『孤独のグルメ』ドラマが始まり、原作者・久住昌之が困ったことがあった「松重五郎の声がする」

誕生から30年を迎え、’25年1月10日には初の劇場版が公開される『孤独のグルメ』。原作の久住昌之氏がこの30年を振り返った。

◆祝!『孤独のグルメ』映画化&誕生30周年・久住昌之インタビュー

――連載開始が1994年、最初の単行本が刊行されたのが1997年ですね。

久住:刊行前に雑誌が休刊になっちゃったんです。だんだんおもしろくなってきて、一冊にするなら終わりっぽい話が書きたかったのに、「あら、残念」って。なんとか単行本にはできたんですが、その際は井之頭五郎のセリフをずいぶん直しました。

のちに話題になった「俺はまるで人間火力発電所だ」といったセリフの多くは、連載時にはなかったんです。手探りで始めた作品が、連載を重ねるうちに、谷口ジローさんの絵とともにキャラクターがくっきりしてきたんですよね。それで全体を見直して、絵とさらに落差のある変なセリフにしていくことで今の五郎が出来上がっていきました。

――その後’00年に文庫化されてじわじわと話題になり、’08年に新作を発表。2009年に『週刊SPA!』で再び不定期連載が始まりました。’12年には深夜帯でテレビドラマも始まり、どんどんポピュラーになっていきます。

久住:ドラマが始まると、思わぬ弊害が現れた。漫画の原作を書こうとすると、頭の中で松重(豊)さんの声が聞こえちゃうんです(笑)。谷口さんの絵の五郎の話を作ってるのに。松重さん、邪魔(笑)って。

――間が空きつつも、30年を振り返って、大事にしてきたことは何ですか?

久住:それはもう谷口さんの絵を大事にすることに尽きます。次は谷口さんにどんなふう景を描いてもらおうか、どんな店を描いてもらったら絵が生きるかといつも考えていました。実は、漫画になっていない原作が一話あるんです。いわば幻の最終回。それを描かずに谷口さんは逝ってしまった。でも、僕はただ残念だとは思わないんです。谷口さんは天国から「どんな人生も、途中で終わるんだよ」と微笑んでいる気がして。

◆「僕がやろうかなと思うんですけど、大丈夫でしょうか?」

――映画(『劇映画 孤独のグルメ』)化にあたって、監督・脚本・主演の松重豊さんとは、どんな話をされましたか?

久住:丁寧な長いメールをもらいました。松重さんは最初ポン・ジュノ監督に打診したそうですが、スケジュール的な理由で実現まで至らず。そこで日本の監督をいろいろ考えたけれどしっくりこなくて、それだったらドラマと一番長い時間接してきた僕がやろうかなと思うんですけど、大丈夫でしょうか? というような内容でした。僕は、おお、その手があったか! と思い「それが一番いいと思います」と伝えました。

――映画はいかがでしたか?

久住:よかったです。「よかった、これはみんなおもしろいって言ってくれそうだ」とほっとしました。最初に脚本を読んだときは、ちょっと要素を盛り込みすぎじゃないか、松重さんは初監督で力が入って、あれもこれも詰め込みすぎたんじゃないかと心配になりました。だけど、試写を観たらスッキリしてて、何より映画として軽いのがよかった。大感動! みたいな大げさなところがなくて、ただおもしろい。それがいい。

◆世界に「五郎ちゃんごっこ」が広がれば戦争も減るのでは

――30周年を記念して、さまざまな作家さんが漫画やエッセイを寄稿したトリビュートブックも刊行されました。

久住:皆さん、その人らしさが感じられる作品ばかりでおもしろかったです。谷口ジローさんの井之頭五郎がいて、松重豊さんの井之頭五郎もいる。江口寿史さんも浦沢直樹さんも井之頭五郎になっている。皆さん、結局「五郎ちゃんごっこ」をしてるんですね。映画が外国でも公開されたら、世界に「五郎ちゃんごっこ」が広がらないですかね。そしたら戦争も少し減るのでは、なんて。

【久住昌之】

1958年、東京都出身。漫画家、音楽家。1981年、和泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画家デビュー。代表作に『孤独のグルメ』(作画・谷口ジロー)、『かっこいいスキヤキ』(泉昌之名義)、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子)など多数

取材・文/山脇麻生 撮影/加藤 岳