転職を通じて年収アップを果たす人もいますが、その裏には「倒れるまで働く」「仕事を断れない」といった過剰適応の罠が潜んでいることも。ライターで現在は編集プロダクションを経営するトイアンナ氏の著書『えらくならずにお金がほしい 会社は教えてくれないキャリアのルール』(大和書房)から抜粋して「過剰適応がもたらす落とし穴」について紹介します。

気合いに頼ると履歴書が荒れる

過剰適応に伴う休職と離職を繰り返すと、最終的には離職数が半端ないことになります。ところが、転職先には困りません。なぜなら、各職場でそれなりに成果を出せてしまっているからです。

「なんかこの人、年齢の割に社数が多いけど、それぞれですごい成果を出してるな」と、採用してもらえちゃう。特に、少子化が進んで人材不足が顕著な今ならそうです。

私に相談してくださった方で、35歳時点で13社目の方がいました。さすがに転職が一般的な外資系出身者でもこの社数はないぞ……と、息をのむと同時に、でも13社も雇ってくれていたわけで、それなりに実績を出してきたのだなあ……と思い直しました。しかも、彼は転職を通じて年収アップも実現しており、13社目での年収は1,200万円。誰もがうらやむステータスを持っていたのです。

とはいえ、これだけ短期間で転職すると「社内で実績を出した結果、認められて昇進した」経験が皆無となってしまいます。そのため、彼には35歳以降のキャリアを維持するために必須となる、管理職経験のなさがネックとなっていました。13社目でも休職を決めた彼は、このままだとキャリアアップ(と本人が思い込んでいる、過剰適応してぶっ倒れるサイクル)がままならぬと、相談してくださったわけです。

「前も、その前も休職して仕事を辞めていまして……。さすがに体力も減ってきたので、そろそろやり方を変えないとなと思っているんです。それで職種や業界を変えてきたのですが、なかなかしっくりくる職場がなくて」

と、本人は語ってくれました。しかし、原因は倒れるまで努力でカバーせねばならないと思っている部分にあるのであって、業界や職種ではありません。しかも、いろいろな業界を飛び越えたために、履歴書はますます混迷を極めていました。「この人、いったい何をしたくて転職してるんだろう」感が出てしまっていたのです。

この方は、それでも成功事例でしょう。普通の人は、もっと早期に限界を迎えます。早くは学生時代に周りへ気を遣いすぎてぶっ倒れ、休学を選ぶ方も見てきました。たとえば、理系学部のラボなどで「その教授から気に入られないと卒業できないのに、ハラスメントを受けてしまった」といったケースで、たとえば他の教授へ相談する、弁護士を入れて戦う、ハラスメント相談室へ相談するなど、いろいろとやり方はあるのに「自分が努力でカバーしよう」と相手へ合わせ、教授からは気に入られたのに無理がたたって倒れる……といった流れです。

私は新卒の職場で評価こそされていましたが、「このままじゃ死ぬ」と思いましたし、2社目では休職こそしなかったものの、ギリギリの瀬戸際にいました。当時、伴侶の海外転勤へ同行するという体のいい辞めるきっかけがあっただけで、もし居座っていたら休職していたと思います。しかも相談してくれた先ほどの彼のようにそつなく転職できる自信もないので、単なるジョブホッパーとなった可能性はかなり高いのではないでしょうか。

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仕事を断れるくらいなら苦労していない

ただ……自分自身もそうだったから言えるのですが、過剰適応を「直す」のは非常に難しいことです。特に「仕事を断るのが怖い病」というのは深刻です。相談してくださった方のなかには「申し訳ございませんが、どうしてもできません」という単語を口に出してみて、と言っただけで顔色が悪くなる方もいます。それを上司へ伝えるシーンを想像するだけで、耐えがたい苦痛を感じるのです。

ちなみに、私もそのタイプで、いっときは「サセ子」と呼ばれていました。「サセ子」は昭和時代に、男の誘いを断れず体の関係を持ってしまう受け身型ビッチを指した蔑称です。私の場合は仕事を断れないサセ子。あまりにも仕事を断れずに引き受けてしまうので、同じ言葉で揶揄されたわけです。

そんな私も、生まれて初めて「今は他の案件があり、この仕事はお引き受けできません」とメールしたことがあります。送信する手が震えました。自分のアイデンティティが崩壊するのではないか、というほどの恐怖を感じました。もしこれで、仕事を二度ともらえなかったらどうしよう。文才があるわけでもないのに、他のライターがいくらでもいるのに、仕事を断る私なんかに連絡してくれる酔狂な編集者なんて、もういないのではないか、と、送った後も不安で眠れぬ夜を過ごしました。

実際には、編集者さんから「そうですか。ではまた次回お願いしますね」とあっさりしたご返信をもらい、翌月別の仕事をいただきました。これがもう、めまいが起きるほどの衝撃だったのです。

「仕事って、断ってもいいんだ……」と。

それくらい、過剰適応を直すことは難しいのです。

トイアンナ

ライター/経営者