あのマーク見たことある、あの名前知っている。企業が自社の商品やサービスを、他社のものと識別・区別するためのマークやネーミング。それらは「商標」と呼ばれ、特許庁に商標登録すれば、その保護にお墨付きをもらうことができる。
しかし、たとえ商標登録されていても、実は常に有効な権利とはなり得ない。そもそも商標登録には、いついかなる場面でもそのマークやネーミング自体を独占できる効果はない。
このように商標制度には誤解が多く、それを逆手にとって、過剰な権利主張をする者も後を絶たない。商標権の中には「エセ商標権」も紛れているケースがあり、それを知らないと理不尽にも見えるクレームをつけられても反撃できずに泣き寝入りするリスクがあるのだ。
「エセ商標権事件簿」(友利昴著)は、こうした商標にまつわる紛争の中でも、とくに”トンデモ”な事件を集めた一冊だ。
第5回では、「つぶやき」や「NPO」など、”公有財産語”といわれる言葉を商標出願することの愚かさを、著者の友利氏が明快に説く。(全8回)
※ この記事は友利昴氏の書籍『エセ商標権事件簿』(パブリブ)より一部抜粋・再構成しています。
なぜ、「みんなのもの」を商標登録する?
誰もが自由な使用を欲す言葉―たとえば、商材に関する一般名称、地名、新語、流行語、業界用語、ネットミームなど(以下、まとめて「公有財産語」という)について、商標登録や権利行使を試みる輩は、意外と多い。その度に、業界内で嫌われ、時には世間で炎上騒動になっている。にもかかわらず、定期的にこの手の輩が現れるから不思議だ。
実は、公有財産語として認識されるに過ぎない表示に対して商標権を主張しても、原則として商標権の効力は及ばない。仮に及ぶ場面があったとしても、極めて狭い範囲にしか適用されない。また、権利行使が「濫用」として認められないこともあるし、商標権自体が無効とされることもある。嫌われたり騒がれたりするだけ損の、登録するだけムダなエセ商標権なのである。
それなのに、なぜ、人は公有財産語を商標登録しようとしてしまうのか。ストレートに独占や金銭収受目的を隠そうとしない露悪的なブローカー(「ゆっくり茶番劇」を商標登録したユーチューバーのような)もいるが、筆者の見立てでは、彼らは実は多数派ではない。
「独占するつもりはなかった」という言い訳はアリなのか?
なぜならば、公有財産語を商標出願・登録したことが騒動になり、公に非難された者の多くが、口を揃えて「独占するつもりはなかった」などと釈明するからである。
例えば、新型コロナウィルス流行時の2020年に、疫病退散の象徴として広く使われた「アマビエ」を商標出願して批判された電通は、「商標の独占的かつ排他的な使用は全く想定しておりませんでした」。
「イイネ」「つぶやき」をかつて商標出願したMIXIは「独占的な利用を目的としたものではない」。
ドラマから流行語となった「じぇじぇじぇ」を商標登録したケーキ屋は、「独占するつもりはなく、相談があれば使えるようにする」。
「坂本龍馬」を商標出願した高知県は「経済的利益の独占を図る意図をもってなしたものではなく、そのような権利行使をすることがあり得ない」と強調している。
これは不可解だ。商標登録の本来の法的効果は、登録商標を商標として使用することに独占権を取得し、その商標を使用する者を排除できるようになることだ。独占するつもりがないのにわざわざカネと手間をかけて商標登録するのは、矛盾である。じゃあ、最初から商標登録なんかすんなよ!と言わざるを得ない。
「流れ作業」「決まりだから」で軽率に商標出願する大企業
独占目的がない出願人の出願目的とは、いったい何か。ひとつは「何も考えていない」である。2002年に、タカラ(現・タカラトミー)が、当時2ちゃんねるなどで使われていたアスキーアートのキャラクター名「ギコ猫」を商標出願して批判を受けたことがあった。
筆者は、同社で「ギコ猫」の商標出願を考えた担当者からその意図を聞き出したことがある。その担当者曰く、ギコ猫を用いた商品企画を立案し、「商品名はなるべく早めに商標出願する」という社内のルールに則って、法務部に商標出願の依頼をしただけだというのだ。そして実際に商標出願の手続きを行った法務部の担当者は、ギコ猫がネット掲示板のキャラクターだとは知らなかったという。
いかにも大企業という感じだ。「NPO」「ボランティア」を商標出願して関係団体から批判された角川ホールディングス(現・KADOKAWA)も、「新しい雑誌のタイトルに使う構想があるので登録した。NPOやボランティア団体が出版するものにまで、商標権がどうのこうのと言うつもりはない」と釈明している。
なるほど確かに「新商品名は早めに商標登録」はビジネスパーソンにとって必要な心がけだし、社内ルールにするのも分からなくはない。だが、単に「ルールだから出願しました」という理由で、公に帰属すべき公有財産語を商標出願し、世間に混乱を引き起こしたのであれば、軽率と言われても仕方がない。その商標を出願することで、他人や社会にどのような影響を及ぼすかを、社内で十分に検討したうえで、商標出願の適否を考えるべきだったのである。
不安感に背中を押されて出願するのはアリなのか?
独占目的ではないと主張する出願人がよく使うもうひとつの言い訳が「誰かに独占されると困るから」である。
再び「アマビエ」の商標出願が非難されたときの電通の言い分を引くと「今後、第三者が商標登録をする可能性を考慮した結果、キャンペーン中に権利侵害が発生する可能性があるため登録を試みました」とある。
体験型ゲームのジャンル名「マーダーミステリー」「マダミス」などを商標出願して非難された、これからミステリー社の代表者は「市場が狭まるようなことについては一切するつもりはなく、防衛策として取得した」と釈明。
「おんせん県」を商標出願して、温泉を観光資源とする他の自治体の怒りを買った大分県は「営利目的の第三者〔…〕が登録した場合などに、『おんせん県』の使用ができなくなったり、使用料が発生したりすることも考えられることから、大分県として保護的な意味合いで〔…〕念のために〔…〕商標登録の申請をした」と釈明している。
独占しているのはオマエじゃないのか!?
なるほど。誰もが使いたがる公有財産語だけに、放っておくと誰かに商標登録されてしまう可能性があり、そうなると自分の使用行為が商標権侵害になったり、使用料を請求されるおそれがある。そんな不安を解消するために、自ら商標出願しただけだというのだ。
確かに、冒頭で触れたように、露骨にカネ目的でトレンドワードの商標登録を目論む商標ゴロもいるから、この不安は理解できなくもない。だが、ハッキリ言おう。これこそが最も身勝手で悪質な出願動機である。
なぜならば、この人たちは公有財産語を誰かに商標出願されれば困ることを分かっていながら、自分ひとりの不安を解消したいがために、その言葉の自由な使用を欲するその他全員に対して、「商標登録されたら使えなくなってしまう、使用料を請求されるかもしれない」という同じ不安を、まさに現実のものとしてもたらしているからである。
「不審者に公園を占拠されたら困る」と真っ当なことを言いながら、自分がその公園にバリケードを張って立てこもるようなものである。占拠してるのはオマエだ! 不審者もオマエだ!
商標登録による社会的影響に対する想像力欠如が原因か
いくら取材やプレスリリースで「独占するつもりはありません」などと表明したところで大して意味はない。その表明を、商標権が存続し続ける限り(商標権は更新手続きによって永久に維持することができる)、世の中の隅々まで周知することなんて不可能だし、今後経営者や会社の方針が変わらない保証もないからである。
他社の商標権があると分かれば、使用に一定の制限がかかると思ってしまうのが普通の感覚だ。いくら本人に独占の意図がなくとも、人々を不安に陥れ、社会秩序を乱すことには変わりはないのである。
ある意味では、誰も頼んでもいないのに管理者ヅラをして、さも善人であるかのような態度を取っている分、あからさまに独占を主張するエセ商標権者よりもタチが悪いともいえる。
繰り返すが、その商標を出願することで、他人や社会にどのような影響を与えるか、そもそも、得られる効果に照らして本当に商標登録する必要があるのかをよく考えてから出願するべきである。公有財産語は、誰も商標出願すべきでなく、商標出願をせずに堂々と使用することが正しい。
本来恐れる必要のない商標ゴロを恐れるあまり、本来する必要のない商標出願をして、結局自分が商標ゴロ同然の嫌われ者になっていることに、炎上してから気が付くというのは、まったく本人にとっても百害あって一利なしなのである。