
児童の虐待死のニュースが報道されると決まって、周囲の大人の責任を主張する人がいる。実はこの反応は重大なことを見落としている。たとえそれが事実だとしても、小さな子どもの場合、そうした環境から逃げることも助けを求めることも極めて困難という現実だ。
「子どもたちが真実を主張できる唯一の機会は『司法解剖』という死後検査しかない」。そう力を込めるのは司法解剖医の岩瀬博太郎氏。現場を知り尽くす氏が、児童虐待死の実態を、怒りを交えながら解説し、その対策を提言する。
※ この記事は岩瀬 博太郎/柳原 三佳両氏の書籍『新版 焼かれる前に語れ 日本人の死因の不都合な事実』(WAVE出版)より一部抜粋・再構成しています。
子供の「虐待死」を見逃すな
「内臓破裂なんてのはねー、身体を見ればわかるんですよ。児童相談所はちゃんと子供の身体を見ないからこんな見落としをしたんですね」
大学に出勤する前、テレビから偶然聞こえてきた某司会者の発言に、私は一瞬耳を疑った。それは千葉大学で解剖を行った、幼児虐待死亡事件のニュースを伝える朝の情報番組のひとコマだった。
普段は「柔和」でとおっているらしい私だが、さすがにこの日は無性に腹が立った。いったい何を根拠に、公共の電波を使ってこんないい加減なコメントができるのか……。
実は、幼児が家庭内で暴行され死亡したこの事件、 前日のニュースによって、次のように報じられていた。
【三回面談、虐待見逃す=死亡女児への暴行で児童相談所 千葉】
<今年1月に内臓破裂で死亡した2歳の長女に暴行を加えていたとして母親の千葉県松戸市東平賀、無職大竹香奈容疑者 (24)らが千葉県警に傷害容疑で逮捕された事件で、県柏児童相談所が昨年12月から3回面談したのに虐待の事実を見逃していたことが16日、分かった。
記者会見した同相談所の石井宏明所長によると、死亡した美咲ちゃんは12月1 日、大竹容疑者とともに逮捕された同居人の無職吉野陽士容疑者(24)の当時の勤務先に隣接する都内の駐車場に一人でいるところを警察に保護された。
通報を受けた相談所が両容疑者を呼び、事情を聴いたのに対し、吉野容疑者は 「車の中で寝てしまったので毛布をかぶせておいた。仕事の合間に様子を見ていた」と釈明。美咲ちゃんが2人にまとわりつく様子も見られ、相談所側は「不自然な感じはないが、育児に不安がある」 と判断した。
この後、同14日と1月16日に児童相談員2人が家庭を訪問。美咲ちゃんの右目脇にあざなどがあったが、母親は虐待を否定したため、継続して様子を見ていたという。>
(2007.3.16 時事通信)
たしかに、この報道を見れば、
『児童相談所が虐待の事実をもっと早く把握していれば、子供の命は助かったかもしれないのに・・・・・・』
と思う人も多いかもしれない。
法医学者でも困難な身体表面だけでの診断
しかし、「内臓破裂は、身体を見ればわかる」というあのコメントは、完全に間違いだ。内臓の損傷というのは、私たち法医学者でも身体の表面だけで診断することはできない。腹部を殴られたり蹴られたりした場合は、たとえ内臓に損傷があっても、外表に青あざなどがまったく残らないことが多く、特に子供の場合は皮膚が柔らかいため、大人以上にそうした痕跡が残りにくい。
つまり、子供が家庭内で殴る蹴るの虐待を受けていたとしても、児童相談所の職員が身体の表面だけを見てそうした事実の有無を判断するなんてことは、 そもそも不可能なのである。被害者が子供の場合、見た目の傷の多い少ないは当てにならないと思っていい。
仮に、この幼児が児童相談所へ一度も通報のないまま死に至っていたらどうだっただろう。 加害行為を加えた犯人が身内である場合、大抵は 「階段から落ちた」とか「転ぶ癖があった」、また 「自分で腕をよく噛んでいた」などといった言い逃れをし、警察には本当のことを話さないものだ。
また、過去に児童相談所に通報されたことがないとなれば、警察は親の言葉を信じ、司法解剖にまわすことすらせず、「不慮の事故死」として処理していたかもしれない。
あるいは解剖もしないまま、「乳幼児突然死症候群」(SIDS)といった病名をつけられていた可能性もある。
つい先日運ばれてきた被害者は、まだ1歳にも満たない乳児だった。警察によると、この子の父親は「亡くなる前日に 1回殴っただけ」と供述しているとのことだった。
だが解剖の結果、頭部には外表観察からは見つからなかったものの、どう見ても3日以上前にできたと思われる外傷があった。
司法解剖によって救える子どもの苦しみ
たとえこうした解剖所見があっても、一緒に暮らしていた父親の供述を覆すのは簡単なことではない。社会の中で一番の弱者である乳幼児は、自分の置かれている状況から逃げ出すことも、自分の言葉で訴えることもできない。
痛くても苦しくても悲しくても、自分から周囲に助けの手を求めることができないのだ。そんな中で最悪の結果に至ったとき、彼らが真実を主張できる唯一の機会は「司法解剖」という死後検査しかない。だが、解剖率が異様に低い現在の日本では、そうしたチャンスはほとんど被害者に与えられず、小さな亡骸がそのまま火葬されてしまうと彼らの主張は永遠に聞くことができない。
家庭内でのこうした虐待行為は繰り返されることが多く、一人の大人によって複数の子供が犠牲になっているケースは珍しくない。大人の供述のみを鵜呑みにせず、司法解剖をして死因を丁寧に調べていれば、どれだけの子供を苦しみから救うことができただろう。

児童虐待事件の検挙件数の最新データ(警察庁「令和6年の犯罪情勢」より)
ちなみに、2020年における児童虐待事件の検挙件数は2133件、過去最多だったという。警察庁によれば、そのうち身体的虐待が1756件、性的虐待が299件、ネグレクト(育児放棄)が32件。
おそらく、この数字が上がっていない虐待事件は、相当数隠れているのではないだろうか。
的外れの議論で児童相談所を苛めるだけの放送時間があるのなら、解剖率の低さでどれだけの虐待事例が見逃されてきたのか、そして同じような虐待がどれだけ繰り返されてきたかを報道したほうが、本当の問題解決につながると思うのだが、今のテレビは偽善者ぶるばかりで、何の解決策も明示してくれない。
まさに、電波と金の無駄遣いだと感じた朝だった。