働き方改革がもたらしたものは、良い側面ばかりではありません。2020年6月1日に施行されたパワハラ防止法をはじめ、ハラスメント対策への取り組みが進む一方、年々深刻化する「職場いじめ」の実態をみていきましょう。ハラスメント対策専門家である坂倉昇平氏の著書『大人のいじめ』(講談社)より、断ち切れない負の連鎖に巻き込まれる男性会社員の実例を紹介します。

「ブラック企業対策」「働き方改革」の陰で深まる“闇”

2010年代、「ブラック企業」への社会的な批判の高まりや、過労死・過労自死に対する遺族や支援団体の運動を受けて、政府が「ブラック企業対策」を政策に掲げ始めた。長時間労働による死亡や、業務によって精神障害が引き起こされるのを防ぐよう、国が対策を取ることを定めた過労死等防止対策推進法が制定され、「働き方改革」が推し進められた。2016年秋には、大手広告代理店の電通で1年前に起きた、新入社員の高橋まつりさんの自死が労災として認定され、これを機に、大企業における長時間労働対策が一気に進み始める。

このように、長時間労働やハラスメントが社会問題化し、それらは禁止すべき行為であると啓発されたはずだった。しかし一方で、こうした「改革」とは無縁どころか、しわ寄せを受けている職場もあった。

白昼の駅前で起きた流血事件

2010年代後半、20代男性のAさんは、メディア業界の下請企業に勤務していた。この会社では、業界大手の働き方改革の影響を受けて、かえっていじめと暴力が猛威を振るうようになっていた。

事件は、ある大都市のターミナル駅の前で起きた。その日、取引先に同行する外回りの仕事を、Aさんが、Aさんより数年早く入社したチームリーダーの先輩と終えた直後のことだった。

Aさんは先輩から、取引先の見送りには加わらず、すぐ事務所に戻って、当日のデータをまとめるように指示されていた。タクシーが駅前に着き、先輩と取引先を降ろして、自分はそのまま事務所に戻って作業すべくタクシーに行き先を告げようとした瞬間だった。

「なんで降りてこねえんだよ!」

先輩が声を荒らげた。理不尽なことに、さっき指示されたことと話が変わっている。Aさんが見送りする素振りも見せないことが気に障ったようだった。

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取引先がいなくなると…Aさんを襲った「理不尽すぎる」悲劇

取引先が駅構内に姿を消すと、束の間、平静を装っていた先輩は豹変した。歩行者や車が行き交う駅のロータリーで、Aさんは顔を握りこぶしで10発ほど連続して殴られ、続けざまに平手打ちされた。鼻と口から血がダラダラと流れ落ち、Aさんはコンクリートの路上に倒れ込んだ。

さすがに白昼の人通りの多い駅前だったため、驚いた通りがかりの中年男性が、「大丈夫ですか? 何があったんですか?」と声をかけて、止めに入ろうとしてくれた。しかし、Aさんは恐怖のあまり放心状態だった。自分が暴力を受けている理由も状況も理解できず、助けを求める声すら出すことができなかった。

すかさず先輩が、「関係ないんで、大丈夫です」と、中身のない返事をしてその場を取り繕い、男性を追い払った。

そのあとは、人気のない路地裏に無理やり連れて行かれ、暴行が続行された。「殺すぞ」「バカ」「クソ」と言われながら、Aさんは回し蹴りを受けた。Aさんの顔と体は赤く腫れ上がり、痛みは数日引かなかった。

しかも、恐ろしいことに、こうした流血事件は、見知らぬ人たちの目の前で血だらけになったということを除けば、この会社では決して珍しいことではなかった。先輩社員による後輩への暴力が、当然のように横行していたのだ。

Aさんの同期ら若手社員は、少しでもミスやうたた寝をしようものなら、この男性先輩社員から、すぐに拳で殴られた。徹夜作業をした翌朝に車で移動中、後部座席で居眠りをしていた若手社員が、顔面を靴で蹴り飛ばされたこともあった。

若手の男性社員たちは、全員が彼から殴られたり、蹴られたり、首を絞められたりしたことがあった。女性社員ですら、容赦なく胸ぐらを摑まれていた。

会議中でも、気に障る発言があったら、ボールペンのペン先を向けて、勢いよく投げつけられた。「お前、口ごたえすんのか?」と平手打ちを繰り返し、胸ぐらを摑んで大声で「説教」されることもあった。

ただでさえ暴力の理由は理不尽だったが、別の若手のミスをあげつらった後、「お前は自分が関係ないと思ってんのか」と殴打し回し蹴りを食らわせることもあった。先輩の勘違いやミスの責任をなすりつけられて、暴力を振るわれることもあった。

暴力の加害者は、この先輩だけではない。別の先輩リーダーも、仕事が間に合っていなかった若手の頭を何発も殴ったあと、分厚いファイルの角で頭を殴り、出血させた。被害者はやむをえず、しばらく血で汚れたシャツで仕事をしていたという。この会社では、先輩から後輩に対する暴力が「日常化」していたのだ。