親をサポートするのは、子どもの責任――。そう思って親の生活のあれこれについて心配・援助する子ども世代は多いかもしれません。しかし「どこまでサポートするか」を見極めないと、自分の人生を見失う可能性も…。ある女性会社員の例から考察します。
生活のほとんどが「母のお世話」だった女性
「学生の頃からずっと、生活の大半は家事と母の介護。でも、ようやく母を見送ったあと、今度はひとり残された父の世話を迫られて…」
そういってうつむくのは、都内の中堅企業に勤務する鈴木春香さん(仮名)です。
「母はもともと持病があり、私が中学生になるころには入退院を繰り返すようになりました。私も小学校のうちからキッチンに立ち、掃除洗濯を一手に引き受けるなど、家事のサポートをしていました」
春香さんは、学生時代から母親の代わりに主婦的な業務をすべてこなし、大学卒業後、会社員として勤務するようになってからも同様のサポートを続けてきました。父親は自営業で不在がちのため、自分の時間はほとんどなかったといいます。
「実は、本当につらかったのは子ども時代ではなく、大学入学から会社に就職してしばらくの間でした。周囲の友人たちは学生生活や恋愛を目いっぱい楽しんで、その後は早々に結婚していく子も…。心底うらやましかったですが、私にはきょうだいがいませんから、自分が家族を支えるしかありませんでした」
大学生から新社会人となり、多くの人が自由を謳歌する時期に、春香さんは母親の介護と仕事に追われます。
「父は自営業のため、多忙なうえ収入が不安定。そのため、私も自分のお給料を家計に入れて支えていたのです」
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「お父さんを放って好き勝手するんじゃない、親不孝者!」
しかし、仕事と介護で「自由になる時間はほぼなし」という状況下、次第に春香さんは気持ちが追い詰められていきます。そんななか、春香さんの母親の病状が急変し、亡くなってしまいました。
「母はまるで〈私の限界〉をわかっていたかのようでした」
四十九日の法要を終えたあと、転機が訪れます。春香さんはまるで何かに突き動かされるように、身の回りのものだけバッグに放り込むと自宅を飛び出してしまったのです。父親には「仕事でしばらく家を空ける」とだけ伝えて、大学時代の友人宅に転がり込んだのでした。
「同じ学部でいちばん仲がよかった子で、いつも心配してくれていたんです。母の葬儀後、私が泣きながら電話すると〈とにかくうちにおいで!〉といって、2週間も居候させてくれたんです」
春香さんは、その友人のつてで会社そばのワンルームマンションを見つけ、人生初のひとり暮らしをスタートさせました。
「初めてひとりきりで迎えた夜、〈やっと自由になれたんだ〉って、泣いてしまいました。申し訳ないけれど、安堵の気持ちが強くて、母を失った悲しみはかすんでしまって…」
春香さんはマンションの契約をした日、父親に「会社近くでひとり暮らしをする」とLINEしましたが、父親から返信はありませんでした。
しかし、静かな生活は続きませんでした。
「ひとり暮らし開始から2週間後、父のすぐ上の伯母からLINEがあったんです。〈お父さんを放っておいてなんともないの? 自分だけ好き勝手するんじゃない、親不孝者!〉という、かなり激しい内容でした」
