本来子どもの成長において、親の存在は必要不可欠。ただ、子どもに悪影響を及ぼす“毒親”と呼ばれる親もいる。この言葉は世間に浸透しつつあるが、実態を知るものはどれだけいるだろうか。
「暴力、教育虐待、性的虐待、経済的虐待……すべてのジャンルの虐待を、実父と継父から経験しました」と話す25歳女性のumiさんに、毒親被害を赤裸々に語ってもらった。前回、実父による痛ましい虐待の実情を伺った彼女に、今回は継父による虐待被害を聞いていく。
◆継父から受ける性的虐待
「母親が再婚した男性から性的虐待を受けていたのは、小学5年生から中学1年生までの3年間でした。その期間は本番も求められて……。記憶がある限りでは5回くらいかな。生理も始まった頃なので、『妊娠しちゃったらどうしよう』と怯える日々でした」
このことは自分でもショックが大きく、記憶があまりないと語る。
彼女が小学5年生のとき、母親が実の父と離婚。そして継父と再婚したのは翌年6年生のとき。しかし性暴力は、母親が実の父と離婚する前から始まっていたという。
「離婚する前、後に義理の父親となる人とすでに出会っていました。実の父と離婚していないのに『結婚を前提に子どもたちにもぜひ会いたい』とその方に言われたようで、わたしたちきょうだいも一緒に行くことになったんです。きょうだいは兄と弟ですが、唯一の女子である私にだけ明らかにデレデレしていて、気に入られているのがわかりました。その初対面の日、お母さんが『一緒にお風呂に入れば』と言い出して、断れずに入ることになってしまって……。その人は大きい会社で働いていたので、母は金銭的に余裕がある人と結婚したかったのだと思いますが、お風呂に入ることで私を差し出そうとしたのか、それとも本当にデリカシーがないのか、理解に苦しみます」
小学生とはいえ高学年を目前にした女の子は、否が応でも「女」であることを突き付けられる時期だ。平たかった胸がふくらみ始め、生理が始まり、肉付きも女性らしくなっていく。
身をもって「女」を自覚させられた彼女たちは、男性を区別し、たとえこれまで関係がよかった父親でさえ、言いえぬやり場のない感情を持つこともしばしばだ。
「母親が離婚する前の継父とのエピソードはまだあります。新居に引っ越そうとお家の内見をしている最中、みんなが見ていないところで胸を触られたりもしました。泊まりに行ったときは、胸を1時間以上触られたこともあって……。本当に怖くて、気持ち悪くて、嫌でした」
そして母親は実の父と離婚し、直後にこの男性と再婚。それ以降はそんなことが日常茶飯事になったという。
「一緒に住み始めてからは、毎日のようにお風呂を覗かれたり、寝ているときに胸を触られたり……。変に刺激すれば本番に進んでしまうかもしれないという恐怖もあって、抵抗もできずに耐えることしかできなくて。パンツに手を入れられたりすることもよくあったし、すべて義理の父の気分次第という感じでした」
◆母親に訴えるも、返ってきた「まさかの一言」
母、兄、そして小学生の弟も一緒に住んでいるので、家で継父と二人きりの時間は少ない。家族は継父の行いに気が付いていたのか、どう思っていたのだろうか。
「実は一緒に住み始めてしばらく経ったときに、母親に訴えたんです。それまでは、なんでも悲観的に考えてしまっていて『自分が悪いからこんなことになっているのにお母さんを悲しませちゃいけない』と思って我慢していました。でも義理の父親からの行為が続いたことで精神的にあまりにツラくなって、大泣きしながら相談したんです。『こんなことしてくる人と一緒にいたくない』って」
生みの親であり、育ての親でもある実の母親。その人が味方であると信じて一世一代の告白をしたが、返ってきたのは優しい言葉ではなかった。
「そうしたら顔を真っ赤にして怒り始めて、髪の毛を思い切り引っ張られながら、『スキンシップでしょ! そんなことくらい我慢できなくてどうするの!』『悲劇のヒロインぶるんじゃない!』など怒鳴られ続けました。ようやく話すことができた苦しい想いを受け取ってもらうどころか、精神的に打ちのめされてしまい、とても屈辱的で、寂しくて……。もうこの世から消えてしまいたいと思うようになりました」
◆ネット上に書き込んで救いを求めるも、逆効果に…
「私なんか生まれてこなければよかった」「私がダメだから、みんなに嫌われちゃうんだ」と物心ついてからずっと思わされた彼女は、母親という拠り所を失い、生きることにネガティブになり、よくないことを考え始めていた。それでも彼女は誰かわかってもらえる人に出会えることを諦められなかったという。
「リアルの知り合いで、こんなことを話せる人はもういませんでした。学校ではいじめを受けていたりもしたので、『みんなから嫌われている可哀想な子』とか、『だから嫌われるんだよ』と思われるのが怖かったんです。だから、ネットの相談できる場所に継父の性的虐待のことを書き込んでみることにしました」
話を聞いてくれるだけでいい、そんな気持ちはここでも実らなかった。「おじさんとも、そういうことしてくれる?」「お父さんが羨ましいな~、なんちゃって」といった心ないコメントやダイレクトメールが届き、精神的にいよいよ本当に追い詰められたという。
「このままではどうにもならず、信頼できそうな人だと思って相談したのが当時の担任の先生でした。女性の先生で、初めて私の話の一つ一つを受け入れてくれた人です。学校のいじめのこと、継父の虐待のこと、母が味方じゃないこと……。『あなたは何も悪くない』と力強く言ってくれたことが何よりの救いでした」
◆児童相談所の担当者からのセクハラ発言も
先生はその後、児童相談所に報告。その後担当者が来て学校で面談をしたという。
「40代くらいの男性が来たのですが、ここでも『新しいお父さんにイヤらしいなことされたんでしょう?』とニタニタしながら言われました。そのあと、児童相談所に報告したことがお母さんにもなぜかバレて『あんた、余計な事ベラベラと喋って!』とビンタされヒステリックに……。こんな目にばかり遭うのはやっぱり私が悪いんだ、と引き戻されてしまいました」
味方を探して、なんとか見つけた相談相手にまでセクハラ発言をされ、さらに精神的に追い込まれてしまったumiさん。それでも「担任の先生は味方でいてくれたので、『わかってくれる人が一人いるだけでこんなに救わるのか』とも思えました」と話した。
◆命の恩人との出会いがすべてを変えた
そんな命の恩人となった担任の先生は、その年度で異動となったが、中学3年生の先生にも情報が共有された。さらに高校生になった際にも、その先生からの引継ぎがなされたという。
「信頼できる人に出会うことはとても難しいです。私と同じように苦しんでいる人がいたら、それでも絶対に出会えるから諦めないでいてほしいと伝えたいです。出会うまでに多くの心ない人に会っても、どうか自分のことを責めずに現状を変える希望を持って生きてほしいと思います」
その後、高校生になってからは性的な被害は落ち着いたものの、愛情のない親との生活は窮屈であることには変わらず、「なんとか高校生までは我慢しよう」と思いながら日々過ごしていたという。
そして高校卒業後に家を出ることを決意。それ以降も多くのトラブルがあったようだが、現在は家族全員と縁を切り、webデザイナーというやりたい仕事に就いて、恋人とともに支え合って暮らしている。困難が多い人生を歩んできた彼女の話には、困難を強みに変えようとする力強さを感じられた。
取材・文/なっちゃの
【なっちゃの】
会社員兼ライター、30代ワーママ。世の中で起きる人の痛みを書きたく、毒親などインタビュー記事を執筆。