
50代から新しい一歩を踏み出して、第二の人生を歩み始めた人たちを追う「わたしリスタート」。都会生まれ、都会育ちのおひとりさま女性が山形に56歳で地方移住!「ずっと望んでいた暮らし方」を今、実践できている、と藤田篤子さんは笑顔で話します。
藤田篤子さんのリスタート・ストーリー
東京で暮らし、介護士として16年間、働いていた藤田篤子さんが、人生を改めて考え直し、かねてから夢だった地方移住を決意したのは50代前半。
以降、着々と準備をして、2023年、56歳のときに「生活クラブ」が展開する「産地で暮らすプロジェクト」を通じて、山形県酒田市に単身移住。鳥海山を眺める住宅で移住者とルームシェアしながら田舎暮らしを楽しんでいる。
生活クラブの生産者と繋がり、収穫などのアルバイトに励むほか、フリーで家事代行やマヤ暦鑑定占いもしている。来年は街中にオープンした複合シェアオフィスとシェアハウスの運営にチャレンジするなど、自分の“好き”と“得意”を生かした「マルチプルジョブワーカー」として活躍中。
山形で2度目の冬を迎える藤田さんに、移住を決めた理由と暮らしについて聞いた。
(広告の後にも続きます)
52歳の骨折が、人生を考え直すきっかけに

どんなインテリアの家でどんな暮らしがしたい?ノートにまとめて
――移住したいと思ったきっかけは?
都会生まれ・首都圏育ちだった私は、子どもの頃から自然への憧れが強くて、大人になってからも「定年後は自然に囲まれた場所でのんびり暮らしたいな」と、夢を思い描いていました。
ところが、52歳のときに全治3か月の骨折をしてしまって。思うように体を動かせなくなったとき、「私、このままでいいのかな……」と、改めて人生を考え直しました。
もし、田舎暮らしをするとしたら、畑仕事もしたいし、いろんな場所に足を運んでアクティブに過ごしたい。そのためには「気力・体力・知力が十分にある50代のうちがいいのでは」と思い始め、定年まで待たずに都会を飛び出すことを決意。
そこから少しずつ移住のための準備を始めました。
――移住に向けて、どんな準備を始めたんですか?
いきなり移住先を探すというよりは、まず自分が本当に望む生き方や暮らしとは何なのか、自分自身とじっくりと向き合いながら、準備を進めていきました。
そこで最初に見直したのが、「働き方」。
介護職やケアマネジャーとして、16年ほど会社勤めをしてきましたが、これから先は時間や場所にとらわれず、“働くことと生きがいを密接につなげた”ライフスタイルにシフトしていきたい。そう思い、正社員を辞め、フリー介護士になりました。
フリーになれば、移住してからも自由度高く、さまざまな仕事にチャレンジできると思ったんです。
ただし、毎月決まった収入を得られるわけではないので、家計の収支を見直して整理し、必要なものはフリマアプリで安価で手に入れたり、食べたい野菜は庭の畑で育てたり。
生活費を抑えつつ、今あるもので工夫しながらまかなう暮らしは、移住後にも役立つと考え、楽しみながらやりくりしていました。