「世界一美味い親父のチャーハンの味を守り日本中に届けたい」
そんな想いで立ち上がった男がいる。元カリスマホストで、現在はタレントとしてテレビやYouTubeなどで活動している城咲仁さんだ。城咲さんの父親である岡山実さんは、東京都板橋区で、連日行列が絶えない超人気中華料理店「丸鶴」を営んでいる。
お店で大人気の「チャーハン」の味を受け継ぐべく、タレント活動の傍ら父親の下で過酷な修行を行った城咲さん。だが、父親から受け継いだのはチャーハンの味だけではなかった。
◆辛い修行と熱い想いが生んだ涙
城咲さんは、父親のチャーハンを冷凍商品化して通販で全国に届けることを目指し修行を開始。何百回と鍋を振り、時には父親に頭を下げ鍋を振ってもらい、仕上がった直後の味を確認しては再び鍋を振る日々を送っていた。
「3年くらい前に修行を始めたのですが、腱鞘炎の一種である『ばね指』になってしまうくらい、毎日鍋を振っていました。チャーハンって、簡単そうに見えて実はメチャクチャ難しいんですよ。ラーメンは茹でる時間、麺の堅さとスープの濃さを間違えなければ失敗することはないのですが、チャーハンは仕上げるまで全て手作業なので、ちょっと集中力を欠いて雑に作ると、お米がダマになったりすることもあるんです」
そんななか、遂に自分のチャーハンを認めてもらえたのは奇しくも修行の最終日であった。
「初めて親父が認めてくれた時のことは今でも覚えています。親父が『あ、これ。このチャーハンだよ。これは美味い。これ忘れんなよ』って言った瞬間、涙が止まらなくなって、店の外に出て泣きました。自分では楽しんでやっていたつもりでしたが、やっぱり毎朝4時にお店に入って鍋を振っているのに全然認めてもらえない悔しさもあって……。今でもあの時のことを思い出すと胸が熱くなりますね」
◆父から教わった“仕込みの重要性”
そんな過酷な修行中、城咲さんにとって、今でも心に残っている父親との会話があった。その後の生き方にも大きく影響し、今の仕事において最も役立っている父親の一言があるという。
「修行中、親父に『お前さ、この仕事で一番大事なこと、楽しいことってなんだと思う?』って聞かれたことがあって。僕が『お客さんに美味しいって言ってもらうことでしょ』って答えたら、『違うよ、仕込みだよ』って言うんです。仕込みで手を抜いたら絶対にダメ。逆に仕込みが上手くいけば美味しいものが作れる。仕込みの一から十までを完璧に揃えるところに仕事の重要さと面白味があるのだと」
そんな話を聞いた城咲さんは、現状メインでやっているタレントの仕事を振り返ってみたところ、あることに気づいたのだ。
「今はテレビショッピングの仕事がメインなのですが、自分が紹介する商品に関しては徹底的に知識を入れていたんです。生放送だから視聴者からラインで質問が来ることもあるのですが、どんな質問が来ても100%躊躇なく答えられる、生産者と同じレベルで挑んでいました。それで気づいたんです、『あぁ、これが仕込みか』って。自分が今までやってきたことと、親父の想いは同じだったんです」
◆チャーハン修行後の仕事に対する変化
父親のイズムが自分にもあったことに気づいたわけだが、それと同時に父親に比べたら自分の仕事ぶりはまだ甘いことを知る。そこで、さらに磨きをかけるための努力を惜しまなくなったという。
「自分では100%準備していたつもりでも、まだまだ甘かったんです。ウチの岡山実という偉大な親父の『とことん準備』というものが入ったことで、もっと細かいこと、今までだったら端折っていたこと、もしかしたら番組としては必要ではないかもしれない情報まで頭に入れておくようになりました」
さらに、チャーハンの修行をしたことで、仕事に向き合う姿勢にも変化があったそうだ。
「この商品があるから僕は番組に出演できる。だから、この商品を徹底的にリスペクトし、絶対に良いモノだということを世の中に知らしめるんだ、という情熱を持って紹介するようになりました。それくらいしないと想いって届かないんですよね。そしたら番組のスタッフにも言われたんです、『仁さん、チャーハンの修行に入る前と後で言葉の重みが全然違いますね』って」
◆修行したことで店が延命した可能性も
修行のおかげで新たな発見がいくつもあった城咲さん。続けて「もし、父親のチャーハンを冷凍商品化しようと思わなかったら、今の自分はなかったです」と話した。それだけでなく、お店はもっと早く閉店していた可能性もあったという。
「親父の下で修業に入ってホントに良かったです。自分の甘さに気づき、もう一度人間形成されたので。最近、大きい仕事ばかり頂いているんですが、修行をしていなかったら今の自分はないので親父に助けられたんだなと。だから親父が倒れたとき、今度は自分が助けたい、親父にとって一番大切なお店を存続させたいと思い、仕事がないときにフォローとして厨房に立ったんです。それも修行していたからできたわけで、修行していなかったら親父が退院した時点でお店は閉店していたかもしれません」
◆人生について考え直す機会に
年内いっぱいで店じまいすることが決まっている丸鶴。父親のお店とはいえ、自分の人生にも大きく影響しているだけに、今回の閉店は城咲さんにとっても人生のターニングポイントとなった。
「チャーハン修行、親父の病気、お店の閉店と、今僕の人生においてターニングポイントがきたので、もう一度人生を考えさせられています。親父をサポートしつつ、あと2年はお店を続けると言っていたのに実現できなかった。もちろん、親父の体調が全てだから、自分がどうこうではないかもしれないけど、結果的に男として有言実行できていないわけで……。だから、しばらくは自分を恥じてみようかなと。今回のお店の閉店を機に、人に対する想いとか、仕事がもらえるのは当たり前のことじゃないとか、命があることとかについて、改めて考えてみます」
◆「城咲仁=容赦ない人生」は今後も続く?
今回の一連の出来事が人生を考え直すきっかけとなった城咲さん。これまでの出来事を思い返すと「容赦ない人生だった」と語る。
「僕はね、なんとなくわかっているんですよ、自分の星を。ホント、容赦ない人生なんです(笑)。定期的にトラブルは起こるし、どん底を見させられるし。学生の時は、腸捻転になりかけて死にそうになり、バーテンダー時代は、虫垂炎が破裂する寸前になって死にかけて。ホスト時代も何回かさらわれそうになったこともあるし。そんなことが起こった時は『これは一つ上のステージに行くための試練、ゲームだ』と自分に言い聞かせていました」
自分のレベルを上げて次なるステージに行くために、ちょっとしたボスを倒さないといけないゲームの感覚に近いのかもしれない。
「試練をクリアすると絶対に自分にとってスキルアップになるし、必ず次に開けた世界が待っているんです。ホスト時代に詐欺にあって、売掛金250万円を飛ばれたときも、なんとか自分で補填してクリアしたら一つ上のステージのナンバー1になれたし。そんな、人生における試練を全部クリアして、死ぬときに『やりきったな、俺の人生』って言いたいんです。おそらく死ぬ間際に走馬灯を見ながら『俺の人生、本当に容赦ねーじゃねぇか、ばかやろう!』って思うんじゃないですかね(笑)」
◆辛いことがある方が楽しい人生
「人生において定期的に辛いイベントが開かれるというのは、ある意味楽しい人生なんだなと思います(笑)」と笑顔で語っていたのがとても印象的だった城咲さん。辛いことに直面しても逃げ出さず、むしろ自分の経験値を上げるチャンスだと捉える前向きさは、なかなかマネできることではない。
常に感謝の心を忘れず、何に対しても真摯に向き合いう情熱的な男「城咲仁」の活躍は今後も目が離せない。
取材・文/サ行桜井
【サ行桜井】
パチンコ雑誌『パチンコ必勝ガイド』『パチンコオリジナル実戦術』の元編集者。四半世紀ほど勤めた会社を退社しフリーランスに。現在は主にパチンコや競輪の記事を執筆している。