッキーやどら焼きを持っていく。これって交際費だと思うのよ、いくらでもないけど」

家にいるときは地味目な衣服でいるが、仕事に行くときやショッピングセンターへ行くとき、病院に通うときは華美でなくとも清潔感のあるようにしている。いい歳をしたおばさんが毛玉だらけのセーターを着ていたり、ヨレヨレで色褪せしたズボンじゃ恥ずかしい。だから、ある程度の被服費は絶対に必要だ。

息子家族、娘家族と会ったら少しは贅沢な食事もしたいし、孫にお願いされたら映画ぐらい連れていってあげたい。

「これって普通のことだと思うのよ。普通のことをするのだってお金が必要、これが現実ですよね」

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とにかく子どもたちの負担になりたくない…三村さんの“心配ごと”

このところ心配になってきたのが、自分の終わりと後始末にいくら必要なのかということ。孤独死は嫌だけど長患いも困る。

「お葬式もお金がかかるみたいですね。たまに新聞の折り込みで葬儀屋さんのチラシが入っているのですが、中程度の祭壇でも50万円ぐらいでした。火葬の費用も千差万別で、夫は都営の火葬工場でお骨にしたのでいくらもしなかったけど、民間の火葬場は部屋のランクが分かれていて料金が違うって話です。お坊さんだって30万円ぐらいのお布施を包まないと寝言みたいなお経しかあげてくれないらしい」

通夜振る舞いの料理やお酒がみすぼらしかったら恥ずかしい。そんなことにならないよう80歳まで加入できて葬儀代を賄える小口の生命保険に加入した。

「保証額は100万円。それだけあれば人並みのお弔いができるでしょ。受取人は息子で後始末はよろしくって頼んであるんです。息子も娘も縁起の悪いことをって嫌な顔をしていたけど、そのときになってあたふたしたりお金で迷惑かけたくないですから」

働けるうちは働いて収入を得る。無駄使いは避けて残せるものは残す。

「とにかく子どもたちの負担になることは避けたいんです」

慎ましくてもきれいに人生を終わりにしたいだけなのだ。

増田 明利
ルポライター