結婚式準備でケンカ。ブシュロンの指輪にホテルでの挙式、予算オーバーな30歳女の提案に彼は…

恋に仕事に、友人との付き合い。

キラキラした生活を追い求めて東京で奮闘する女は、ときに疲れ切ってしまうこともある。

すべてから離れてリセットしたいとき。そんな1人の空白時間を、あなたはどう過ごす?

▶前回:「また振られた!」慶応卒・外銀勤務の29歳女。毎回同じ理由で、彼氏に振られ続け…

プレ花嫁の憂鬱/絢音(30歳)「明治神宮・清正井」



「今日は、買い物行く時間がなくて、ありあわせでゴメン!」

絢音は、ダイニングテーブルに夕食をセットし、冷蔵庫からビールを2本取り出した。

「全然だよ!めちゃ美味しそう」

メニューは、パンチェッタと冷蔵庫の野菜を具にしたパスタに、サラダ。スキレットに流し込んで焼いたスパニッシュオムレツ。

チン!と軽くグラスを合わせてから、フォークにパスタを絡めた。

「うん。ありあわせの割に美味しくできた」

絢音は自画自賛し、淳也も満足そうにうなずいた。

その様子を見て、絢音が切り出す。

「ねえ、淳也。今週末のブライダルフェアなんだけど…」

「覚えてるよ。10時からでしょ?」

「うん、10時。で、せっかくだから、午後からもう1軒入れてもいい?」

絢音は、予約サイトの画面を淳也に見せる。すると淳也は、食べる手を止め、カトラリーを置いた。



絢音と淳也は、婚約を機に一緒に住み始めた。

IT企業に勤める淳也は絢音よりも2つ歳上の32歳。絢音は昨年転職したが、2人は同じ会社で知り合った職場恋愛だ。

渋谷区で生まれ育った淳也の希望で、代々木八幡で新居を探し、この部屋に引っ越してきて1ヶ月になる。

挙式は、来年の秋の予定だ。

絢音は今年、30歳。これまで、さんざん同僚、同期の結婚式に参列してきたので、自分の結婚式にも並々ならぬ思い入れがある。

淳也もそれはわかっていて、婚約指輪は絢音の希望していた通り、ブシュロンで買ってくれた。結婚指輪もブシュロンでキャトルを買う予定だ。

「先週は確か3軒ハシゴしたよね。今週は2軒?絢音は東京中の式場を見て回るつもりなの?色々見すぎて、目が肥えていつの間にか予算もどんどん上がってきてるし」

淳也はうんざりした様子だ。

「淳也は、結婚式がどれほど大事か、全然わかってない!」

絢音はムキになって言い返す。

「っていうか、やたらめったら見学に行くんじゃなくて、予算も限られてるんだから、場所とか料理とか、まず優先順位を決めたら?」

確かに淳也の言うことはもっともなのだが、絢音には面倒がってそう言っているように思えてならない。

「人と被りたくないっていう気持ちはわかるけど、友達がすでに使った式場以外って決めつけるのもおかしいと思うし」

絢音は、食べる手を止めて、考え込んだ。

「わかった。じゃあ、すでに予約済みの午前中のフェアだけ行こう」

日曜日。

午前中に2人は、麻布にある式場のブライダルフェアを見学し、お料理を試食したり、プランの詳細を聞いたりした。

結局、今日も何も決まらず、式場選びは迷走している。考えをまとめるために、カフェに入ることにした。

「うーん。やっぱいろいろ見たけど、式は本当の教会であげたいな」

「えっ、教会?」

淳也はラテを2つ注文すると、少しあきれた様子で言う。

「教会って、今初めて聞いたんだけど。だって、これまでホテルと結婚式場を見てきたじゃん」

絢音だってそれはわかっていた。

「うん。でも一周回って、やっぱりちゃんとした教会で式を挙げて、海外みたいなガーデンパーティーを開きたいの」

「あのさ、憧れる気持ちはわかるけど、ガーデンパーティーって日本の気候だと無理じゃない?」

淳也は、女性の結婚式に憧れる気持ちをまったくわかっていないと絢音は思った。だから、自分の本当の希望を声に出してみることにした。

「やっぱり碑文谷の教会かな。その後、ガーデンパーティーが無理なら、外資系ホテルで披露宴はどう?料理が美味しいところがいいよね。教会の場合、何回か通って講座を受けたりしなくちゃならないけど」

「信者でもないのに、わざわざ教会で挙げる必要ある?それに、参加する人のこと考えたら移動も大変だし、交通費もかかる。全部ホテルで済ませればいいじゃん」

淳也は苦い顔をしている。

「なるべく希望は聞きたいと思ってるけど、予算も青天井じゃないだろ?」

予算もそうだが、淳也はそこまでやる意味ある?と思っているようだ。

そんな淳也の態度に、結婚式をないがしろにされたような気がして、絢音はムッとした。

「こんなことで不機嫌になられても…。だいたいうちの実家も、絢音の実家も、その教会にはなんの縁もない。そこで式を挙げる意味がわからないよ」

淳也の実家は千駄ヶ谷にあり、絢音の実家は杉並区にある。都内ならどこで挙げても、問題がないと思っていた絢音だが、その場所を選んだ意味とか、予算とか言われると反論が思い浮かばない。

絢音は、下を向いて無言でラテをすする。

― 一生に一度のことなんだから、もっと真剣に考えてくれたっていいのに…。

そんな絢音の様子に気づいた淳也も何も言わずに外を眺めている。

だが、このままこの冷戦状態を家に持ち帰りたくはないと思った絢音。

「わかった。ごめん、私ってば結婚式のことになると熱くなっちゃって。これ以上は、ケンカになりそうだから、もうやめよう」

絢音の方から謝るが、淳也はため息交じりに答えた。

「いや、気持ちはわかるけどさ…。普段、わがまま言わないのに式場だけなんで?」

それは絢音だってわかっている。だが、色々妄想を膨らませながら、結婚式場を巡ること自体楽しい。それに、一生に一度と思うと、なかなか決断ができない自分もいる。

「淳也、疲れたでしょ?私、少し買い物していくから、先帰ってて」

少し気を使いつつ、一方でモヤる気持ちを抑えようと、絢音は席を立った。

「OK。またあとでね」

カフェを出るや、絢音はどこに向かうとも決めず、ズカズカと歩いた。

絢音の気持ちとは裏腹に、クリスマス間近の街はキラキラと輝いていて、幸せな空気に満ちている。

「もう!あんな言い方しなくたっていいじゃん。式場なんてどこでもいいみたいな言い方!」

そう思いながらも、帰るまでにどうにかこのイライラを鎮めなくちゃ、とも思った。

心を鎮めるためには、あそこに行くしかない。

メトロの入り口を見つけ、どこでどう乗り継ぐかも考えずに絢音は階段を下った。



― はぁ…日曜日だから混んでるけど、空気が澄んでいて気持ちいい!

絢音は大きく息を吸って吐いた。

絢音がやってきたのは、都内随一のパワースポット、明治神宮だ。

代々木八幡に引っ越してきて以来、時間ができると散歩をする場所だ。

大事なプレゼンを控えた日は、早朝に参拝してから出社することもある。いつもは自宅から近い参宮橋口から入るが、今日は明治神宮前でメトロを降り、原宿口から入った。

― 今日は絶対にあそこに行きたい。

いつもなら本殿まで歩きお参りして帰るのだが、今日はどうしても行きたいところがあった。

原宿口から大きな鳥居をくぐり、参道に入っていく。途中、絢音は参道から左に折れ、詰所で入場料を払うと、明治神宮御苑の中に進んだ。

参道を歩いているだけでも木々が生い茂り、都内とは思えない自然を感じることができるが、時間が許すときは、このエリアまで足を伸ばすことにしている。

ハスが浮かぶ池を通り過ぎ、のどかな田園風景を見ながら、歩き進んでいく。

絢音が行き着いた先は、「清正井」である。ここは、明治神宮御苑の中にあるパワースポット。

休日なだけに、かなりの人が並んでいる。絢音もその列に加わる。

「富士山から出た気が流れる龍脈の上にあるから、清正井は富士山から出るパワーを授かることができる」

絢音は、井戸の諸説を語る、観光客たちの会話に耳を傾けた。

そうこうしているうちに、井戸が見え、絢音の順がまわってきた。

木枠の掘り抜き井戸からは、澄んだ水が湧き出ている。

ここは明治神宮の中でもさらに一際、清らかな空気で満ちている気がして、心が落ち着いていく。

湧水に自分の顔を映しているうちに、自然とさっきの言動を反省する気持ちになっていた。

絢音はその場を離れると、参道に戻り、今度は本殿へ参拝に向かった。さっきのモヤモヤした気持ちはすっきりと消え去っていた。

参道を歩きながら、遠くの鳥居の方を見る。

すると、本殿からちらりと赤い傘が見え、太鼓の音が聞こえた。

「なんだろう?」

近づくにつれ、それが結婚式の列であることがわかった。

広い境内を神職や巫女に先導され続く、白無垢姿の花嫁と親族の列。絢音はうっとりとその列を眺めた。

「なんて素敵なんだろう」

それは、まるで平安時代の絵巻ものを見ているかのように美しかった。

1年後。

絢音はお支度を終え、鏡の中に白無垢姿の自分を見た。

清正井に行ったあの日、絢音は明治神宮の式に一瞬で心を奪われた。今までのように「素敵な結婚式を挙げたい」という曖昧な気持ちではなく、「どうしてもここで式を挙げたい」と強く思った。

あの神聖な場所、大好きな場所で大切な友人と家族に囲まれて結婚式を挙げたいと、真剣に思ったのだ。

「私、去年の今頃、血迷ってブライダルフェアばっかり行ってたよね」

絢音が思い出したように言うと、淳也が笑った。

「本当に毎週、毎週ブライダルフェアで招待人数とか予算とか聞かれて本当うんざりしてたな。あの頃は。

今日の、白無垢姿、すごく似合ってるよ」

一見、白無垢に綿帽子のトラディショナルなスタイルだが、綿帽子は繊細なレースのものを選んだ。また綿帽子の下は洋髪で、胡蝶蘭の生花をあしらってもらった。

「明治神宮で神前式を挙げたい」と淳也に言った時は、最初は「何に影響されたの?」と言われてしまった絢音。しかし、経緯を話すと、彼は大喜びしてくれた。

もちろん、両家の両親もだ。

高い木々の間から見える空は高く、青い。まもなくやってくる冬を感じさせる澄み切った空気も気持ちがいい。

最高の結婚式日和な日。絢音と淳也は、明治神宮の本殿前を参進し、挙式を挙げた。

「淳也、 これからもよろしくね!」



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