相方の恵とは「年に1度も会っていない」 。それでもホンジャマカ石塚が「コントをやるなら恵」と断言する理由

街ブラしつつ食べ歩くバラエティ番組で、熟練の職人芸を見せてくれる“石ちゃん”ことホンジャマカ・石塚英彦さん。

彼が、かつてはライブシーンを沸かすコント師だったことをご存じだろうか。どんな経緯で「まいう〜」をキャッチフレーズにして食レポに携わるようになったのだろうか。また、ワイドショー番組の司会としておなじみの相方・恵俊彰さんとの現在の関係も気になるところだ。本人に“真相”を語ってもらおう。

◆ショートコントで一世を風靡した若手時代

ーー現在、一般的な石塚さんのイメージは「グルメロケの人」だと思いますが、「ホンジャマカはバラエティ番組でも強かったんだよ」と語る人もいます。

石塚英彦(以下、石塚):覚えていてくださってありがたいですね。『爆笑王誕生』(日本テレビ系列)という番組でショートコントをやって、5週連続で勝ち抜きして最初のチャンピオンになったこともありました。

ーー当時はショートコントが流行っていたんですか?

石塚:それまではショートコントという概念自体がなかったと思いますが、ウッチャンナンチャンが広めた感じがあります。僕らは、「近未来月面かくれんぼ」と題して、月面でゆっくりしか動けないので、全然隠れられない……みたいなくだらないネタをやっていました(笑)。

ーーいや、設定を聞くだけで面白そうですよ!

石塚:爆笑問題のように世相を斬るようなコンビもいたので、僕らのくだらなさが目立ったのかもしれません。ほかには、最近再結成した、田口浩正と芋洗坂係長のコンビ「テンション」とも一緒に出ていました。

◆相方と悩みながらネタを作っていた

ーーネタはどちらが考えていたんですか?

石塚:テレビ用のショートコントを作るときは、「3本ずつな」なんて言いながら、お互い案を持ち寄って作っていました。僕らが今の事務所(ワタナベエンターテイメント)に入ったとき、創業者が音楽畑ということもあってか、お笑い部門がなかったんですよ。クレイジーキャッツやドリフターズは音楽と掛け合わせたネタをやっていましたが、お笑いに軸足を置いていたのはヒップアップ先輩くらいだったと思います。それもあってネタは恵と二人で悩みながら作っていました。

ーーウンナン、ダウンタウン、とんねるずといった、いわゆる「お笑い第三世代」が活躍していた時代ですよね。事務所としては少し出遅れているんでしょうか?

石塚:太田プロはすでに事務所ライブをやっていて、渡辺正行さんが開催していた若手ライブも盛り上がっていました。そんな流れもあって、うちの事務所でもライブをやりはじめることになって。

◆会場の99%が「中山秀征のファン」だったライブも

ーー事務所に“純粋なお笑い芸人”がほとんどいないなかでの船出ということになります。

石塚:そうですね。僕ら以外だと、アイドルからお笑い畑に転向した中山秀征がABブラザーズというコンビで。あと、生放送で放送禁止用語を連発した松本明子ちゃんが、アイドルを続けられなくて、こっち側に(笑)。

ーー笑福亭鶴光師匠のオールナイトニッポンでの「4文字事件」のあとですね。

石塚:そんなメンバーだから、ネタ見せも1週間の出来事を報告をするぐらいのゆるい感じでした。でも、いざライブとなると、中山(秀征)が女性人気がすごかったんですよ。さすが元アイドルだけあって会場の99%が彼のファン。登場した瞬間に黄色い歓声がブワーっと湧き上がっていました。そのあとの出番は、ものすごくやりづらかったですね。

ーーお笑いのお客さんじゃないですもんね。

石塚:『石塚英彦~!』と呼び込まれても、小さくザワつくだけ……みたいな(笑)。

◆ピン活動のきっかけになった深夜番組

ーーその後、1993年にはバカルディ(現:さまぁ〜ず)との冠番組『大石恵三』(フジテレビ系列)もはじまり、お笑いコンビとして順風満帆にも思えます。一方でこの番組の視聴率が低迷し、早期で終了したのが、ピンの活動に転じるきっかけだったと聞きました。

石塚:そうですね。テレビ業界って、ある局が使い始めるとほかも一斉に寄ってくるんですよ。大石恵三が始まる直前はそんな感じでした。だけど、引き潮も早いんです。仕事がなくなるのはあっという間でしたよ。

ーーそこからピンの活動も。

石塚:恵は、一人でやっていたラジオを続けながら、MCの仕事をこなすようになっていきました。そんななか、事務所が豪邸を訪問するレポーターの仕事をとってきてくれたんですけど、それが楽しくて! 豪邸にある高価なものをレポートするより、住んでいるのがどんな人で、さらにはどんな食事をしているかを紹介するシーンが一番楽しくできました。しばらく続けていたら、周囲も「こいつは旅と飯だな」と気づいてくれたみたいなんです。

ーーグルメレポーター「石ちゃん」の誕生ですね。

石塚:レポーターが何人かいるなか、僕の出た回の数字が良かったみたいなんです。それを知った『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系列)のプロデューサーが声をかけてくれて。もっと旅やご飯の仕事をやりたいと思っていたので、お世話になることにしました。

◆今でもコントをやりたい「やるなら恵と」

ーーピンでの活動が増えて久しいですが、今は恵さんと会っていますか?

石塚:本当に全然会っていなくて、年に1度もないですよ。僕の記憶が正しければ、一番最近あったのは、何年か前に高島屋で買い物していたら、偶然会って「お~!」ってなった時ですね(笑)。

ーーまさかのプライベート(笑)。またコンビで活動したいと思いますか?

石塚:恵がどう思っているかわからないけど、僕はやりたいです。コントって関係性は大事なので、やるなら恵とだと思います。

ーー関係性が大事……二人の間にのみ流れる阿吽の呼吸がありそうです。

石塚:例えば単独ライブ2デイズの初日が終わったあとには、「あそこ、もっと早く展開しようよ」みたいな相談をしたうえでブラッシュアップします。これは感覚が合っていないとできません。あとは、お互いが相方を笑わせてやろうと思ってやっていますから、突然アドリブを入れることもあって。台本にないくだりでも対応できるのは、信頼関係があるからです。

◆年相応のネタではなく、若いころのコントを

ーー今なら、どんな設定のネタをやりますか?

石塚:二人とも還暦を過ぎましたが、年相応のネタを作るんじゃなくて、20代のころやっていたコントをあえて今やりたいですね。いま、この歳で「近未来月面かくれんぼ」をやったら面白そう(笑)。

ーー2010年に一度、結成20周年記念のライブをやっていますね。35周年や40周年も是非ライブをしてください。

石塚:やりたい気持ちはめちゃくちゃあります! ただ、こればっかりはやる気と時間と労力をかけないとできません。相方は今、赤坂(TBS)で頑張ってますからね。以前、コント55号が久しぶりにコントライブをやったことがあったんですよ。それが、超カッコよくて! 僕らもそんなことができたらいいですね!

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バラエティタレントとして、ロケのグルメレポートには欠かせない存在の石塚。他の追随を許さない存在感は、心の中にたぎるお笑いへの熱量から来ていた。ホンジャマカのライブが実現される日を心待ちにしたい。

<取材・文/Mr.tsubaking 撮影/弓削ヒズミ>

【Mr.tsubaking】

Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。