「“営業力”は少年院で学んだ」逮捕歴14回の元ヤンキーが経営者として成功、“超富裕層”になるまで

野村総合研究所の定義としては、純金融資産額が5億円以上の世帯が「超富裕層」とされているが、2021年に行われた調査の結果では9万世帯と意外に多い。

にもかかわらず、その実態はあまり知られていない。超富裕層たちは、閉塞感の漂う今の世の中とは無縁の、驚くべき生活を送っているという……。

彼らはどうやってその地位にまで登りつめるのか。高い学歴や難易度の高い資格が必要かと思いきや、それらに頼らないどころか、むしろマイナスからスタートする者もいる。

今回は筆者の小学校時代の同級生で14回の逮捕歴を持つ元ヤンキー、そんな異色の経営者である岡 大和さん(仮名・35歳)に話を聞いた。

◆愛知県屈指の進学校を「中学2年生で退学」


30代にして4つの会社を経営している岡さん。事業内容は法務事務所、営業代行、不動産投資、エステサロン……と多岐にわたる。

彼の学歴は、愛知県屈指の名門中高一貫校である「東海中学校」によって、華々しいスタートを切った。生徒の半分以上が医学部に進む超進学校だが、彼はものの2年で退学してしまったという。

せっかく熾烈な受験戦争を勝ち抜いたのに、なぜ退学したのだろうか。

「きっかけは中学の入学式でした。小学生の頃からめちゃくちゃ勉強させられていたから、当時は『もうこれで勉強しなくていい!』と思っていたんです。親や塾の先生からも、そう言われていましたしね。

でも、入学式で校長先生が『君たちはもうゴールしたと思っていますよね? 違います、今ここからがスタートです』と挨拶していて、がっかりしたんです。まだ勉強しなきゃいけないのかよ!って。そこで、反抗的な態度をだんだん取るようになりました」

持ち込み禁止の“武器”を学校に持ってきたり、上級生と喧嘩をしたり、素行の悪さはどんどんエスカレートしていったのだとか。

「中学2年生で、ついに退学になりました。親はだいぶ落ち込んでいましたね。うちは代々歯医者で、子どもには医学部に行って欲しいと思っていたみたいなので。

親は諦めずに、僕は山奥にある、全寮制の中学に入れさせられました。そこも半分以上の生徒が医学部に行くような進学校だったんです。

でも、嫌すぎて脱走しました。今まで学校の中でしていた悪さを外でするようになって、ついに少年院に入るまでになりました」

そのまま転落……と思いきや、この少年院が、今の成功に大きくかかわることになる。

◆少年院では「刑務官のおかげで“営業力”がついた」

「少年院に入った時は、かなり衝撃を受けました。あそこには全く人権がないんです。大人と違って刑期が決まっていないから、刑務官が『こいつは更生したな』と認めてくれたら、外に出れる。刑務官の印象で、人生が決まるようなものです。

偉そうにしている刑務官に舌打ちをしたら、刑期を1か月伸ばされたこともありました。悔しすぎて泣いたのは、あれが初めてだったんじゃないかな。だいたい半年くらいで出て行く子が多いんですが、僕は20ヶ月いました」

つらい経験として、トラウマになりそうだ。しかし彼は「この経験があったからこそ、今この地位にまでたどり着けました」と明るい。

「どんなに嫌な奴とでも、うまくやれる技術がついたんです。刑務官の印象で刑期が決まるわけですよね。こちらは外に出たいから、内心ではどう思っていても、うまくやるしかないんです。

その後も何度か留置場や鑑別所にぶち込まれて、職員にすぐに気に入られるコツを徐々につかんでいったんです」

その後も逮捕歴は重なり、今では合計14回になる。最近では、入ってすぐ職員に信頼してもらえるのだとか……。

◆弁護士に出会い、法学部へ行くも、また「中退」


少年院には嫌な奴だけでなく、“いい大人”もいたのだという。

「一人だけ、親身になってくれた弁護士がいたんです。いつも『君はこんなとこにいるべきじゃない』って説得してきて、今思えば変わった人でしたが、当時はまっすぐに向き合ってもらえて嬉しかったですね。僕は親や先生からいつも問題児扱いされて、半分くらい諦められていたので。

少年院にいる子だって、みんなが根っからの悪人なわけじゃない。そいつらの家庭環境を聞いてると『もう、それはグレるしかないだろ』っていうような子ばっかりだったんです。そんな子たちの話も、弁護士さんは丁寧に聞いていました。

僕も法律を使って、誰かを助けられる存在になりたい。そう思って、弁護士を目指すようになったんです」

大検を取り、中央大学法学部の通信教育課程に入学。司法試験の模試では、全国トップの成績を取ったのだが……。

「司法試験って、逮捕されてから10年経たないと受けることができないんです。その後も何度か逮捕されていたので、このままだと弁護士になれるのはだいぶ先だと思って、中退しました」

一見、無駄に思える法律の勉強だが、この経験も今の法務事務所をやる上で、役立っているそうだ。

◆少年院で鍛えたスキルで「営業トップ」に


大学を中退してからは、何をしていたのだろうか。

「光通信の営業社員として働いて、すぐにトップになりました。楽勝でしたね。僕は少年院で、どんな奴にも気に入られるスキルを身に着けていたから、それが営業をする上で役に立ったんです。そしてサラリーマンをやめて、自分で会社をやることにしました」

どうやって会社を立ち上げたのだろうか。実家からの援助も大きかったのだろうか。

「親からお金を借りたことはありません。家族という意味では一度だけ、資本金500万を祖母からもらったきりです。

でも、その直後に1500万円の車を買ったので、会社としてはマイナス1000万からのスタートですね(笑)。しかも飲酒運転で事故を起こしてしまって、保険もおりずに丸損でした」

しかし、岡さんはめげない。少年院で鍛えた営業力は「営業代行」の会社で、大学で学んだ法律の知識は「法務事務所」で活かされて、事業はどんどん伸びていったという。今では不動産投資やエステサロンも経営していると話す。

◆去年までは「ブランドものに月300万」

気になる彼の暮らしぶりだが、大好きな蕎麦を食べたり、知人のスイーツショップを訪れたり、彼の暮らしぶりは意外と「普通」だ。服はいつもノーブランドで、経営者と言われなければ「どこにでもいる気さくなお兄ちゃん」といった感じだ。

「昔はブランドものが好きでした。名古屋で一番バーバリーを買ったお客さんだったんじゃないかな。毎月300万円以上買うと、コンラッド大阪で行われる新作の受注会に呼んでもらえて。その受注会でも、最低でも300万円以上は買わされるんですけどね。でも、去年からブランド物は全く買わなくなりました」

それはなぜか。

「土地が欲しいと思った時に、すぐにキャッシュで買えないからです。いい物件って、早い者勝ちなんですよ。売りに出たときに『今すぐキャッシュで1000万円用意できます!』って人が電話して、すぐに買っていくんです。土地の早い者勝ちレースに負けて、悔しい思いを何度もしました。

あと、ビジネスの規模が大きくなってきて、新しいことをするのにお金が必要になってきたんです。たしかに僕には相続した土地や会社の株があるから、資産額では数億円を保有しています。でも現預金は、商売をやる上でまだまだ足りていません。

それで、『あのブランドものを買ってなかったら、今ごろあのビルを買えたのかもな』と気づいてしまったんです。そもそも月300万円も服を買っても、全然着ないですしね」

最近した一番大きな買い物は「1億円のビル」だと笑っていた。

——名門中学の退学、大学の中退、10回を超える逮捕歴……決して平坦な道のりとは言えない、岡さんの人生。それはどんな逆境があっても、「超富裕層」として成功することができるという、勇気をもらえる。

筆者は彼と小学校の頃からの仲だが、彼から愚痴や恨み言を一度も聞いたことがない。相談するとアドバイスは全て前向きで、笑いに変えてくれる。先日、彼に「詐欺にあって〇万円を取られた」と泣き言を言ったら「僕もあるよ!1億円くらい騙された!」と、あっけらかんとしていて、悩みが吹き飛んだこともあった。

これからも彼は、誰かを助けるような存在であり続けるのだろう。かつて少年院で彼を助けてくれた、“いい大人”のように。

<取材・文/綾部まと>

―[超富裕層の生活]―

【綾部まと】

ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother