
両親の借金5,000万円を返済するため、父に頼まれて17歳でマグロ漁船員となった筆者。数回の近海漁を経験し、技術と自信をつけていた筆者でしたが、初の遠洋マグロ漁船は想像を絶する“地獄の日々”だったといいます。菊地誠壱氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、実際にあった「遠洋マグロ漁船」の恐ろしすぎる日常を紹介します。
バガヤロー!…想像を絶する“暴力船”で過ごした恐怖の4ヵ月
親の借金5,000万円を返済するため17歳でマグロ漁船員となった筆者。
数回の近海マグロ漁船を経験したことで自信をつけ、初の遠洋マグロ漁船に挑戦します。
近海マグロ漁船では一人前と認められるほど技術を身につけた筆者でしたが、遠洋航海となると勝手も変わり、慣れない仕事に悪戦苦闘。
そんな筆者を待ち受けていたのは、想像を絶するような“地獄の日々”だったのです。
初めての遠洋マグロ漁船※は暴力船でした。
※…筆者はこれまでにも3つの船での航海を経験しているが、どれも近海マグロ漁船だった。
冷凍長は男前で俳優みたいな顔をしていますが、凶暴な人でした。冷凍長は解剖がヘタクソだと、本気で長靴でケツを蹴ってきます。
「バガヤロー!」
ドーン! ひたすら蹴られまくりでした。警察なんてどこを見渡してもいませんから、ひたすら暴力に耐えるしかありません。
毎日大小にかかわらずたくさんのマグロが釣れてくるので、そのたびに解剖をしていましたが、近海と遠洋では魚の保存方法がまるで違います。近海ではマグロを氷漬けにするのでエラと内臓を抜けば済むのですが、遠洋ではマグロを冷凍するのでそれ専用の丁寧な解剖をしなければいけません。これが私にはわからないのでよく失敗しては蹴られていました。
初めての遠洋がこの船で、この暴力冷凍長がマグロ解剖の先生という最悪の状況でしたが、4ヵ月間逃げられないというのが苦しかったです。私の人生で一番暴力を振るってきたのはこの冷凍長です。後にも先にもこの人を超える人はいないでしょう。トラウマになるレベルの暴力です。私も今までの不良生活で中学の頃から後輩をよく殴っていたので、因果応報なのかなと悟りました。
まずは暴力に耐えて、とにかく解剖の仕事だけは早く覚えようと気合いを入れました。
小さなマグロがどんどん釣れてくるときがあるのですが、体が小さいぶん解剖の作業も細かくなるので難しいです。そのとき、誤ってマグロの顎を切ってしまいました。やべーと青くなっていたとき、冷凍長が後ろからすっ飛んできて、「何やってんだゴラー!」とケツに蹴りを入れられました。小さなマグロが憎かったですね。
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自分は運が良かった…マグロ漁船で“若者の事故死”が多かったワケ
その後、一等航海士にも殴られました。「モタモタすんな!」とゲンコツがこめかみに飛んできました。船長にも殴られました。縄の傷を見る仕事でもつれを送ったと言われ、「何やってんだコラ!」とこめかみを殴られました。
俺は何をやってんだろう。
悲しみと苦しみで空を見上げたことが何度もありました。
マグロ漁船での“若者の事故死”というのが一時期多くありましたが、ほとんどがこうした環境下での暴力やパワハラを原因とした自殺だそうです。
私は当時そこまでは考えませんでしたが、耐えがたい苦痛は数多く経験していました。これが4ヵ月ではなく1年航海だったらなおさらつらかったでしょうね。私も耐えられなかったと思います。運がよかったのでしょう。
それに、このパワハラ冷凍長は非常に恐ろしくて逆らえないのですが、悔しいことに仕事ができる上にカッコいいんですね。私にとっては憧れの存在でもありました。たしかこの冷凍長も1年航海で本マグロ漁の船に乗っていたと聞きました。
後でこの冷凍長のスタイルを真似て、赤と青のカッパとジャージ、真っ白い手袋や帽子など、冷凍長と同じものを揃えて仕込みをしたのを覚えています。私が暴力を振るうことはありませんが、カッコよかったので違う船で冷凍長の真似をしたりもしました。