一人また一人と力尽きていった
2001年。世界的に見るなら、21世紀はアメリカ同時多発テロ事件で始まり、それは、冷戦終結後の“新世界秩序”を誇らかに語っていた人々に冷や水を浴びせる出来事だった。しかし湾岸戦争がそうだったように、それは私とその周囲にとってテレビの向こうの出来事でしかなく、日一日の生活の重たさに比べてリアリティを欠いていた。
消息がわからなくなる人が出始めた。それはオフラインのゲーセンや居酒屋の知人たちに限った話ではない。インターネット経由で新たに知り合った人々にもぽつぽつと消息がわからなくなる人が現れるようになった。楽しみにしていたウェブサイトが、管理人の失業を告げる投稿からしばらくして更新停止になったり、ウェブサイトごと消えてしまったりする―そんな出来事もままあった。インターネット上のハイパーリンクの網の目からひっそりいなくなる人のことは、あまり話題にならなかった。そういう作法だったのか、誰も話題にしたくなかったのか。
大企業の正社員になった知人たちも安泰ではなかった。当時は社員の心身を守るためのコンプライアンス意識が現在よりずっと低く、退職を余儀なくされる人、うつ病などの精神疾患にかかる人が続出した。誰もが苦労し、疲弊していた。自分の手札で勝負し、その手札が切れかけて、その場に踏みとどまるか、撤退するかの選択を迫られる者も少なくなかった。
精神科医の駆け出しとなった当時の私は若く、そうしたなかで友人のメンタルヘルスの相談に真正面から乗ることもあった。
今だったら、少なくとも真正面からは相談に乗らないだろう。なぜなら、 (精神科医として)友人のメンタルヘルスの問題に耳を傾けすぎると、友人関係が破壊されて、治療者と患者の関係が始まってしまうからだ。
そうしてゲーセンや居酒屋をとおして繋がっていた人間関係が、櫛の歯が欠けるようにさびしくなっていった。後に、「ロストジェネレーション」と呼ばれる私たちは首尾よく就職したとしてもそれぞれの最前線でこき使われ、すり減らされ、一人また一人と力尽きていった。
後に流行語大賞でトップテンに選出される「ブラック企業」という言葉が匿名掲示板の2ちゃんねるで誕生したのもこの時期である。私自身も、仕事や私生活に色々な問題が生じて神経をすり減らしてしまい、この時期はダウンしていた。そうなってしまうと、新しい人間関係はもちろん、既存の人間関係も続けられなくなってしまう。なぜなら不義理だとか社交マナーだとか、そういったことを考える余裕すらなくなってしまうからだ。そこに失業のような経済的危機が重なれば尚更だ。当時、人間関係の環から抜け落ちていった人々は、そうして社交関係を続けられない事情へと追い詰められていったのだろう。
熊代 亨
精神科医