職場での暴力が“容認”されていたワケ

ここまで読んで、疑問を持たれた方がいるかもしれない。若手社員たちは、暴力を会社に相談しなかったのだろうか? こうした暴力が社内で問題になることはなかったのだろうか?

実は、この先輩たちの上司は、暴力を事実上容認していた。若手が先輩に殴られているところを見ても、「見なかったことにする」と言い放ち、それどころか「若手は殴られるのも仕事の一つだ。俺らのときは自ら進んで、先輩が殴りやすいように頰を差し出したもんだ。気配りが足りてないんじゃないのか」と居直る始末だった。

冒頭の先輩も、「〇〇(上司の名前)さんは、自分が俺たちを殴ってたんだから、俺らに文句なんて言えるはずがない」と自己正当化していた。

のちにAさんが行った団体交渉の場でも、この上司は「暴力があることは知っていたが、ある程度は仕方ないかなと思っていた」と発言している。

長時間労働の「ガス抜き」としての暴力

一体なぜ、このような暴力が「解決すべきもの」ではなく、「黙認するもの」とされていたのか。この会社の社風や社員が、たまたま「異常」だったのだろうか?

実はその背後には、業界全体に蔓延る長時間労働の問題があった。しかも、この時期は、「働き方改革」のあおりを受けて特に忙しくなっていた。クライアントや元請けの大手企業の社員たちが、「長時間労働対策」によって土日にきっちり休みを取るようになり、それまで下請企業の社員たちと一緒に開いていた休日の会議が禁止された影響だ。

休日前に会議を終わらせるため、締め切りまでの期日が大幅に短くなり、下請企業の社員たちの労働の密度は一気に濃くなった。一日当たりの労働時間がさらに長くなったうえ、休日出勤もなくなるわけではなかった。平日に手が回らない仕事を休日にこなすためだ。

加えて、働き方改革に先立って、クライアントや元請け企業のコスト削減が深刻化していた。プロジェクトの単価が毎年削減され、そのしわ寄せをダイレクトに受ける下請けは、人件費をカットせざるを得なくなっていた。これに働き方改革による納期短縮が追い討ちをかけ、下請企業は残業代も払えないまま、社員一人当たりの業務量を増やすことで凌ぐしかなかったのだ。

こうした状況の下、チームリーダーである先輩たちは多忙を極めていた。上司が取引先から膨大な仕事を取ってくるため、チームリーダーたちはそれをさばくしかなく、どんな業務をどれだけやるかの自由がない。その代わり、後輩に暴力を行使する「自由」を与えられていた。殴る・蹴るなどの行為は、彼らの「ガス抜き」として会社から容認されていたのだ。

(広告の後にも続きます)

先輩社員たちの「暴力による労務管理」

チームリーダーを支えるAさんたちも、過酷な長時間労働に晒されていた。残業は毎月100時間程度あり、180時間を超える月もあった。厚労省が定める過労死ラインの約2倍だ。

Aさんたちは、プロジェクトの資料作成から、外回り業務に伴う様々な雑用までを行う。外回りが終わるやいなや事務所に戻って、その日の成果を資料化する。徹夜も頻繁だった。チームリーダーが翌日出勤して、すぐ仕事に取り掛かれるように準備しておくためだ。

寝不足のまま、翌朝、外回りの業務に出発することも多かったが、移動中の車内ですら寝ることは許されない。取引先の相手をする必要があるからだ。ミスやうたた寝をするなというほうが無理な話だったが、見つかった瞬間に先輩たちから殴られた。

そして、クライアントや大手元請けの働き方改革のあおりを受けた労働強化のせいで、ミスはさらに増加した。暴力やハラスメントは以前からあったが、この時期は特に過酷だったという。

チームリーダーたちは、若手たちがこうした長時間の労働に「耐えられる」ように、暴力を振るっていたともいえる。睡眠不足でボロボロでも、暴力への恐怖で思考停止に陥らせ、命令された業務を忠実にこなさせるのだ。もちろん離職者は続出していたが、残ったAさんたちは、長時間労働にも理不尽な業務にも文句を言わない従順な社員に仕立て上げられていった。

そして、つもりにつもった不満は、自分が仕事のリーダーになったとき、後輩の若手社員たちに向けて爆発する。不条理な業務と過労死レベルの残業を受け入れられる社員だけが残り、「暴力の連鎖」は、連綿と「継承」されていたのだ。

確かに、このシステムは会社が意図的に作ったものではないだろう。だが、「暴力の連鎖」は、この企業において実に「効果的」な「労務管理」の方法として、「役立って」いたことは間違いない。

坂倉昇平

ハラスメント対策専門家