心停止した人の心臓に電気ショックを与え、正常な動きに戻す医療機器「AED(自動体外式除細動器)」。救急車が到着する前に、バイスタンダー(救急現場に居合わせた人)が心臓マッサージとともに使用すれば、何もしない場合に比べ救命率が大幅に上がる。
そんな「AED」の普及率が世界一と言われる日本だが、その一方で使用率は約4%にとどまっている。普及しているのに使われていない背景には「使い方がわからない」「悪化したらと思うと使えない」など、さまざまな理由が考えられるが、中には「倒れた人が女性だった」という理由で使われなかったケースも起きているという。
女性を助ける時に生じる“抵抗”
京都大学などの研究チームは、AEDの設置が進む「学校」で心停止となった子どもについて、救急車が到着する前にAEDが使用されたかを調査。高校の男子生徒が倒れた場合の使用率が83.2%なのに対し、女子生徒に対する使用率は55.6%だった。
AEDは電流を流すためのパッチを胸部に貼るため、肌を露出させる必要がある。研究チームは、「倒れた人が女性だった場合、服を脱がせることへの抵抗感がこの結果を生んでいるのではないか」と分析している。
また、インターネット上には「男性が女性を助けたらセクハラ扱い」「わいせつ罪で訴えられる」といったウワサも流れている。このウワサの真偽、そして人命救助時に考えるべきことについて、救急活動に関する法律問題に詳しい法学者の橋本雄太郎氏(刑事法、医事法)に聞いた。
インターネット上の“ウワサ”の真偽
インターネット上に流布する「男性が女性にAEDを使用したらセクハラ」「わいせつ罪で訴えられる」といったウワサは本当なのか。
橋本氏は「目の前で人が倒れた時に、とっさにわいせつな気持ちを持つ余裕などないはずです。つまり、わいせつという感情を持ちようがないですから、刑事罰を問われる可能性はまずありません」と説明する。
また、民事責任についても「命が助かっており、『肌を露出させたことによる損害』は発生していないと考えられ、損害賠償請求は考えにくい」と解説。
慰謝料については、「精神的苦痛を感じたか否かという“心の問題”のため、訴えられる可能性自体は否定ができない」そうだが、「私自身これまでのキャリアの中で、AEDの使用によって助かった人が救命者を訴えようとしているケースなど、一度も耳にしたことがありません」と断言する。
普段は消防士など人命救助のプロフェッショナルに講演を行う橋本氏(本人提供)
「命」は保護法益の最上位
「法律家であればだれでも知っている、『生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い』という有名な最高裁判決(1948年3月12日)があります。この言葉からも、命が保護法益(※)の中で最上位であることは明らかです。
だからこそ、まずは助けることのみに専念してほしい。人が倒れていたら助けるという考えが『常識』として機能する社会であれば、裁判官だって当然、その社会通念に応じた判決を下すはずですから」(橋本氏)
※法律によって保護される利益
なお、民法上でも「緊急事務管理」(698条)の規定によって、悪意または重大な過失がなければ、善意の救助者が処置対象者から損害賠償責任を問われることはない。
一方で、橋本氏は、人が倒れたのを見たのに“助けなかった”ことで心を病んでしまった人から相談を受けたこともあるという。
救命を最優先に考えること、そして、救急現場に居合わせた時「バイスタンダー」として何をすべきかの知識を持つことは、自分の心を守るためにも大切なことだと言えるだろう。
AED使用の有無で1か月後生存率、社会復帰率に大きな違い
冒頭でも触れた通り、救急現場に居合わせたバイスタンダーが、救急車・救急隊員が到着するまでにAEDや心臓マッサージなどの心肺蘇生を行うことが、救命のみならず“予後”にとって重要であることは「消防白書」などにも事実として記されている。
令和5年版「救急救助の現況」(総務省消防庁HP)より
「令和4年(2022年)の実績では、バイスタンダーが心肺蘇生を行わなかった傷病者と比べると、心臓マッサージを行っただけでも生存率、社会復帰数は2倍以上になります。
さらに注目すべきは、AEDを使用した場合です。1か月後の生存率で約8倍、社会復帰数は約13倍。バイスタンダーによるAEDの使用が救助にいかに有効かわかります」(橋本氏)
AED使用の“メリット”を広く知ってもらえれば「ウワサやデマを信じる人も減り、余計な紛争を防ぐことにもつながるのではないか。ぜひ多くの人に『応急手当講習』などの救命講習を受けてほしい」と橋本氏は力を込める。
「AEDが日本で普及し始めて20年がたちました。当初は1台100万円近い高価な機器ということもあり普及が進みませんでしたが、今ではリース機器もあり導入のハードルも下がっています。同時にAEDの認知度は上がり、多くの公共機関に設置されるようにもなりました。
この20年間で“環境”は随分と変わっています。今度はその財産を活用してほしい。いざというときに使えるよう心構えをしておいてほしいと思います」(橋本氏)
女性が声を上げることも「使用率向上」に寄与?
「蛇足かもしれませんが」と前置きしつつ橋本氏は、「女性から『命を助けるためなら率先してAEDを使ってほしい』という声や、『救命の時には、この部分に配慮してほしい』という希望など、どんどん声を上げてほしい」と呼び掛ける。
「女性からの意見はわれわれにとっても参考になりますし、救助しやすい環境を作るためにも重要になると思います」
【橋本雄太郎(はしもとゆうたろう)】
慶応義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。
杏林大学総合政策学部教授兼大学院国際協力研究科教授を歴任後、
現在、香川大学危機管理教育・研究・地域連携推進機構客員教授。
著書に『救急活動をめぐる喫緊の法律問題』(平成26年、東京法令出版)など。