「労災制度を踏みにじる判決」化学物質過敏症の男性に労災“不支給” 「業務が原因」と認められるも…控訴審で逆転敗訴のワケ

業務で使用した有機溶剤によって化学物質過敏症等を発症したとして、50代男性が労災(休業補償)を認めなかった国に対し決定の取り消しを求めた裁判の控訴審判決が23日、東京高裁であった。永谷典雄裁判長は、労災の支給を認めた東京地裁の原判決を取り消し、不支給とする逆転判決を言い渡した。

業務起因性が認められているのに「労災不支給」

男性は1985年、日用品大手「花王」の工場に入社し、1993年の部署異動後から体調が悪化。業務で多種かつ大量の有害化学物質を使用したことで「ノルマルヘキサン」と「クロロホルム」による有機溶剤中毒に罹患(りかん)し、これら中毒が遅くとも1999年には化学物質過敏症に移行。現在も外出時には気密性の高いマスクなどが手放せないという。

2011年7月頃から仕事を休まざるを得ない状況になり、同年10月から休職。翌年(2012年)の退職後、労働基準監督署に対し労災(休業補償給付)を申請し、勤務先の「花王」に対しても損害賠償請求訴訟を提訴した。

花王に対する訴訟の中で、男性の化学物質過敏症発症と業務の因果関係(業務起因性)が認められ、東京地裁は花王には使用者責任が生じるとして賠償命令を下した(2018年7月2日)。しかし、この判決の後も休業補償の支給は一向に認められてこなかった(下記表参照)。

原告代理人の山本志都弁護士は「本件は使用者責任が認められているにもかかわらず、休業補償申請が認められていないという点が特徴です」と説明する。

実際、本件で原告の請求を認めていた東京地裁も、原告の請求を棄却した東京高裁も判決で

・原告の主張する症状(化学物質過敏症)が存在していたこと
・(職場で)非常に多量な有機溶剤へのばく露があったこと

などを事実として認定し、業務起因性を認めている。では、なぜ東京高裁は原告の訴えを棄却したのか。

国が突然新たな主張、弁護側は「信義則に反する」

控訴審判決後の会見で、山本弁護士は「国が新たに主張した内容が争点になった」と話す。

「控訴審の第1回期日直前に突然、国が『原告の後遺障害が継続しているなら、症状が固定されているといえ、後遺症(障害補償)の範囲だ。療養のために認められる休業補償の対象ではない』と言い出しました」

これに対し原告代理人らは、「信義則」に反する(※)としながら、「通常は休業補償が認められた後、休業を続けてもこれ以上良くならないということを確認して、後遺障害補償に切り替わる」と、以下のように反論した。

※ 民法の基本原則のひとつである「信義誠実の原則」に反する行為をすること。たとえば、過去の言動と矛盾するような権利を行使するなど、相手の信頼を裏切るような行為。

「原告は休業補償が認められず、ずっと中ぶらりんの状態にあったのだから、障害補償を請求することはできないと考えるのは当然のことです。

また、化学物質過敏症には治療法が存在し、原告は定期的に通院しています。症状についても客観的に改善傾向が認められるということをデータに基づいて主張しました。つまり障害補償給付の支給対象である『症状固定』はしていません」(山本弁護士)

東京高裁が「労災不支給」と判断した理由

しかし、東京高裁は原告側の主張を退け、国の訴えを認めた。

〈本件各休業期の開始時時点において、既に有機溶剤中毒に対する有効な治療方法がなく、一審原告は(中略)対処療法(判決ママ)を行っていたものと認められる。したがって、一審原告の有機溶剤中毒は、同時点において、症状が固定していた、すなわち、治ゆしていたというべきである〉

〈休業補償給付の支給を受けるためには、『療養のため』に労働することができないことが必要であるから、症状が固定した場合には、後遺障害が残ったとしても、当該疾病は『治った』ものとして、障害補償給付の対象になるものというべきである。

したがって、症状が残っていても、医学上一般に認められた医療行為を行ってもその医療効果が期待できない状態に至った場合は、症状が固定したものとして、休業補償給付の対象とはならないというべきである〉

信義則に反するという主張についても、〈採用できない〉と切り捨てた。

「労災制度を根底から踏みにじるような判決」

この判決に対し山本弁護士は、憤りを込めてこう話す。

「本件は休業補償の認定に非常識なほどの時間がかかり、現時点まで判断が伸びてしまった事案です。時間がかかった理由は、労基署が業務起因性を否定したから。しかし結局、業務起因性は地裁も高裁も認めました。控訴審判決を許してしまえば、労基署が間違った理屈を立てたことによる不利益を被災者側が一方的に負わなければならないという結論になってしまいます。

そして、仮に今後、原告が判決で言うように後遺障害補償を請求したとしても、後遺障害補償請求の時効は5年です。2011年(原告が休業した年)からすでに5年以上がたっています。請求する場合には当然認めるよう主張しますが、後遺障害請求も認められない可能性があります。高裁の判断は、こんなおかしな結論が認められていいのか、と非常に強く思うものでした」

また、原告代理人の神山美智子弁護士も高裁判決を痛烈に批判した。

「高裁の裁判官は、第1回期日から『原告の症状は固定しているか』を聞いてきました。つまり『症状固定で休業補償ではない』という“結論ありき”で審議を進めてきたのではと感じています。労災というのは労働災害の被災者を救済する制度だと思うのですが、それを根底から踏みにじるような判決だったと思います」