「一夜を共にした人数は1000人近い」坂本一生が明かす“新加勢大周”当時の秘話と、54歳になった現在

坂本一生氏は、1993年7月7日、「新加勢大周」の芸名でデビューし、大きな話題となった。スポーツタレントとして活動したのち、デビューから4年で芸能界を一旦離れるが、2005年頃から芸能の仕事を再開している。

デビュー当時からタンクトップ姿に筋肉がトレードマークだった坂本氏が、デビューから30年あまりが経った現在はさらにビルドアップされた肉体になっており、その激変した姿がネットニュースに取り上げられることもしばしばだ。

千葉県の八千代台で坂本氏が経営する「坂本一生SISパーソナルトレーニングジム」を訪問し、「新加勢大周」騒動当時のことや、そして現在の様子を聞いた。


現在の坂本一生氏。若い頃の面影はあるがそんなことよりも筋肉がモリモリだ

◆「新加勢大周」という芸名を知らされていなかった


デビュー当時の坂本一生氏。「真冬でもタンクトップ姿だったので寒かった」そうだーーオーストラリア留学から帰ってきた成田空港で当時の所属事務所にスカウトされ、芸能界に入った坂本さんですが、「新加勢大周」としてデビューすると聞いたときはどう思われましたか?

坂本一生(以下、坂本):特に何も思ってなかったんです(笑)。スカウトされて入った事務所から「お前の芸名は新加勢大周だ」って言われて、僕も芸能界のことは何も知らないし、そんなものなのかなって思ってました。

僕が事務所に入ったときにはすでに加勢大周さん自身は事務所を退所していましたが、「加勢大周」という芸名を社長が気に入っていたようで、「芸名の権利は事務所だ」という考えで「新」だけ付けたようです。

そもそも、スカウト直前までオーストラリアに留学していたので、加勢さんのことを知らなかったんですよ。それもあって、デビュー後になんでみんなそんなに騒いでるんだろうって不思議に感じてました。

ーー坂本さん本人が騒動の大きさを感じたのはどのタイミングだったんですか?

坂本:事務所の社長に、当時まだご存命だった森繁久彌さんが「さすがにほぼ同じ芸名はよくない」と苦言を呈していると聞いて、やっとややこしいことになってるんだなって気づきました。芸能界のことは何も知りませんでしたが、さすがに大ベテランの森繁久彌さんの名前は知ってましたから(笑)。

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◆騒動を経て有名人に「芸がなく結果を残せなかった」


「坂本一生」に改名後はユニットを組んで歌手活動も行ったーー7月7日のデビューから20日後の1993年7月27日に「坂本一生」としてリスタートされました。

坂本:騒動のおかげで、知名度は一気につきました。経緯はどうあれ、デビュー直後の新人をこれだけ覚えてもらえたのはラッキーでしたね。ただ芸が特になかったので、番組にはたくさん呼ばれるんですが結果を残せなかったのが残念でした。

ーー騒動の悪影響はありましたか?

坂本:紹介される名前が長くなっちゃったのが弊害かもしれません。皆さんに覚えてもらえたのはよかったんですが、スポーツ新聞とか週刊誌で「新加勢大周改め坂本一生』って書かれるのがしばらく続いたんですよ。

スポーツ系の番組でよく共演した、たけし軍団の方からは「お前の名前が長いせいで俺たちの名前が新聞に出ないんだよ!」ってしょっちゅうツッコまれてましたし、新人なのにテレビ欄とかで文字数をいっぱい使うのが申し訳なかったです(笑)。