贅沢を非難する大衆、平等を求める労働者階級、そして自由に干渉する社会──現代にも通じるこれらのテーマを、19世紀で最も影響力のあったイギリスの哲学者、経済思想家であるジョン・スチュアート・ミルは『自由論』の中で鋭く描き出しました。本記事では、書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル 、その他:成田悠輔 、翻訳:芝瑞紀 、出版社:サンマーク出版)より、彼の洞察を通じて、社会が個人の自由にどのように干渉し、またその結果としてどのような経済的・社会的影響が生じるのかを考察します。
“大衆の感情”が富裕層の生活に与える影響
現在の世界には、政治体制が民主的かどうかに関係なく、社会構造を民主的なものにしようとする強い動きが存在する。この動きが最も進んでいる国はアメリカだ。アメリカでは、社会と政府の両方がかなりの民主化を遂げている。
この国における大衆は、自分たちではまねできないような派手な暮らし、贅沢な暮らしをしている人を見ると不快感をあらわにする。その感情があるおかげで、アメリカ人は過度な贅沢を控えるようになったといわれている。
また多くの地域で、富裕層は大衆に非難されないように資産を使うことに苦労しているという話もある。これらの話が、かなり誇張されたものなのは間違いない。しかし、「社会には個人の資産の使い方に口を出す権利がある」という考え方と、大衆の民主主義的な感情が合わされば、こういう状況が生まれてもおかしくはない。というか、そうなる可能性は非常に高い。
(広告の後にも続きます)
社会主義の広がりと、労働者階級が抱える「新たな圧力」
さらに、社会主義の考え方が広まる可能性も無視してはならない。そうなったら、わずかな財産をもっている人や、肉体労働以外で収入を得た人にまで非難の目が向けられるかもしれない。
現在、これと似たような考え方が労働者階級のあいだで広まっていて、その階級に属する労働者たち自身の重荷になっている。
産業の多くの部門で多数派を占めるのは、能力の低い労働者たちだ。しかし現在は、「能力の高さに関係なく、すべての労働者が同じ賃金を受け取るべきだ」という考え方が一般的になりつつある。出来高払いのように、能力がある人や真面目な人がほかの労働者より高い賃金を受け取るシステムを認めない人が多いのだ。
こうした労働者は、優秀な人が高い給料を受け取ったり、雇い主が特定の人に高い給料を払ったりするのを阻止するために圧力をかける。用いられるのはおもに精神的な圧力だが、暴力がふるわれることもある。
もし、「社会は個人の問題に干渉できる」と認めた場合、労働者たちのこうした圧力も認めなければならない。社会がその一員の個人的な行動に干渉できるなら、「労働者階級全体」という社会が特定の労働者の行動に干渉したからといって、誰も非難できないはずだ。