「家族に紹介してほしかったのに」年末年始を彼氏と過ごせなかった29歳女の憂鬱

◆前回までのあらすじ

ベンチャー企業を経営する29歳の明里と、広告代理店勤務で27歳の亮太郎は、クリスマスに同棲を始める。

しかし、呑気に同棲を楽しみ「釣った魚に餌をやらない」状態になりつつある亮太郎に対し、明里は違和感を感じ…。

▶前回:年上彼女から、“ボッテガのキーケース”をプレゼントされた男が困惑したワケ

Vol.3 2週間<明里>



「それで、明里!亮太郎くんとの生活はどうなの?引っ越して2週間だっけ?」

骨董通りのスタバで買ってきたばかりのソイラテを飲みながら、菜奈が言った。

「うん、まあ…幸せだよ」

「やーん♡惚気ちゃってぇ〜!いいなぁ、彼氏と同棲。そのくらいの時期が一番楽しいんだよねぇ」

青山のシェアオフィスに、菜奈の黄色い声が響き渡る。

菜奈は、私の共同経営者だ。青山学院大学の経営学部の同級生で、学生時代に同じゼミで知り合い意気投合した。女性の活躍支援のベンチャーを一緒に立ち上げて4年になる。

「同棲が順調となれば、いよいよ明里も結婚間近だね。会社もちょっとずつ大きくなってるし、仕事もプライベートも絶好調だね」

ウキウキと声を弾ませながら、菜奈はラテを飲む。その左手の薬指には、ハリー・ウィンストンの大きなダイヤモンドが光っていた。既婚者の菜奈がそういうのだから、きっとその通り私の生活は順調なのだろう。

けれど…。

返事を言い淀む私に、菜奈が怪訝そうな顔をして尋ねる。

「どしたの明里。亮太郎くんと何かあった?」

「ううん。別に、何かあったとまではいかないんだけどね。実は…」

実際に、亮太郎との生活は順調だ。

多忙でなかなか会えなかったときに比べたら一緒にいられる時間は格段に増えて、この2週間とても幸せな毎日を送っている。

けれど、ふとした時に感じる違和感があるのだ。私は、その心の引っ掛かりを菜奈に打ち明けることにする。



亮太郎の部屋に引っ越してきた当日からそうだった。

ふたりきりの質素なクリスマスパーティーに、どこか噛み合わない会話。

初日は見逃していたその小さな違和感がくっきりと浮き彫りになったのは、翌日の朝のことだ。

大手広告代理店でクリエイティブ職を務める亮太郎の朝は、私ほどは早くない。

引っ越しの翌日の月曜日。

朝の8時半を過ぎた頃、早速私がリビングの片隅でルーティンであるメールのチェックと返信をしていると、やっとのそのそと寝室から起きてきた亮太郎が言う。

「明里、おはよ。引っ越し翌日からしっかり仕事して偉いね」

「おはよう、亮太郎」

亮太郎は寝ぼけ眼のまま、ソファに座った私を背後からぎゅっと抱きしめる。

まるで大型犬がじゃれついてくるようで私は思わず、実家で唯一好きだった家族、ゴールデンレトリバーのソラのことを思い出した。

「ちょっと亮太郎〜」

朝日が差し込むリビングに私たちのクスクスという笑い声が響く。

けれど、次の瞬間。

軽いキスと共に亮太郎が言った言葉に、私ははっきりとした疑問を覚えたのだ。

「で、今日の朝ごはんは何かな〜?」

「え?」

「ん?朝ごはん、明里食べたでしょ?俺のは?簡単なので大丈夫だよ」

理解するのに、しばらく時間がかかった。

どうやら亮太郎は、先に起きている私が、2人分の朝食を準備するものと思っていたらしい。

そのことにようやく気づいた私は、疑う余地もない亮太郎の様子を前に、慌てて返事をする。

「あ…あ、ごめん!知ってると思うけど、私朝は食べないことも多いから。何も考えてなかったよ」

すると亮太郎は、別に気分を害した様子もなく、ニコニコと答える。

「そかそか、そうだよね!てか、引っ越してきたばかりだもんね!大丈夫。昨日の夜のチキンの残りとかあるし、テキトーに食うからさ」

「うん、なんかごめんね」

あまりに自然な亮太郎の言い方に、意思には反して反射的に謝罪の言葉がでてしまう。

そんな私に向かって亮太郎は、仕事の邪魔をしないよう気遣ってのことか、「がんばって」と口パクでリアクションしながらキッチンに向かう。

そして、自分の分ついでに私にも熱いコーヒーを淹れてくれて、それから会社へと向かっていったのだった。

お互い別々の家に住んで、お泊まりをしていた時には、こんなことは一度もなかったのに。

朝食は基本的には、デート中に『トリュフベーカリー』なんかに一緒に行って買ったパンを朝食にしたり、『ベーカリー&レストラン 沢村』などのカフェにモーニングをしに行くことが多かったのだ。

― あれ?昨日のことといい…これってもしかして、当たり前に私が料理担当ってことになってる?

その予感は当たった。

一緒に暮らし始めてからこの2週間、亮太郎はいつもウキウキした様子で私の手料理を楽しみに帰ってくる。

けれど、亮太郎がそう思い込んでしまうことに、心当たりがなかったわけではない。

― これまで、散々言ってきちゃったもんなぁ。

多忙な時期の亮太郎は、仕事の終わり時間がなかなか読めない。

そのせいでレストランデートは待ちぼうけをくらうこともあったため、これまでに何度も伝えてきたのだ。

「亮太郎の部屋にいてもいい?ご飯作って待ってるから。私がそうしたいの」

と…。

料理は好きだし、私の手料理を美味しいと言ってくれるのはすごく嬉しい。

だけど、朝食も夕食も当たり前のように私の担当になっている現状には、少し違和感がある。

「せっかくの明里の手料理だもん。ちゃんとしたテーブルで食べなきゃもったいない」

そう言いながら先週の日曜日は、ふたりで目黒通りの家具店を何軒も回って、ダイニングテーブルを購入した。

そのダイニングテーブルを、「少し遅れたけど、明里へのクリスマスプレゼント」とされたときも、嬉しさと同時にモヤモヤとした気持ちが湧いてきたことに、亮太郎はきっとまだ気づいていないだろう。



そこまで話すと、菜奈は再び大きな声を上げた。

「ええー!ねえ。ちょっと私、ドン引きなんですけど!」

「ちょっと菜奈、声が大きいって…」

菜奈をたしなめながら、私はつい眉をひそめる。

自分でも身勝手だと思うが、多少の違和感はあるとはいえ、亮太郎は大好きな彼氏なのだ。他人からけなされれば、自分を差し置いて腹が立った。

「そんなふうに言わないでよ。色々愚痴ったけど、ドン引きってほどじゃないんだよ。

多分亮太郎は何にも考えてないだけで…優しいし、大事にしてくれるし、私にとっては最高の彼氏なんだから」

腹立ち紛れにそう弁解するけれど、次に菜奈から返された言葉は、私の予期したものとは違っていた。

「違う違う違うよ、亮太郎くんじゃないって。私がドン引きしてるのはさ、明里にだよ」

「…へ?」

菜奈はデスク越しにぐい、と身を乗り出しながら、険しい表情を浮かべる。

「いい?私は同棲経験ナシで結婚しただけだから、状況は色々違うかもしれないよ。でも、これだけは言える。

言わなきゃなんにも伝わんないの!グチグチグチグチ心の中で不満を溜めてるだけじゃダメなんだよ」

「でも…」

「お互い好きとはいえ、全くの他人同士が共同生活をするんだよ。うまくいかないことや、不満や違和感があって当然だよ。

大の大人が一緒に暮らすのって、家族とだって大変なんだから。…明里ならわかるでしょ」

「うん…そりゃ、ああいう家族だし」

私の家族問題についてよく知っている菜奈の一言に、思わず肩をすくめる。

そんな私の様子にハッとしたのか、菜奈は言葉を緩めた。

「とにかく、ちゃんと話したほうがいいよ。亮太郎くんが何も考えてないっていうけど、彼のそういうのんびりしたところが好きなんだもんね。多少は明里の方がリードしないと。

もうすぐ30歳で同棲。これって結婚の予行練習でしょ?小さな違和感のうちに解消しておけば、大きなすれ違いを防げるってもんよ。だから、いまのうちにちゃんと話すといいよ。それでダメならそもそもダメなんだし、勇気出さなきゃ」

「うん、そうだね。ありがとう」

労わるような優しい口調でアドバイスをくれる菜奈に、私は微笑みながらお礼を言う。けれど私はその実、わかったフリをしていた。

誰もが菜奈みたいに強いわけじゃない。

誰もが菜奈みたいに、年上の恋人の方から結婚を熱望されて、愛情豊かな家族から祝福してもらえるわけじゃない。

誰もが菜奈みたいに、「一生ひとりの人生なら、それはそれでOK」なんて割り切れるわけじゃない。

自分の家族にいい思い出がない私はその反動なのか、絶対に絶対に、あたたかい家庭を持ちたいのだ。

亮太郎みたいな、穏やかで愛情深い人と。

亮太郎とケンカなんてしたくない。

一緒に住んでる相手に、居心地が悪いなんて思われたくない。

そのためには、大したことでもない不満をヘタに口に出すより、できるかぎりの努力をしたほうがいいと、私は思う。

とくに、あんな過去があった亮太郎には、何の心配もない穏やかな時間を過ごしてほしかった。

私が絶対、亮太郎を幸せにする。

「なんか、冷静になってみたら偉そうにいろいろゴメン。でも、ほかにグチは?明里はすぐに溜め込んじゃうから。発散できるなら、この際なんでも言っちゃえ!」

鼻息荒い先ほどとは打って変わって、ションボリと体を縮めながら尋ねてくる菜奈の様子に、私はつい吹き出しそうになる。

家族との折り合いは悪いものの、こんなふうに本気で私のことを心配してくれる憎めない親友に恵まれたことについては、神様に感謝していた。

「うーん、そうだなぁ。強いて言えば、私はこの同棲をスタートさせる時に亮太郎を家族に紹介したのに、向こうはまだご家族を紹介してくれないこと?

この年末年始も、実家には亮太郎ひとりで帰っちゃったし」

「それは、同棲して2週間なら、まだ焦らなくて平気でしょ。大丈夫!来年のお正月には、明里も亮太郎くんの実家でおせち食べてるって!」

「うん、そうだといいんだけど」

気を取り直してスタバのソイラテのカップを傾ける菜奈の手で、またしてもダイヤモンドがきらりと瞬いた。

既婚者の菜奈が言うのだから、きっとその通りなのだろう。



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「自分が亮太郎に合わせればいい」と決意する明里。一方の亮太郎は…