例えば社員数40人の会社や学校のクラスなどの集団があったとして、自分と同じ誕生日がいる人の確率は?と言われたら「そんな偶然はないだろう」と思う人が多いのでは?京都大学大学院医学研究科健康増進・行動学分野准教授の田近亜蘭氏による著書『その医療情報は本当か』(集英社)から一部抜粋し、我々人間が誤った判断をしてしまう原因でもある「認知バイアス」について詳しく解説します。
誕生日が同じ人はこの中にいる?
ここにコインが1枚あります。これをポンと上に放り投げて手で受け止めるコイントスを行うと、4回連続で「表」が出ました。では5回目には表と裏のどちらが出ると思いますか。
多くの場合、「4回も表ばかりが続いたのだから、次は裏が出るだろう」と推測するのではないでしょうか。
ではここで、その確率を計算してみましょう。1回あたり、表が出る確率は「1/2」なので、5回連続で表が出る確率は、
「1/2×1/2×1/2×1/2×1/2=1/32」となります。
すると、裏が出るのは、「1-1/32=31/32」となり、0.96875でおよそ97%になるため、「絶対に裏が出る!」……そう思われるかもしれません。
しかし、この考えかた、計算法は誤りです。1/32とは、「5回連続で表が出る場合の確率」なのです。問いは、「5回目に裏が出る確率」であるため、このような計算をしなくても裏か表のどちらかであり、「1/2」になるわけです。
5回目に裏が出る確率といえば、それまでにどちらが何回出ようがその結果に影響されないこと、また、5回目にどちらが出るかは1回ごとに考える必要があるわけです。
前述のように、「同じ結果が出続けたときは、次は違う結果になるだろう」と思いがちです。これを「ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)」、あるいは「ギャンブラーの錯誤(さくご)」といいます。
誤謬とは簡潔にいうと、「間違い」や「誤り」という意味合いで、心理学ではこの事象を、ギャンブラーが陥りやすい思考、ギャンブラーの思い込みと解釈します。
実際に、1913年にモンテカルロのカジノであったルーレットゲームで、ボールが26回連続で黒に入ったギャンブラーが、次こそは「赤だ!」と大金を賭けて失った、というできごとがもとになっています。
ではもうひとつ。コインを8回投げて表(○)か裏(●)か、出た順に記録すると、次の(A)と(B)では、どちらになる確率が高いと思いますか。
(左から順に、1回目~8回目)
(A)〇〇●●●〇●〇
(B)●●●●●●●●
直感的に(A)と思いませんでしたか。これもギャンブラーの誤謬です。どちらもこうなる確率は、1/2の8乗なので1/256となり、同じなのです。
この問いは心理学、統計学、数学、情報リテラシーの分野でも、「不確実な事象の解釈」としてよく取り上げられます。また、類題が高校の履修科目『情報Ⅰ』のある教科書にも紹介されていました。
負けが連続して起こる、あるいは勝ち続けていると、次こそは勝つにちがいない、もしくは負けるだろうと思い込む……。それは実は根拠がない期待、憶測だといえます。
このように、思い込み、勘違い、過去の経験や記憶によって不合理な判断をすることを「認知バイアス」といいます。
近ごろ、認知バイアスは、医学、心理学ほか多くの分野で耳にすると思います。多様に用いられますが、この場合は、「考えかたの偏り、先入観、思い込み、一方的な誤解」といった意味合いです。バイアスの語源は、フランス語の「斜め」という意味で、そこから転じて「偏り」という意味になったようです。
ものごとを確率的な視点で判断することは苦手だという人は多いかもしれません。冷静に判断をするにはまず、「認知バイアスは誰にでもある。自分にももちろんある」と考えましょう。そして、賭けごとの主催者や商品を売る事業者は、お客の認知バイアスを利用して利益を得ようとすることを認識しておきましょう。
(広告の後にも続きます)
誕生日が同じ人はこの中にいる?
次に、統計学や確率を面白く紹介するときに用いられる例に、「誕生日が同じ人はどれぐらいいる?」という問いがあります。
40人の集団がいたとき、その中に同じ誕生日のペアがいる確率は、次のうちのどれだと思いますか。
(A)11.7%
(B)25.3%
(C)50.7%
(D)89.1%
正解は、(D)89.1%です。ただ、わたしの周囲の10人に尋ねてみると、全員が(A)11.7%と答えました。
この確率を求める集計法や計算式はここでは重要ではないので省略しますが、(A)11.7%とは集団が10人のときの確率であり、(B)25.3%では15人、(C)50.7%は23人のときです。そして、60人が集まると99.4%の確率で同じ誕生日の人が存在することになります。
グループの中の誰かと誰かが同じ誕生日だと聞くと、「おお、偶然だな」と驚きませんか。しかし確率的には、そう感動するほどのことでもないということがわかるでしょう。これを「誕生日のパラドックス」といいます。
キャンブラーの誤謬も誕生日のパラドックスも、「感覚や推測だけでものごとを判断すると間違うことがある」という教訓を伝えています。
田近 亜蘭
京都大学大学院
医学研究科健康増進・行動学分野准教授