全財産をだまし取られた認知症の在日韓国人70代男性が“生活保護受給”…その経緯にみる「成年後見制度」の課題とは【行政書士解説】

私は行政書士になって間もない頃、70代前半の在日韓国人男性・ヨシオさん(仮名)の成年後見人に選任され、ご本人が亡くなるまで4年ほど務めました。

成年後見制度とは、知的障害、精神障害、認知症などによって、財産管理や契約といった法律行為を一人で行うことが難しくなった方を法的に保護する制度です。たとえば、よくわからないままに契約し悪質商法の被害などに遭わないようにするものです。

私は、ヨシオさんの成年後見人を務めた経験を通じ、その責任の重さと業務の大変さを味わうとともに、制度が大きな課題を抱えていることを痛感しました。今回は、そのことについてお話しします。(行政書士・三木ひとみ)

認知症・無年金状態の70代男性の「成年後見人」として、生活保護申請等をサポート

ヨシオさんはもともと料理人。70代になっても足腰は達者でしたが、40代頃から脳の前頭葉や側頭葉が委縮する「ピック病」という若年性認知症の一種を患っており、症状は日に日に悪化していました。

不遇なことに若くして病気になったヨシオさんは、後述するやむを得ない事情のため無年金状態だったものの、働き盛りの頃に一生懸命に仕事をした結果、現預金に加え不動産などそれなりの財産があったため、それらを原資として介護付き老人ホームに入居しました。

しかし、信用していた知人に全財産をだまし取られた結果、老人ホームの賃料を支払えなくなりました(役所の担当者によると、調査によって、預金口座の通帳記録等からその事実が判明したとのことです)。

まだ財産がある状態で成年後見人がついていれば、このようなことは避けられたはずです。しかし、私のところにきた時は、すでに、財産の大半をだまし取られた後でした。

頼れる親族もなく、やむを得ず血縁関係のない知人が面倒を見てきましたが、それにも限界がありました。そこで、その知人から行政書士である私に、ヨシオさんの救済を求める相談があったのです。

実は、ヨシオさんのような無年金状態の人でなくても、老後にだまされて全財産を失うケースは多くみられます。

ヨシオさんの知人からの相談内容は、「ヨシオさんに生活保護を受給させ、その額の範囲内で入所できる介護施設に移転できないか」というもの。その前提として、ヨシオさんをサポートするために成年後見人の選任が必要な状態でした。

ヨシオさんは病状が進行し認知機能が著しく低下していましたが、幸い、私と一緒に大阪家庭裁判所に出向いて「この行政書士さんに私の成年後見人になってほしいです」という程度の意思表示は有効に行うことができました。

私は大阪市内の区役所にもヨシオさんと一緒に出向き、生活保護の申請をしました。

介護施設に入所も、転居を繰り返したワケ

無事に私が後見人に選任され、生活保護受給できるようになり、介護施設に入所してからも、ハッピーエンドというわけにはいきませんでした。

ヨシオさんは足腰が達者なうえ、ピック病特有の症状として、施設内で勝手に他人の部屋に入って物色するなど、衝動のままに行動してしまう傾向がみられ、施設の転居を何度も余儀なくされました。

当初入居していた施設では、他の入所者の家族が頻繁に見舞いに訪れていました。その方たちから「認知症の男性が勝手に物を触るなど不審な行動をする」というクレームが絶えなかったのです。

結局、同じグループ系列の施設で移転を繰り返した挙げ句、身寄りのない人のみが入所している施設を選ばざるを得ず、お世辞にも綺麗とはいえない施設以外に選択肢がなくなってしまいました。

介護士による「虐待」

ところが、その転居先の施設で事件が発生します。ある日、私が施設にいるヨシオさんを訪問したところ、元気がなく、顔に痣があったのです。

私が施設に苦情申し入れと実態調査を依頼したところ、男性介護士の一人が、ヨシオさんを含む入居者に暴力を振るっていたことが発覚しました。

そこで、生活保護のケースワーカーに別のグループが経営する施設への移転の費用申請をするも、「費用は出せない」と言い放ったため、私が「そんなことはあり得ない、虐待が行われていた施設にヨシオさんを放置するのですか」と抗議し、一転して費用が支給されることになりました。

その後、ヨシオさんは施設を移転し、ようやく安住の地を得ましたが、コロナ禍のさなか、2021年に新型コロナウイルスに感染して肺炎をこじらせ、病院で息を引き取られました。

成年後見制度の「課題」とは

ヨシオさんは若年性認知症でしたが、高齢化が進むにつれ、単独では有効な意思表示を行うことが難しい認知症の高齢者が今後も増加するとみられます。そんななか、本人を保護する成年後見制度は、今後ますます重要になっていくに違いありません。

ヨシオさんの件でも、もし成年後見人がついていなかったら、当初入居していた老人ホームから生活保護を受給して他の施設に転居することは、スムーズにはいかなかったはずです。

また、入所先の施設における虐待の事実は発覚せず、仮に発覚しても施設移転の費用は出なかったかもしれません。

しかし他方で、成年後見制度は大きな課題を抱えています。

後見人の職責は、本人が意思表示できる能力を取り戻さない限り、亡くなるまで続きます。

後見人は親族の中から選任されるほか、弁護士が選任されることもあります。また、財産の額や種類が多い場合などは、後見人が権限を濫用しないよう監督する「監督人」が別に選任されることもあります。

問題は、成年後見人の労力が、その対価として受ける報酬に見合っていないことです。

後見人らの報酬は、家庭裁判所が金額を決定し、本人の財産から支払われることになります。

特に、生活保護受給者をはじめとして、資産がそれほど多くない場合、本人の財産から支払うことができず、親族が負担するものでもないため、自治体独自の助成により報酬の一部が支払われるに過ぎません。自治体によっても、成年後見人等の報酬に対する助成の上限額は異なります。

成年後見人を“引き受ける”ことの難しさ

現在、私は行政書士として、新規に成年後見人に就任するのをお断りせざるを得ない状況です。

被後見人の財産状況や後見業務に関する報告に加え、多大な労力を要するからです。

たとえば、病院や施設、居宅を定期的に訪問して、不当な身体的、精神的虐待を他者から受けていないかを、自分で自分を守る能力に乏しい本人の代わりに確認し、言葉で訴えきれないSOSを察知し、必要に応じて適切に行動することが、人として当然に求められます。

また、被後見人の医療、延命措置等、命にかかわる判断をしなければなりません。一後見人の自分が、親族でもない他人様の最期を決めて良いのか、毎度非常に悩み精神をすり減らすことになります。

ヨシオさんは、足腰は達者なので本当に目が離せませんでした。

ピック病の症状のため要介護2だったヨシオさんですが、他の施設入所者の方と比べて年齢も若く、もともと活発な方だったので、施設の外に出たくて仕方ありません。施設ではマンパワーも限られているため十分な運動を外でさせることができず、本人もストレスが溜まっていました。

「後見人さんが、ヨシオさんのストレス解消のため散歩に付き添ってくれると、ご本人も喜びます」

そのように頼まれたこともあり、私は月に2回ほど、ヨシオさんの施設を訪れ、外出許可を得て、基本的には近場の散歩でしたが、時にはヨシオさんの好きな電車に乗って出かけることもありました。ヨシオさんは、毎度大喜びで、「ちゃんと先生の言うこと聞くから、また来てや」と懇願してきました。

でも、ある日、施設に戻るため駅へ連れて行った際、切符を買っているほんのわずかな隙にヨシオさんの姿が見えなくなったのです。私は半狂乱で大声を出してヨシオさんを探したものです。

万が一、ヨシオさんが交通事故にでも遭ったら…ご本人の安否の心配はもちろんのこと、他者に迷惑をかけても後見人の管理責任を問われるため、もう、気が気ではありませんでした。

これ以上は自分の身も心も持たないと思い、ある時から、不本意ながら、新規の受任をお断りしている状態です。

後見人個人の良心・使命感に委ねられているような、制度の危うさを感じています。

成年後見制度については、後見人に就任した人による不正など、様々な問題が指摘されています。しかし、成年後見制度がなければ誰にも守ってもらえず、権利が不当に侵害される被害に遭う人が一定存在することも事実です。

財産がない人について、たった一人の職業後見人の良心に委ねるのではなく、より高い透明性と、真の意味で人としての尊厳が守られる制度へと、改良が必要だと思っています。

ヨシオさんが「無年金状態」になった理由

最後に、ヨシオさんが無年金状態になってしまった理由についても触れておきたいと思います。ヨシオさんが公的年金を受給できていれば、事態はもう少しマシだったと思われるからです。

ヨシオさんによると、比較的若くして病を発症するまでは、朝から晩まで飲食店でフライパンを振る毎日で、一生懸命働いたとのことです(そうでなければ、ある程度の資産を築くことはできなかったはずです)。また、租税公課などの滞納もありませんでした。

それでも無年金状態になってしまったのには理由があります。

日本で生まれ育ち、日本語を母国語とするヨシオさんですが、在日韓国人二世で国籍は韓国。国民年金制度が開始された1961年(昭和36年)4月1日当時は、日本国民のみが対象とされていました。

ヨシオさんはのちに帰化して日本人になったものの、それは国民年金制度に在日外国人も加入できるようになった1982年(昭和57年)1月1日以降でした。そのため、ヨシオさんの働き盛りだった約20年間、ヨシオさんは公的年金に加入したくても、加入して保険料を支払うことができなかったのです。

ようやく在日外国人も年金制度に加入できるようになったとき、すでにヨシオさんは40代。当時は、老齢年金を受給するためには、保険料納付済期間と保険料免除期間などを合算した資格期間が原則として25年以上必要でした(※)。

在日コリアンの人々をめぐる数奇で複雑な歴史的経緯についてはここでは立ち入りませんし、その必要があるとも思いません。

しかし、少なくとも、ヨシオさんのように、日本国籍を持つ人と同様の生活実態を有し、かつ働いて日本社会に貢献し、納税もしているにもかかわらず、公的年金制度から排除され、事後的な救済も受けられない人々が存在することは、日本の公的年金制度の設計上の重大な不備として指摘せざるを得ません。

※2017年(平成29)年8月1日から、資格期間が10年以上あれば老齢年金を受給できるようになりました。

三木ひとみ(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)
官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。