元カリスマホスト・城咲仁の今。自ら厨房に入っていた実家の中華料理店が閉店…明かした舞台裏と“父への想い”

 元カリスマホストでタレントの城咲仁さんが勤めていることで話題となった、東京都板橋区にある創業58年の老舗中華料理店「丸鶴」。店主、岡山実さんの息子である城咲仁さんが、“年収1億円ホストの今”として、父が守ってきた中華料理店に対する想いを語ったインタビューが、先日ABEMAニュースで放送され、大きな反響を呼んだ。

 その丸鶴が年内で閉店されることが、城咲さん自身のYouTubeチャンネル「ジンチカちゃんねる」で発表された。

 岡山さんが断腸の思いで決めた閉店。58年の歴史に終止符が打たれることが決まった今、城咲さんにその胸中を打ち明けてもらった。

◆常にお店を一番に考えている人の決意

 店主の岡山さんは、これまでに脳梗塞で7回倒れており、まさに命懸けでお店を続けてきた。そんな父親をサポートすべく、最近の城咲さんはタレント活動の傍ら厨房に入り、お店を切り盛りしていた。

「親父はこれまでに何度も倒れていて、最後の大手術の時に10本のボルトを背中に入れて固定し、その状態で半年以上やってきたのですが、そのボルトの2本が緩んでしまって……。激痛に耐えながら何とかやっていたのですが、その数日後に自宅で意識不明になって倒れたんです。特に目まいがしたとか具合が悪くなったとかではなく、気が付いたら倒れていたらしく、その時に引退を決めたと話していました」

 そんな岡山さん、これまでは自分の体調がどんなに悪くても、常にお店のことを一番に考えていたという。

「以前、入院して病室でキツそうにしている時に『頼むからお前、職人さんと2人でお店を開けてくれ』って言われたことがあって。それくらいお店を失いたくない、60年近くお店の事を一番に考えていた人が自分から閉めたいと言ったんです。なので、さすがに『お客さんには少し待ってもらって再び開けよう』とは言えませんでした」

 安くてお腹がいっぱいになる町中華で超人気店ともなれば、仕込みの量もハンパではない。もう、その過酷な作業を満身創痍の高齢の父親にはやらせたくないと城咲さんは語る。

「親父は79歳なんですけど、そんなおじいちゃんが朝の5時半から寒い調理場に一人で入って、黙々とレタスを切って、スープを作りながら、冷たい水で米を研いで、チャーシューを仕込んで……って、店が閉まることよりも、僕はそれを想像する方がキツくて。いまは職人さんが手伝ってくれていますが、親父にはもうやらせたくないんですよね」

◆家族として当たり前の行動

 丸鶴のTシャツを着てお店に立つ城咲さんを見ると、お店を継いだと思う人も多いだろう。だが、本人曰くお店を継いだワケではなく、「父のチャーハンの味を守りたい」という一心で働き始めたようだ。

「みんな、親父が体調を崩したから僕がお店を継いだって思っているんですが、そうではないんです。そもそもは、僕の妻が『お義父のチャーハンをどんな形でもいいから残せないのかな』って言ってくれて。でも、自分が毎日調理場に立つのは無理だから、冷凍チャーハンとして商品化するために厨房に立ち修行を始めたんです」

 つまり、お店を継ぐ継がないの話ではなく、単純に家族として、息子として当たり前のことを言っただけであった。

「そのあとに親父が体調を崩しまして……。家族が苦しんでいる時に、長男の僕が助けないで誰が助けるのか。自分がお店に入って『みんなで丸鶴を残すぞ!』ってやらないと、スタッフのみんなも心が折れちゃうし、お店を存続させるために、少しでもフォローしようと思い、厨房に入ることにしました。その時は、なくしてはいけないモノを失っちゃいそうな気持ちになって怖かったんですよね。僕を育ててくれた人が死にかけているのに助けに行かなかったら、今やっている僕の生き方が嘘になっちゃうんですよ。タレントって人を幸せにする仕事なのに、家族すら幸せにできず蔑ろにしているヤツの言葉なんて誰も聞かないでしょ」

◆修行で得た貴重なモノ

 タレント活動の合間に、冷凍チャーハンを商品化するための修行を行うようになった城咲さん。それまでの日々とガラリと変わったことによる苦労などはあったのだろうか。

「まったく、ツラくなかったですね。毎日4時半に起きてウキウキする時間を過ごしていましたよ。『今日こそ美味いチャーハンを作ってやる』、『今日こそいつもより早くチャーシューを切ってやる』って、毎朝自分に課題を作って楽しくやっていました」

 また、朝早くから仕込みをするようになって、父親の気持ちがわかったのが嬉しかったという。

「なんかいいんですよね。真っ暗で寒くて、まだ火が入っていない丸鶴に一人でカギを開けて入っていく孤独さが。親父も毎日こんなにも孤独だったんだ、そして仕込みをしないと丸鶴には命が宿らないんだって。一番最初に自発的に4時にお店に入ろうと思ってカギを開けた瞬間の気持ちは今でも大切にしています」

 さらに厨房に立ち、修行を続けることによって、実家に対するイメージが変化したそうだ。

「丸鶴は生まれた日からあって、当たり前のように出入りしていたんですが、ここで60年近く丸鶴の味が守られてきたんだなと考えると、単なる実家なのに神聖なる場所に思えてきちゃって(笑)。最近は敬意を持ってお店に入っています」

◆冷凍チャーハンにかける熱い想い

 父親のチャーハンを再現するために何度も試行錯誤し、徹底的にこだわり抜いた冷凍チャーハン。途中で挫折しそうになりながらも、城咲さんの熱い想いが完成へと導き、「丸鶴魂(ソウル)」のブランドとともに誕生したのだ。

「これまでに、いろんな職人さんがお店に入ってきましたが、岡山実の作るチャーハンを超えた人はいませんでした。どんなに体調が悪くても、親父が一から鍋を振ったチャーハンはメチャクチャ美味しいんです。僕にとっては『親父のチャーハンは世界一』。それくらいの想いがあって、実際に作っていただく工場の方にもこの熱い思いが伝わり、みんなが懸命に努力してくれたおかげで商品化できました」

◆“町中華のチャーハン”に対するこだわり

 丸鶴魂の冷凍チャーハンは、岡山さんが長年かかって作り上げた味はもちろんだが、町中華の根本である絶対的な考えも受け継がれている。

「ウチの冷凍チャーハンは全て手作りで真空パック、急速冷凍しているので注文から配送まで1週間から10日くらい時間を頂いています。大量生産して冷凍保存、注文が入ったら配送するというスタイルではなく、受注生産に近いので添加物や保存料も入れていません。出来立てをすぐに発送するので、かなり鮮度の良い冷凍食品になってますよ。あと、親父には『町中華は安くてお腹がいっぱいにならなきゃダメ』というイズムがあるので、通常の冷凍チャーハンは250グラム前後ですが450グラムにしています」

◆丸鶴の味と魂は決して絶えない

 お店はなくなってしまうものの、岡山さんが作り上げた味と魂はしっかりと継承され、これからも生き続ける。最後に、長年通い続けてくれた丸鶴ファンの方に向けてメッセージをもらった。

「丸鶴ファンの方には、ウチのお店と両親、家族を長年愛してくれて本当にありがとうございました。今後は丸鶴魂として、しっかりとチャーハンを守っていくので応援してください。もう、これに尽きますね。あと、世の中のみなさん、お祭りにちょっと話題性が欲しいとか、町おこしで起爆剤が欲しいなんて方がいましたら、丸鶴魂のチャーハンに声をかけてほしいですね。ウチらは全国どこへでも行きますので」

 事情は様々あれど、長年愛され続けていたモノが終わるをつげる瞬間はやはり寂しいものである。だが、父親が60年近くチャーハンと会話をしながら作り上げた味を、息子が自分なりの形で受け継いでいく。まさに理想的な親子リレーであり、最高の親孝行と言っても過言ではないだろう。

取材・文/サ行桜井

【サ行桜井】

パチンコ雑誌『パチンコ必勝ガイド』『パチンコオリジナル実戦術』の元編集者。四半世紀ほど勤めた会社を退社しフリーランスに。現在は主にパチンコや競輪の記事を執筆している。