
1990年代、日本の消費は大きな転換点を迎えました。象徴的なのが、外食チェーンの値下げ競争。価格競争が激化する中、企業は「安さ」だけでなく「顧客満足」も追求し始めました。本稿では、デフレが生んだ「顧客第一主義」の背景について、北海道大学大学院経済学研究院准教授の満薗勇氏が、『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(中央公論新社)より詳しく解説します。
バブル期からポストバブルの時代へ
1980年代後半からバブル景気に沸くなかで、海外旅行者の増加、スキーリゾートの賑わい、高級車ブームなど、人びとは旺盛な消費意欲を示した。しかし、バブルが崩壊して1990年代から長期経済停滞の時代に入ると、一転してそうした明るさは失われた。
ポストバブルの時代には、外食チェーンが相次いで値下げを発表し、デフレの象徴とまで呼ばれるようになる。たとえば、𠮷野家の牛丼(並盛り)は、1990年に一杯400円であったが、2001年には280円にまで値下げされ、マクドナルドのハンバーガーも、1985年に210円だったところから、2000年に65円まで値段を下げている。
長期経済停滞のもとで雇用不安が広がり、2008年の年末には「年越し派遣村」が東京・日比谷公園に開設された。米国の投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を契機とする不況、いわゆるリーマン・ショックの影響により、仕事や住む場所を失った非正規労働者を支援する取り組みであった。一億総中流とまで言われた中流意識の広がりは過去のものとなり、日本社会を格差社会と見る認識が広がっていく。
この間、少子高齢化が急速に進展し、2000年代には人口の増加が頭打ちとなって、人口減少社会へと転じた。財政面では、社会保障支出の増大につながり、1989年には、安定財源の確保を狙いとして消費税が導入された。
税率3%からのスタートであったが、1997年に5%へと引き上げられた。その後も経済の低迷により、財政健全化に向けた取り組みが困難に直面してきた結果、2010年代にさらなる消費税率の引き上げに至っている(2014年に8%、2019年に標準税率10%・軽減税率8%)。
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バブル崩壊後、長期経済停滞への転換と消費者利益
1985年のプラザ合意で、アメリカの対外不均衡の原因であるドル高の是正が先進五カ国の間で合意されたことを受けて、以後、ドル安・円高が急速に進展した。1986年の円高不況から回復した日本経済は、88年頃から景気過熱へと向かい、株価と地価の急騰によるバブル状態となった。
これに対して、1989年5月から公定歩合が段階的に引き上げられるとともに、90年4月から土地取引に対する総量規制が実施された。それにより、地価と株価が急速な下落に転じるとともに、設備投資は縮小して景気後退へ向かった。バブルの崩壊である。
以後、1990年代初頭からの日本経済は、長期経済停滞の時代を迎えた。GDP実質成長率は、1990~94年平均で2.2%、1995~99年平均で0.8%、2000~04年平均で1.5%、2005~09年で0.0%と低迷を続け(橋本寿朗・長谷川信・宮島英昭・齊藤直『現代日本経済 第3版』有斐閣、2011年)、「失われた10年」と呼ばれた停滞状況は「失われた20年」へと延びていった。
【図表】が示すように、消費者物価は1990年代に入る頃から上昇しなくなり、戦後日本における物価上昇の時代は歴史的終焉を迎えた(「2020年基準消費者物価指数」)。価格破壊や価格革命といった言葉が踊り、デフレ基調への転換という新しい時代へと突入したのである(橋本寿朗『デフレの進行をどう読むか 見落とされた利潤圧縮メカニズム』岩波書店、2002年)。