進学先やバイト先、さらには付き合う男性や友だちのことまで、うるさく口出ししていた母。就職と同時に実家を離れた後も、母の過干渉は続きました。しかし、私が結婚し自分の家庭を持ったことで、連絡を取る機会が減少。これからは自分で自分のことを決められる……そう思っていた私に降りかかった、驚きの出来事を紹介します。

友だちとの付き合いや進路に口を出す母

















何をするにもずっとついて回った母の過干渉。子どものころから「あの子と付き合わないように」「テストは100点を取らなければ0点と一緒」など、毒親ぶりを発揮していました。進学にあたっても「進学先はA高校しか認めない」「家から通える国立大学に進学しなさい」。さらに大学進学後は「医療系の国家資格を取りなさい」「バイトは家庭教師か塾講師しかダメ」と、娘である私に多くのことを求めてきました。幸い学ぶことが好きだった私は「ちょっと口うるさいな」と思う程度で、当時はそれほど気にしていませんでした。

「うちの親、おかしいかも……?」と気付いたのは、社会人になってから。そのころの私は、大学で看護師・助産師の資格を取得。そしてやっと家を出て、両方の資格を生かして出身大学の附属病院に助産師として就職しました。しかし、社会人になっても、母は同僚の話をしただけで「Aさんと付き合うのはやめなさい」といった状態です。異性との付き合いに関しても「そんな仕事の人はやめなさい」など毎回すごい騒ぎです。私が言い返すと「親不孝者!」とキレて話になりません。

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結婚を機に母から解放!…のはずが

そんな中、私はマッチングシステムで出会った隣県に住む男性とスピード婚をすることに。学歴や職業などが母のお眼鏡にかなっていたのか、特に反対はありませんでした。私は仕事を辞めて実家のある県を離れ、夫が住む隣県へ引っ越しします。夫はとても自由な性格です。そして義両親も、そんな息子をいつも応援する姿勢を取っていました。夫の人柄はもちろんですが、義理の家族の関係性が私の理想そのものだったことも、結婚の決め手です。

その後、私は3人の子どもを出産。母に干渉されたくなかったため、うまいこと理由をつくって3回とも里帰りせず義母に家に来てもらうことで産後を乗り切りました。家庭を持ち、誰からも干渉をされることなく生活できると思っていた私ですが、36歳になり、社会復帰を考えていたタイミングでまたも母との間にトラブルが発生します。

求人情報を見ていた私が目を止めたのは、保育園の体調不良児をメインでお世話する看護師の仕事。しかも、同じ保育園に0歳の末っ子を無料で預けながら働けるというのです。勤務先は、なんと以前イベントに参加して「子どもを通わせたい」と思っていた保育園。すっかりテンションが上がった私は過去の過干渉をすっかり忘れ、母との電話で「保育園の看護師の求人が気になっている」とポロっと言ってしまいました。すると母はいきなり「助産師の資格を持っているのに、そんな仕事はあなたには合わない! やめておきなさい!」と怒鳴ってきたのです。