あのマーク見たことある、あの名前知っている。企業が自社の商品やサービスを、他社のものと識別・区別するためのマークやネーミング。それらは「商標」と呼ばれ、特許庁に商標登録すれば、その保護にお墨付きをもらうことができる。
しかし、たとえ商標登録されていても、実は常に有効な権利とはなり得ない。そもそも商標登録には、いついかなる場面でもそのマークやネーミング自体を独占できる効果はない。
このように商標制度には誤解が多く、それを逆手にとって、過剰な権利主張をする者も後を絶たない。商標権の中には「エセ商標権」も紛れているケースがあり、それを知らないと理不尽にも見えるクレームをつけられても反撃できずに泣き寝入りするリスクがあるのだ。
「エセ商標権事件簿」(友利昴著)は、こうした商標にまつわる紛争の中でも、とくに”トンデモ”な事件を集めた一冊だ。
第3回では、女性誌が、ロックバンドのロゴに異議を唱えた「ELLEGARDEN事件」を取り上げる。(全8回)
※ この記事は友利昴氏の書籍『エセ商標権事件簿』(パブリブ)より一部抜粋・再構成しています。
仏ファッション誌と日本の人気バンドの意外な商標トラブル
例えばポップスグループのABBAとアパホテルを間違えることがあるだろうか。ロックバンドのクイーンとクイーンズ伊勢丹を間違えることがあるだろうか。これはそういうバカバカしい事件である。
フランスの女性誌ELLE(エル)を発行するアシェット・フィリパッキ・メディアが、日本のロックバンドELLEGARDEN(エルレガーデン)を、商標権侵害と不正競争防止法違反で訴えた。バンド名の一部に含まれる「ELLE」を勝手に使うなというわけである。
ファッション誌がロックバンドを訴えたというだけでも、意外過ぎる対戦カードだが、その要求も理解しがたい。
「ELLE」と「ELLEGARDEN」では全体として明らかに異なるではないか。しかも「ELLE」という語は、フランス語で「彼女」(She)を意味する平易な単語であり、フランス語由来の商品名や店名などの一部に頻出する。「ELLE」そのものはアシェット社の登録商標だとしても、「ELLE」を含む言葉をすべて独占しようとするのは強欲といわざるを得ない。
ちなみに、ELLEGARDENのバンド名の由来はフランス語の「ELLE」ではなく、ドイツ語の「ELLE」(エルレ。尺骨に由来する長さの単位)とされる。
理不尽事件のきっかけは、最初のクレームに屈したから?
事件のきっかけは、ELLEGARDENが活動初期に使用していた「ELLE」と「GARDEN」が二段に分かれたバンドロゴの入ったアルバム(図1)を見つけたアシェット社が、ELLEGARDEN側に使用中止を求めて警告したことだった。
確かにこれは「ELLE」の部分が目立つので気持ちは分からないではなく、バンドの当時の所属事務所も、要求を容れてCDを回収し、「ELLEGARDEN」の一続きのロゴに変更して再出荷している(ただし、後の裁判で、このロゴをCDにおいてバンド名として使用しても、「ELLE」ブランドと何らかの関係を有すると誤認混同されるおそれはないと判断されている*1)
*1 知財高裁平成20年(行ケ)10347号事件
ここまででアシェット社は矛を収めておけばいいものを、調子に乗った同社は、今度は同バンドのコンサートグッズやバンドスコアなどにおける「ELLEGARDEN」の一続きの表示に対しても、次々と使用中止を要求したのである。
「悪いと思ってんならコレも止めろ、アレも止めろ」とは、いかにもなクレーマーだ。この警告にELLEGARDEN側が応じなかったので、訴訟に至ったというわけだ。
なお、回収されたアルバムに関しても、製造業者の手違いにより旧版が一部増刷され市場に出回っていたことから、こちらも改めて差止請求訴訟の対象とされている。
ELLE誌が展開する苦しい主張のオンパレード
しかし、繰り返すが両表示が似ているとは思われないし、またELLEGARDENのコンサートグッズやバンドスコアがELLE誌の関連商品だと誤解されることがあり得るだろうか。
あり得ないと断言できる。そもそもこうしたバンドの公式商品は、そのバンドのファンに向けた商品だ。ファンにとって、ELLEGARDENがELLE誌と関係がないことは自明である。
【図2】ELLEGARDEN SPACE SONIC TOUR Tシャツ
加えて、彼らのグッズには、いかにもパンクバンドらしい、ドクロや血の滴りなどの禍々しいデザイン、DEADやSHITといった血なまぐさい表現があしらわれている(図2)。ELLEGARDENを知らない、高所得層のOLやマダムが中心のELLE誌読者にとっても、明らかに別物としか思えないだろう。
実際、混同可能性についてのアシェット社の言い分は苦しいものだった。例えば、検索サイトで「ELLE」と入力すると、ELLEGARDENのウェブサイトも検索結果に表示されてしまうなどというのだ。しかしこれは、「インド」と検索して「インドネシアの情報も出てきてしまう」などと言って勝手にキレているのと一緒である。検索サイトの仕様や自社のSEO対応の弱さの問題でしかなく、それを商標権侵害であるかのようにこじつけているに過ぎない。
さらに、「ELLE」の関連商品を購入しようとウェブ検索して、ELLEGARDENのサイトにアクセスしてしまった人は、そこから何クリックかすれば、ELLEGARDENのサイト内のツアーグッズ通販ページに辿り着いてしまうのだから、混同のおそれがないとはいえないとも主張した。
フィルタリングが必要な子どもじゃないんだから、いい大人がそんな迂闊な間違いをするだろうか。事件当時に近いELLE誌の媒体資料(2010年調べ)によると、同誌の読者は「6割近くがフルタイムの仕事に就いている有識者」だというが、その割には、読者の知能レベルを相当低く見積もっていることがうかがえる。
裁判所の判断の決め手は……?
こんな詭弁のような主張で、アシェット社が勝てるわけがない。実は東京地裁では、「ELLE」と「GARDEN」は別々の単語に分解することができるという理由で、アシェット社に有利な判決が出たのだが、控訴審ではELLEGARDEN側が怒涛の反論を展開。ELLE誌と無関係の「ELLE〇〇」からなる商品名や登録商標の例を多数証拠として提出し、バンド名の使用を制限されることは表現の自由の侵害と訴えた。
その結果、知財高裁は、ELLEGARDEN側の主張をほぼ全面的に認めている。両商標が混同される可能性について、ELLEGARDENのグッズのデザインがELLE誌のイメージとまったく異なるパンクロック調であることや、デパートなどの一般市場ではなくライブ会場やバンドの公式サイトで販売されるツアーグッズである点、バンドの活動実績などを踏まえ、「およそ重なる余地がないものといわざるを得ない」「商品の出所の混同を来す場合があるとは容易に想定し難いというべき」と全面否定した。そして以下のように述べ、「ELLE」と「ELLEGARDEN」は非類似の別物と認定している。
<総合的に考慮すると、被告標章〔ELLEGARDEN〕は、それ自体の体裁、その現実の使用態様におけるイメージ、実際の販売方法、著名なロックバンドの名称として相当程度の期間使用されてきたという事情等からして、〔…〕本件ELLE商標が著名であることを考慮したとしてもなお、「ELLEGARDEN」という被告標章を「ELLE」部分と「GARDEN」部分とに分断すべきものと解することはできない>
見事な逆転勝訴でフランス企業の暴走を阻止!
こうして、ELLEGARDENはアシェット社に見事勝訴を収めた。唯一、最初のクレームの対象になったアルバムだけは差止請求が認められたが、これはELLEGARDEN側が既に自主回収を決めており、争わないと表明していたからであろう。
裁判で「判決の結論にかかわらず、以後についても一切使用する意思などない」とハッキリ宣言されている。さらに、前述の通りこのアルバムの表示については、別件の訴訟で「『ELLE』ブランドと誤認混同のおそれはない」と、合法と認定されたも同然の判決が出ている。実質的にはELLEGARDENの全面勝訴といえよう。
実はこの事件以前から、アシェット社は日本で「ELLE」という言葉を含む商品(JOELLE、ELLECLUB、ELLE MARINEなど)を販売する事業者に対する訴訟を乱発し、事業者から恐れられていた存在であった。しかしELLEGARDENに敗訴した後は、こうした傾向は鳴りを潜めている。2023年には、「HOTEL ELLLE」という富山県のラブホテルの商標に異議申立をしたが、負けている。
「ELLE」を含む言葉の過剰独占を目論んだアシェット社の暴走を食い止めたロックバンドELLEGARDEN。その功績は大きいといえよう。バンドはこの裁判の勝訴を見届けた2008年に活動休止したが、2018年に同名で再始動。その後も精力的に活動している。