
◆これまでのあらすじ
恋人いない歴7年。恋愛をあきらめて生きてきた税理士・寿人(32)は、趣味のソロキャンプ中に結海(28)と出会う。その4ヶ月後、ついに寿人は結海の告白を決心し、日帰りキャンプへと誘うが…。
▶前回:「友達以上、恋人未満の関係に終止符を打ちたい」32歳奥手男子が提案した渾身のデートプランとは
― おっ、もう相模湖だ。
助手席に結海を乗せて中央道を走りながら、寿人は渋滞がなかったことに安堵する。
香水なのだろうか。結海が体を動かすとさわやかな香りが舞い、そのたびに緊張感が高まる。
大切な人を乗せて運転するのなんて、慣れない。寿人はハンドルを握る手に力を込めた。
「結海さん。今日はパン屋さんの仕事、お休みしてきてくれたんですか?」
「あ、いえ。私ついに言えたんです。両親に、こういう手伝い方はしんどいって」
結海は、申し訳なさそうな声で言う。
「だから先週からお店には行ってません。両親には悪いことをしたと思うけれど、土日に休めると、心も体もすっきりするものですね」
「そっか。言えてよかったです」
「はい。こうやって寿人さんと週末に遊べるのもうれしいですし。これからも、たくさん誘ってください」
穏やかな口調で言う結海に、寿人はドギマギしながら「もちろんです」と返した。
しばらく走ると、談合坂サービスエリアが見えてくる。富士山近くのキャンプ場にも、あっという間に着くだろう。
― さあ、今夜だ。
寿人はハンドルを握り直し、家で何度もシミュレーションしてきた「告白」について考えた。
今日こそ結海に伝えるのだ。
本当に本当に、大切に思っているということを。
日帰りキャンプは手軽なものだ。設営は、小さなテントと椅子を並べるだけで、20分もかからずに終わった。
先ほど寄ってきた精肉店の和牛と、スーパーマーケットで買ってきた瓶入りのノンアルコールビール、そして野菜などをテーブルに出していく。
「じゃあ結海さん、始めますか」
「ですね」
「僕、火を起こすので、お野菜の準備をお願いしてもいいですか?」
「もちろんです」
結海は立ち上がると、野菜の入ったボウルと、自分のまな板セットを抱えて、炊事場のほうへと歩いていった。
― 素敵だ…。
都内で会うときの結海は大人っぽいが、キャンプモードの結海は、等身大でのびのびしている。そのギャップに、寿人はグッとくる。
つい後ろ姿をじっと見てしまい、寿人は我に返って火バサミを動かした。
― 告白は、バーベキューが終わってから。コーヒーでも飲みながら、夕方頃にするんだ。
正午過ぎ、焚き火台に火がついて、炭の香りが立ち上った。
「野菜洗って切りました!まずは、ビール飲みませんか?」
結海の提案に、寿人はうなずく。
お酒を飲んでいいと言ったのに、結海は「私もノンアルコールにします」と譲らなかった。
日帰りキャンプは、飲めないのがさみしい。本当は一泊したいけれど、曖昧な関係のまま泊まるのはよくない気がして、寿人は今回は日帰りで誘った。
― 次は土日で来たいな。
願いを込めて、結海を見る。
きょとんとした顔の結海がこちらに視線を移し、3秒ほど目が合った。
― …きれいな人だなあ。
「ん?」
「あ、いや。乾杯しましょうか」
「そうしましょう」
声を揃えて乾杯する。
瓶を傾けると、冷たいノンアルコールビールがツーっと寿人の中に落ちてきた。
「じゃあ、まずは…さっそくお肉焼きますかね?」
結海は立ち上がって、クーラーボックスの中をうれしそうに覗き、和牛カルビを取り出す。パッケージに、精肉店の金色のシールが貼られている。
「そうだね、焼こう」
焚き火台を覗き込むと、結海と肩が触れ合った。
寿人は火の上に網を乗せ、温まったのを確認してから牛脂をすべらせる。自分の跳ねる心臓を落ち着かせるように、丁寧に。
「どうぞ、のせてください」
「はい。うわあ、美味しそうなお肉だ」
結海は感嘆の声をあげながら、程よくサシの入った和牛を4つ、網の上に並べた。
「…ねえ、寿人さん。懐かしいですね。初めて会ったあの夜」
チリチリと、肉が焼ける心地よい音が聞こえてくる。結海はトングを片手にそれを見ながら、寿人に話しかけた。
「もう4ヶ月も経つんですよ。この4ヶ月、いろいろあったけれど…寿人さんに何度も救われました」
「それは、よかった」
「私、実は、あのキャンプの日の帰り道、寿人さんにまた会えるような気がしたんです。それも、なぜかまた一緒にキャンプできるような気がして」
伏し目がちに話す結海の長いまつ毛が揺れている。
「だから今、まるで答え合わせをしているような気分です」
「それは…うれしいです」
照れながら、寿人は考える。
― あの日、結海さんと出会っていなかったら。
きっと自分は今日、どこかで一人でキャンプをしていただろう。それなりに快適で、そこそこ満たされていて、安穏な人生を送っていたはずだ。
対して今は、こんなにも心が揺れる。
結海を愛しく思ったり、苦しく感じたり、情けない自分に嫌気がさしたり。
それでも、結海と向き合っていたいと思う。どうしても。
運命。そんなもの信じてなかったけれど、もしそんな幸福を自分が受け取れるのなら、両手で大事に抱え込みたいと思うのだ。
4月らしい柔らかい光が、結海の頬でちらちらと揺れる。
「焼けたかしら?いや、まだかな」
お肉の世話をしてくれている結海が、トングを使って肉の様子を見る。
「…待って」
「あ、まだ触っちゃだめですか?」
結海が、あわててトングを肉から離す。
「ううん、そうじゃなくて。結海さん、改めて言わせてください」
「はい」
「僕の彼女になってくれませんか?」
結海が、こちらをじっと見ている。
― ああ…。夕日を見ながら、穏やかに言うって決めてたのに。
思いが溢れ出て、すぐに言葉になってしまった。自分らしくない。
心臓が止まりそうな寿人の耳に、結海の優しい声がそっと届いた。
「はい。…すっごく、すんごくうれしいです」
結海は、うるんだ目で寿人を見て、それから空を見上げた。
つられて見上げた青空は、嘘みたいにキレイだった。鳥の群れが、北のほうに飛んでいく。
「…幸せです。僕」
寿人は今この瞬間、孤独だった未来に光がさして、人生の意味が少し変わったのを感じた。
結海に出会うまで、特に未来を変えたいだなんて願っていなかったはずなのに、今、それがとてもうれしい。
そのとき、ジリジリという音とともに、ちょっと焦げ臭い香りがした。
「あ、お肉!」
2人して箸を割り、慌ててすべてをお皿に上げていく。
「ああよかった、焦げてない」
うわずった寿人の声に、結海はケラケラと笑った。
告白したばかりなのに、ムードはない。情けない。でも、結海は、心底楽しそうにしてくれている。
結海が自分の恋人になってくれたなんて。寿人の胸は、静かで美しい驚きに包まれていた。
不意に、結海の右手が、寿人の左手に重なる。
「寿人さん。ありがとうございます」
寿人は、手のひらの向きを変えた。
そして、たった今手に入れたその幸せを、ふわりと包み込んだ。
2年後 《華SIDE》
振袖を着るのは成人式ぶりか。華はうっとりしながら思う。
成人式では白地の振袖を着たが、今日は赤がベースのものを選んだ。
― 結海さんのドレスと被ったら、申し訳ないもんね。
結婚式に出るのは初めてだ。それが、兄の結婚式だなんて。寿人のことをなんだかんだいって大好きな華は今、心からワクワクしている。
海。ランドマークタワー。大きな観覧車。
― みなとみらいで挙式なんて、いいなあ。私もいつか結婚、してみたいなあ。
華は早稲田大学を卒業し、大手飲料メーカーに入社。この春で2年目になる。
これからもきっと、いろんな出会いが待っている。自分も、寿人や結海のように幸せを見つけたいと思う。
「ちょっと華!振袖のときは、そんなに大股で歩かないの」
「そうだぞ、ゆっくりで大丈夫だ。親族の集合は9時で、まだ時間には余裕あるから」
背後から、両親の声がする。2人は、今日のために軽井沢から、式場がある横浜まで来ている。
「ちょっと華、待ってよ〜」
楽しそうな母の声。華は、満面の笑みで振り返る。
「だって、楽しみなんだもん!」
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