37歳でグラビアデビューした“遅咲きのグラドル”、人生のどん底から44歳で初の“就職”が大きな転機に「今がいちばん充実している」

一般企業に勤めながら女優からグラビアまで幅広く芸能活動を行ない、“奇跡の45歳”と称される茜結さん。グラビアアイドルとしてデビューしたのは37歳の頃だった。彼女が遅咲きながら芸能界でチャンスを掴んだ舞台裏とは?

また、そんな彼女にも40代で訪れた“ミッドライフクライシス(中年の危機)”。

「自分は本当にこのままでいいのだろうか……」

そこで人生最大の挫折を味わい、44歳で初めて正社員として“就職”することになったという。今回は茜さんの波乱万丈の道のりから今後の展望まで、赤裸々に語ってもらった。

◆グラビアに目覚めた37歳「まさか自分がやるなんて思わなかった」

20歳で芸能界に足を踏み入れた茜さん。舞台俳優、音楽アーティスト、モデルなど、さまざまなジャンルを経験してきたが、グラビアを始めたのは37歳のとき。知人から「『ミスFLASH2017』のオーディションがあるから受けてみないか」と誘われたのがきっかけだった。

グラビアをやる選択肢など、頭の片隅にもなかったそうだが、「何事も経験のため」と割り切ってオーディションに参加したところ、意外にもとんとん拍子で合格していったという。

「書類選考から公開オーディションを経てカメラテストに合格し、そこからセミファイナルをクリアしてファイナリスト10人まで残ることができたんですよ。そこからスイッチが入り、勝つために時間の合間を縫って配信を続けたり、ファンの人たちにもたくさん協力してもらったり。

とにかく死ぬ気で頑張りましたが、グランプリにはなれませんでした。でものちに、ひょんなことから男性ファッション雑誌『BITTER』(※現在は休刊)のグラビア掲載権争奪オーディションのお誘いをもらって、リベンジも兼ねて受けてみたところ、グランプリを勝ち取ることができました」

◆長かった下積み時代を乗り越え、ようやく花開いた“遅咲きグラドル”


男性雑誌のグラビア掲載を皮切りに、ファーストDVD「ONE DAY」の発売やグラビア雑誌『URECCO』復刊第1号の表紙を飾るなど、“遅咲きグラドル”として頭角を現すようになる。

また、2018年には芸能関係の知人を通してバラエティ番組「有吉反省会」(日本テレビ系)に“年齢不詳のグラドル”として出演したことで、一躍有名になったのだ。

その後も、グラビア撮影会への参加やセカンドDVD「赤裸々な想い あなたに伝えたくて」の発売、俳優の仕事では映画『シネマインソムリエ』の配役オーディションを受け、40歳で初めて映画の役者デビューを果たす。

20歳から芸能の仕事を始め、30代後半になってグラビアや地上波の出演、役者としての初舞台を経験し、長い芸歴の中でようやく花開いたわけだ。遅咲きの苦労人としての心境を伺うと「人間として未熟なところが多く、自分でも随分と遠回りをしていたと思う」と茜さんは言う。

「大阪にいた頃は知識をつけるとか経験を積むとか、そういうことにしか意識がいかなくて。実際にどういう風に仕事を勝ち取っていけばいいのかとか、本当に何も考えていなかったなと思いますね……。ただ、下積みが長かったぶん、人生経験も普通の人よりは豊富になれたのかなと」

◆人生最大のどん底を経験

しかし、40歳を境にして徐々にメンタルバランスが崩れ始めたと茜さんは明かす。

俗に言う“ミッドライフクライシス(中年の危機)”に直面し、かつてない悩みを抱くようになったとのこと。

「20代から芸能の仕事に打ち込んできたので。今まで一度も就職経験がない自分と比べて、周りの友人・知人は会社でそれなりの役職やポジションについていました。何よりも最優先で芸能に人生をかけてきたのに、40代に入ってもそこまで有名になっていなければ、テレビのレギュラーの仕事1つさえない。

そんな自分に対して、急に悔しさや悲しさ、情けなさといった気持ちが込み上げてきたんです」

このまま、何も成し遂げられずに人生が終わってしまうのか。そんな思いにかられ、情緒不安定になって不眠に悩まされる日々。

さらに拍車をかけるように、派遣の職場でのパワハラや両親の他界など、絶望的な状況が重なり、人生のどん底を味わうことになる。

◆知人のツテで一般企業に就職。「運命に導かれているようだった」


精神的にも疲弊し、先の見えない将来への不安を感じていた茜さんのもとに、知人から突然の連絡があったのは、両親を亡くしてから2ヶ月後のことだった。

「昔に芸能関係で知り合った方から、『芸能系の経験がある企業広報を探している』と就職の話が舞い込んできて。その方は仲良くさせてもらっていましたが、個人的に遊ぶような方ではなかったのに連絡をくれたのは、『環境を変えなさい』という亡くなった両親からの導きなのかもと思い、運命的な流れを感じずにはいられませんでした。

私は芸能以外のアルバイトや派遣などでは、これまで接客業ばかりで、事務系の仕事経験もなければ、パソコンスキルもなかったのですが、それでも迷うことなく『就職してみよう!』という決断に至りました」

茜さんは44歳にして、初めて“正社員”として働くことになったのだ。不思議なことに就職をきっかけに人生がどん底の状態からどんどん上向いていき、現在に至るという。

「いろんなことを乗り越えて、本当に今がいちばん充実しているかもしれません」

◆母親である前に自分「“子どもがいるから”って諦めない」


彼女は芸能活動をしながら一般企業で働いているが、2人の子どもを育てるシングルマザーでもある。

自身が大切にしている考え方やポリシーはどのようなものなのか。

「何事も“子どもがいるから”って諦めないで、自分がやりたいことには徹底的に向き合う。頭で考えず、思い立ったら即行動することを心がけています。時間は有限ですし、気持ちが新鮮なうちに“当たって砕けろ”精神で挑むようにしていますね。

また、常に向上心を持って色んな新しいことに興味を持ち、変化のある毎日を送ること。そして、自分の思いを文字や言葉にすることも大事です。文字にすると頭が整理され、口に出して周りの人に言うことで、自分の行動に、さらに責任が出て、しっかりとその目的に向けて行動するように、導かれていくんです。必要な情報も集まりやすくなりますね」

シングルマザーとしての子育て法は「母親である以前に、ひとりの人間として、自分らしく生きる。そして、挑戦していく背中を見せること」だと語る。

「子どもは子どもの人生であって、最低限の注意や助言はするものの、基本は否定せずに、見守ることに徹していました。正直に言って、親らしいことは何一つやってきてないですし、いつも仕事で帰りも遅く、無鉄砲で自由奔放だったかもしれません。

にもかかわらず、意外と子どもは親の背中を見ているなと思っていて。ある日、娘が『ママはアホやけど、一人で私たちを育ててくれたのは本当に尊敬する』と不意に言ってくれたときがあって、とてもびっくりしたんですよ。その一言は、今でも鮮明に覚えていますね」

茜さんは、自分の価値を認めてくれる場所に身を置けば、必要としてくれる仲間に必ず出会えると話す。人との縁を大切にしてきた結果、就職先にも恵まれ、新たに人生の岐路に立つことができた。現在は企業広報の傍ら、結婚相談所のカウンセラーとしても働いている。

「将来は起業して結婚相談所を開き、人間関係や恋愛、メンタルで悩む人の心を少しでも軽くしたいなと思っています。そしていつかは、自伝本も出版したいですし、自分の歩んできた人生をドラマ化するのが夢です」

このような抱負を胸に抱き続ける茜さんの人生は、これからさらに面白くなっていくのではないだろうか。

<取材・文/古田島大介、撮影/藤井厚年>

―[茜結]―

【古田島大介】

1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている