長野県に引っ越して2年が経つ。場所は標高1000m、浅間山の麓。
この2年間で「住む」という営みの原点を、見つめ直している。
数十万年前から活発な火山活動が続く浅間山の麓には、度々起こる噴火毎に降り注いできた火山灰が蓄積してできた土壌が広がっている。
この地は元々、私のパートナーが生まれ育った地であり、彼と知り合って最初に訪れた時からすぐにこの地へ住みたいと直感的に思い、引越しを決めた。
山岳ガイドである彼ならではの嗅覚と土地勘で、初めてこの土地を訪れた私をたくさんの場所に案内してくれた。
わたしは、神奈川県藤野町という里山で育っており、どちらかというと、山よりも、森の中で過ごしてきた。蔦や木々が生い茂る森の中と、2,500mを超える高さ広大に伸びる裾野を持つ浅間山とは全く働かせる感覚が違う。
この地はとにかく広い。鳥の眼で見ることが必要だ。
その感覚に慣れてくると、一つ一つ、山からの流域が見えてくる。
山々の尾根から谷、裾野。引っ越してから、何度も何度もこの地の地形を地図で見て、実際にそれぞれを辿り歩き、点と線を繋いでいった。
どうしてこんなことが必要なのか。
それが「生活」、つまりは『住む』ことに直結するからだ。
風はどこから流れていくか、風はどちらへ向いているか、
吹き下ろしはどこが強いか、太陽はどこから登ってくる?
雪は降るのか、ではその雲が溜まる場所は?
雲がもたらす雨はどこに浸透しどんな色を持って地表に現れ、流れているのか?
その水とその地の土はどのような性質を持っているか。
今年も、この地のミネラル豊富な土でできた畑の野菜は色濃くメキメキと育ち、スーパーで野菜を買うことはほぼ無かった。
喉を潤す水は、この山域の湧水を週に一度ほど約60リットル分を汲んで飲み水としている。
驚くほどの軟水で、ゴクゴク、するすると身体に染み込む。
汲み終わった後には、日々の感謝として本当にお気持ち程度だが、その時お財布に入っている小銭全てをお賽銭箱に入れることにしている。(地元のおじいちゃんたちがそうしていたのを見かけてから、見習おうと思い…。)
管理している方を普段お見かけることはないが、この水の綺麗さを見ると確かにこの地域で大切にされ続けていることがわかる。
だけれど、昔はもっともっとたくさんの場所でこうして飲める水があったのではないかなと思うとすこし複雑な気持ちにもなる。だから、大切にしたい。
向かいに見える八ヶ岳、そして遠くに聳える北アルプス、背中にはいつも浅間山があり、その山間を抜ける大きな雲の風の空気を肺いっぱいに、取り込んでいる。
いつも、もたらしてくれている恩恵を一つずつ五感から五臓六腑まで、隈なく体感している。
自分はそもそも、田舎暮らしに興味があるわけでもなく、 それをしたいという欲もそもそもなく、「ただ、心地の良い場所にいたい」というだけの気持ちがある。
それは私自身が、田舎というか、ほぼ森の中のような場所で生まれ育ったから、それが普通だと思っていたということもある。心地の良い場所というのは、当たり前だが、人それぞれ違う。
わたしは、有り難く確かに人間としての名はあるのだが、(自分にとって、大切な意味で)ただそれ以上の何者でもなく、選択したこの地とこの自然と一体となっている「生き物」として存在していたい。それにはまだ、削ぎ落としたい欲や自己が多いけれど。
先は長いと信じて、一つづつ。
いい暮らし、とはなんなのだろうか。31歳になった今、この年齢という数字をどのように捉えるかをゆらゆらと俯瞰しながら、全てに「生命が宿っている」ことの軌跡を日常の隙間隙間に見つけている。
やはり、どう、どの角度から見たって、私は生きている、ではなくて生かされているのだと。
だからこの31年間も、全ての生命によって、生かされてきた。
肉体と精神。
生き生きとする脈を身体に走らせ、私は私のままで、生かされるままに。
いい暮らし、よりもまずは、いい気持ち、で居よう。
「住む」ことの始まりは、そこから。
そして、目には見えない自然の”流れ”を、滞すことなく、傷つけることなく、次にわたしていく。
やわらかく、やさしく。
この先どこにいても、他の生き物と同様、その地に居る理由を持って、時を過ごしたい。
なんでもいい、と口にすることを減らして。
だけれど今、なんでもない、特別な日常を過ごしている。
p.s.
タイトルは、最近寒くなってきた毎朝に聴いている
LAGHEADS の「Simple Song(feat.HIMI)」から拝借。
“Sing this simple song I can hear you”
本当に心地のいい曲でだいすきだ。
edit : Sayuri Otobe
アーティスト 中瀬萌
神奈川県藤野町の麓で生まれ育ち、現在長野県在住。古代から使われる自然的顔料である蜜蝋を主に用いて、溶融した蜜蝋に色素を混ぜ合わせるエンカウスティークを独学で試み、自身が自然と触れある中で感じた景色、匂いや感情を記憶として閉じ込めるように絵画を制作している。