3日夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は「非常戒厳」いわゆる戒厳令の発出を宣言した。これに対し、与党を含む国会議員や多くの市民が反発。国会が解除決議を行い、大統領が閣議を通じて戒厳令を解除した。
発出から解除を求める採決までわずか3時間。しかも、国会に議員や市民らがつめかけて軍隊との間に激しいやりとりがあったにもかかわらず、1人の死者も出さずに収束した。
しかし、隣国での大事件であるにもかかわらず、BBCやCNNなどの外国メディアと比べ、日本語メディアの扱いは小さく情報量が不足している。また、背景事情も分かりにくい。韓国をはじめ諸外国の統治機構にも知見のある杉山大介弁護士は、今回の事件が「日本の民主主義の教科書」になるものだと指摘する。(本文:弁護士・杉山大介)
隣国の「あっという間の話」 で片づけてはならない
韓国大統領による「戒厳令の発令」は、翌早朝の時点では収束を迎えていたこともあり、その事変の大きさや、このニュースを理解する上で重要な背景・視点が共有されていないように感じた。
そのような報道状況に苦言を呈するばかりでは、民主主義の担い手・当事者である「主権者としての意識」が足りないと考えた。また、特にこの事変中に韓国の「主権者」がとった行動を見て、私も市民社会に生きる一介の法律家としての責務を果たすべく、法的知見に基づく発信をしてみようと思い、今回筆を執った次第である。
戒厳令がたった3時間、しかも“流血なし”で解除に向かった「奇跡」
私はそもそも、この事変が一晩で一気に解決していること自体が、奇跡的なものだと考えている。
戒厳令の中身は、国会を含めた一切の政治活動の禁止や、あらゆる言論と出版の戒厳司令部による統制である。大統領の一声で、民主主義社会において存在しているあらゆる機能が、議会制民主主義が、表現の自由が、一瞬で「法的に消滅した」のである。これが、2024年12月3日午後11時頃の出来事だ。
当然、このような令が発令されるだけで済むわけがない。実際に軍隊が、国会の政治活動を禁止すべく、銃を持って韓国の国会を封鎖している。
3日夜、武装した軍隊が国会を封鎖した(topic_w5/PIXTA)
それにもかかわらず、韓国では、12月4日の朝には戒厳令が解かれるところまで進んだ。そこで重要な役割を果たしたのが「国会による戒厳令解除の決議」である。
ここまで読んで、疑問を持っていただきたい。「軍隊が国会を封鎖したにもかかわらず、国会議員たちが戒厳令解除の決議を成立させている。それはどういうことだ?」と。
私も現地からの報道や海外報道サイトなどをリアルタイムで追っていたところ、驚くような状況が伝えられてきた。
国会議員たちは、国民に呼びかけて多数のデモ隊と共に国会に押し掛け、強硬に中に侵入した。議員の中には、封鎖されている門を避けて、塀を乗り越えて議会に入っていく者もいた。そして、議会が決議に向けて進む中、軍隊も議会への突入を試みる。しかし、議会に立てこもった人々が、消化器で応戦するなどしていた。小銃を前にして叫ぶ人々など、その様子は、いつ死者が出てもおかしくない状況に見えた。
実は多数の“犠牲者”が出かねない「一歩手前」だった
確かに、死傷者は結果として出ていない。軍隊も、本気の武装をしていなかったようにも見られる。しかし、議会への強行突入を試みていた状況や、議員の逮捕が検討されていた状況なども確認されており、国防長官にあたる立場の者など軍のトップクラスが大統領と意思を通じていたこともわかっている。
それこそ軍全体が本気になれば、多数の死者を出しながら、議会が暴力によって制圧されていた可能性もあった事件なのである。
この温度感・緊張感が、どうも翌朝以降のニュースでは伝わってこないと感じる。
今回の事変の本質を端的に表現すると、次のようになる。
「戒厳令」という制度下にあって、民主主義の根幹を守ろうと命がけで行動していた人たちが、国会議員にも国民にも多数いた。それらの人々が身を挺して、戒厳令下の2024年12月3日午後11時から12月4日午前4時くらいまでの法秩序の下で「違法」とされる行動をとった。その結果、奇跡的に事態が鎮静化に向かったのだ。
思い出すのは、映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」だ。あの映画で描かれた光州事件では、軍事政権への民主的なアクションが、暴力によって鎮圧された。
軍事政権が確立していたら、またあのようなことが起きていなかったとは言えない。成立する目前で、すぐに消火できたからこそ、わずか一晩の事件で済んだのではないか。今回の事件は、そのような映画に残す価値があるような、歴史のターニングポイントだったのではないか。
国会が戒厳令に反発した理由は“国会と大統領”の「構造的な緊張関係」
次に、このニュースに触れる上で、必ず理解しておくべきことがある。それは、韓国の統治機構での「大統領(行政)」「国会」の位置づけと、日本との違いである。
韓国は、国のトップの大統領を、国民が直接選挙で選ぶ。一方、日本は選挙で選ばれた国会議員が、国のトップの内閣総理大臣を選ぶ。そのため、日本では「議会の多数派=与党」が当たり前のような意識が見られる。
少数与党と言われる現在の自民党と公明党ですら、政党として一番の多数派であることには変わりがない。
しかし、与党というのは英語で「governing party」と表記されるように、あくまで政権側の政党を意味する言葉である。そのため、韓国だと「大統領と同じ勢力にある政党」が与党となる。実際、リアルタイムでニュースを追っている際には、日本語の投稿でしばしば「与党」と「野党」を誤認した反応が見られた。
直近の韓国の国会の議席配分は、与党「国民の力」が圧倒的少数で300議席中108議席、野党の最大勢力である「共に民主党」が300議席中161議席であった。
大統領が戒厳令に走った背景はこれから詳細に検証されるであろうが、少なくともこのように議会を野党に占められ、政権維持に困難をきたしていた背景が影響しているのは間違いない。
さて、この情報をもとに、あらためて戒厳令解除の決議の経緯を見直してみたい。韓国憲法77条5項が「在籍議員の過半数の要求で戒厳の解除を命じられる」と定めているところ、300議席中190人の議員によって、戒厳令解除の決議が行われた。断っておくが、今回の大統領による戒厳令の発令には、与党側も早々に反対の声明を出しており、戒厳令解除の決議に与党議員も参加していることが人数からわかる。
しかし、仮に与党が国会の多数派を占めていたら、これだけ迅速に、かつ多数での決議を行えただろうか。行政のトップに対して立法のトップである国会が対峙できる背景には、「行政と立法の権力が一元化されていない」ということがある。この点を踏まえないと、今回の問題が早期に収束した背景は正しく見えてこない。
「与党議員が良識を持っていた」というだけではなく、あくまで「野党多数の国会」においてこそ成立した対抗措置だったと理解すべきだろう。
韓国の国会は「野党」が多数を占めている(topic_pr/PIXTA)
韓国の市民が示した「命がけで民主主義を守る覚悟」
私たちは日本国民であり、韓国の国内政治から受ける影響は「外交」や「貿易」における間接的な形にとどまる。「韓国のニュース」としてだけでは、それは単なる「外国の出来事」として終わってしまう。
ここまで述べてきたことを、日本の政治意識や制度と関連づけて考えると、今回のニュースが持つ意味が見えてくる。
たとえば、事変の収束に向けての、韓国の国会議員や、私たちと同じ一主権者たちの行動。私たちは果たして、午後23時に戒厳令がアナウンスされて、その1時間後に国会で軍隊と対峙する覚悟を決めて銃の前に立つことができるのか。
これは、私も正直に言って、容易なことではないと思う。人間、当り前だが、命が惜しい。
しかし、隣国の市民から「民主主義を守るには、このような覚悟と行動が必要だ」と示されてどう思うか、日本の国会議員も有権者の一人ひとりも考えるべきではないか。少なくとも、そのような問題提起のされ方があって良いニュースだと思う。
戒厳令の危険性…「恣意性」「歯止めの利かなさ」「一部政治家の“危機感のなさ”」が露呈
戒厳令のような制度に対する問題提起も必要だ。韓国の戒厳令は、れっきとした憲法上の制度である。韓国憲法77条は「大統領は戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において兵力をもって軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要がある時には法律が定めるところにより、戒厳を宣布することができる」と定めている。
この憲法所定の要件にてらせば、今回の大統領による戒厳令の発令はおそらく、かなり控え目に言っても許容されないだろう。法律が定める手続きも踏んでいなかったと報道されている。
ところが、大統領が一度戒厳令を行使してしまえば、実際に軍隊が動き、制度が動きかけてしまった。
今回は、国会が抑止する力を持っていたので、阻止できた。しかし、抑止する力がはたらかないとき、文言や法律の作りでは、権力の暴走を抑止できない。
今回の韓国の事変を受けて、少なくとも日本では現役の国会議員1名と、元国会議員1名が、緊急事態条項の憲法による創設を求めたのを確認している。私には全く理解ができない。
そもそも、このような政変が起きた理由は、「緊急事態」を理由・口実として通常の法秩序・手続を逸脱する「戒厳令」が制度として認められているからである。にもかかわらず、この事象を見て、そのような権力の集中を肯定的にとらえる意識が生まれることは、論理的にはあり得ない。
戒厳令のような制度を創設すると、どのような事態を招く危険性があるのか。それをどう抑止し問題を防ぐのか。議会がしばしば行政と権力を一致させてしまう日本の統治制度において、どうパワーバランスをとるのか。…少なくともそういう問題提起があってしかるべきだ。
このように、日本社会に生きる私たちにとって「他山の石」とするためにも、今回の事変を単なる「外国の出来事」として終わらせず、事件の詳細な背景・文脈が共有されるべきと考え、私もこの文を書いている。
今のうちに消すべき日本の「民主政破壊」の“火種”
幸いにも、現在の日本国には、国家の最高権力者が、突然に手続きを逸脱して、軍隊を用いて民主主義や国民の基本的人権を直接脅かすような手段は存在していない。
しかし、昨今、たとえば公職選挙法など、政治のルールをめぐる論点を見れば、今までは「してはならない」のが当たり前だったことが、公然と行われるような出来事が起きている。
そのようなとき、漫然と状況を見守ってコメントしているだけで、民主主義に参加する主権者として正しい政治を守れるのか。手段を選ばない勢力が現れた時、日本の社会はその脆弱性を晒してしまっていないか。このことは、今後、日本に重大な事変が生じた時、「国」として正しく対処できるかを左右するだろう。外国で起きた出来事、そして日本で起きている出来事に対して、主権者も、メディアも、政治家も、学ぶ必要がある。