電車が運休なのに「這ってでも来い」、平社員にも「ワーカホリック」を求める… 外国人も“ドン引き”日本企業の非情さ

パワハラ、体罰、過労自殺、サービス残業、組体操事故……。日本社会のあちこちで起きている時代錯誤な現象の“元凶”は、学校教育を通じて養われた「体育会系の精神」にあるのではないか――。

この連載では、日本とドイツにルーツを持つ作家が、日本社会の“負の連鎖”を断ち切るために「海外の視点からいま伝えたいこと」を語る。

第7回目は、東日本大震災で浮き彫りになった「会社の非情さ」について、当時話題になった会社側の対応などから振り返る。

※この記事は、ドイツ・ミュンヘン出身で、日本語とドイツ語を母国語とする作家、サンドラ・ヘフェリン氏の著作『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)より一部抜粋・構成しています。

電車が動かないのに…「這ってでも来い」

日本の企業がイザという時に社員を大事にしないというのは、残念ながらここ数年ジワジワと外国人にも知れわたっています。

きっかけは東日本大震災でした。当時、日本の人々は出国を急ぐ外国人を冷ややかな目で見ていましたが、問題はそれだけではありませんでした。

東日本大震災後の原発事故に伴う放射線漏れを恐れて母国へ一時帰国した外国人社員を、一部の日本企業は解雇したり、降格したりしました。会社によっては、「こんなことで母国に帰るようでは会社への忠誠心が足りない」ということを社員に堂々と伝えていたところもありました。

一般論として先進国出身の外国人は、命の危険があるかもしれない時に仕事を優先するということはまずありません。日本の企業側と外国人従業員の間のそういった温度差から、当時は日本企業に裏切られた気持ちになった外国人も多くいました。

それまでは、ニッポンの会社に対して「欧米の企業よりも残業が多かったり飲み会が時々あったりするけれど、安定していて社員を大事にしてくれる」という感想を持つ人もいましたが、原発事故後の対応を見て、この会社は社員とその家族の健康や命は二の次なのだな、ということを悟ってしまったわけです。

また、震災直後に「電車が動かない」と訴える社員に対して「這ってでも来い」と言い放ち、とにかく出社させようとした会社もありました。その会社で働く外国人の間では長らく会社の非情ぶりが語り継がれていました。

『体育会系 日本を蝕む病』光文社新書より

「社員を守らない会社って一体何だろう」

念のために言うと、欧米人の中にもいわゆる「仕事中毒」の人はいます。ただし、「イザという時」は命や健康、自分の家族が第一です。自然災害や原発事故のような危機的状況の中、仕事を優先する人は皆無です。

このようなことを書くと、「だから外国人は薄情だ」とか「やっぱり日本人とは違う」などという声が聞こえてきそうです。

しかし、日本人の中にも、「社員を守らない会社って一体何だろう」「何のために今まで滅私奉公してきたんだろう」と感じている人は少なくありません。「なんだかんだいって会社は社員である自分を守ってくれている」――こんな幻想を信じることができるのは災害のない平時だけかもしれません。

「外国人がまたわがままを言っている」「そんなに日本が嫌なら国に帰ればいい」と言うのは簡単です。実際に、そういった右寄りの発言が近年はネット上でも目立ちます。しかしこれでは自ら社畜宣言をしているようなものです。

もちろんなんでもヨーロッパのスタンダードに合わせる必要はありませんが、雇用や仕事に関しては、少なくとも平社員の立場の場合、ヨーロッパ流を取り入れたほうが、自分たちにとって生きやすい世の中になるのは間違いありません。

平社員にも「ワーカホリック」を求める

もちろんドイツを含むヨーロッパの国々にも四六時中仕事のことを考えている「ワーカホリック」は存在します。ただし、それは社長や経営陣の場合です。いわゆる平社員の「使われている立場」で、仕事のみを優先して考える人は皆無だと言えます。

当然、決められた時間内は仕事をしますが、「家族や自分の健康よりも仕事」と考える人はまずいません。そこは、ぶっちゃけ「ドライ」です。

日本の一部のブラック企業でタチが悪いのは、平社員にも「四六時中仕事のことを考える」ことを求めがちなことです。しかし本来は平社員自身も変な夢を見ないで、給料は9時5時分のもの、と割り切って働いたほうが幸せになれるというものです。

日本の学校は「いったん道から外れるとやり直しが利かない」

見逃せないのが、日本以外の先進国では「人々の人生」というものがもっとフレキシブルに考えられていることです。

これは、既に小学校で始まっています。日本ではやけに「きっちり」していて、3月生まれの子どもはどんなに身体が小さく、まだ幼くても、小学校1年生に入れられてしまいます。誕生日によって、「くっきり、きっかり」と「ここからは今年1年生」と分けられてしまいます。

ヨーロッパの場合は、「この子は6歳になったばかりで、まだ遊び盛り。勉強するには落ち着きが足りないので、小学校1年生に上がらせるのは来年にしたい」と親が望めば、その通りにできます。

たとえばドイツでは小学校やその後につながる学校で、1年の成績が芳しくないと落第し、1学年を2回やったりしますし、学業の途中で1年アメリカにホームステイして現地の学校に通い、ドイツの学業を中断することもできるので、同じ学年でもさまざまな年齢の子がいます。当然、ギムナジウムの卒業時にも18歳の子がいたり、19歳の子がいたり、20歳の子がいたりします。

さらに大学に入る前に1年間世界を放浪する旅に出たり、1年間国内でボランティアをする人もいます。大学に入ってからも、専攻する学科によって大学に通う期間も違いますし、当然大学卒業時の年齢も異なり、就職活動をする時期も全員バラバラです。

実は就職活動に関しては、日本のほうが大学側も企業側も面倒見がよく、日本の会社には「新人を育てる」という良さがあることは指摘しておかないとなりません。

その一方で、日本では全員が大学在学中の決まった時期に就職活動をし、卒業時の22歳で就職するため、年齢的にも経歴的にも「周りと違う」人は浮いてしまい、いったん道から外れるとなかなかやり直しが利かないという難点があります。