インスタグラムやブログでフォロワーの体験談を基に、不妊治療のあるある・衝撃体験マンガを描いているぺ子さんによる、乳がんを患った母との思い出を描いたマンガ。
ペ子さんが9歳のとき、母が乳がんの手術を受けますが1年後に再発。肺への転移もわかり再入院します。その後、体調が安定して職場に復帰した母でしたが、脊髄への転移がわかり再び入院生活へ。
母の死を受け止められず…
長期入院をしていた母が退院し、これからは家で診ることに。ペ子さんは、母が家にいることがただうれしくて、よくなることを信じて疑いませんでした。そんなある日、父が「お母さんの最期だ」とペ子さんたちを起こしに来たのです。父に「手を握ってやってくれ」と言われ、母の手を握ったぺ子さん。母は40歳で旅立ちました。当時11歳のぺ子さんには受け入れがたい現実でした。
通夜にはたくさんの人が訪れましたが、現実を受け止められないペ子さんは……。
亡くなった後の母は笑顔でした。
闘病中、私の中で母がつらそうにしていた記憶がありません。
でも、乳がん、肺がん、骨転移。闘病中、苦しくないわけがありません。
お母さんは、ずっと耐えていたんだな……。
通夜にはたくさんの人が訪れてくれました。
兄と私は、現実を受け止めたくなくマンガを読んだりして過ごしました。
悲しいとか寂しいとか、そういう感情はこのときにはあまりなかったのです。
でも、母の冷たい顔、冷たい手。温もりがなくなった母の体をなで、母がこの世からいなくなったことを少しずつ実感していきました。
もう、あのころのお母さんは戻ってこない……。
ゆっくりゆっくり、母の死が現実になっていきました。
----------------
母の死を受け入れるのは並大抵のことではないでしょう。それでも、冷たくなった母の体に触れると、あのころの母が戻ってこないことを悟るペ子さん。11歳のペ子さんが受け止めるには、とても重たい現実ですね……。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
著者/ぺ子
不妊治療を経て3人出産。Instagramのフォロワー様からいただいた体験談を基に、不妊治療のあるある・衝撃体験マンガを描いている。Instagram:@pntmaster