三笠宮家・彬子さまの当主決定も「女性宮家と一律反対が適切ではない」理由/倉山満

―[言論ストロングスタイル]―

不在となっていた三笠宮家の当主に彬子さまが決定し、「女性宮家ではないのか」「女系天皇につながる恐れがあるのではないか」とする声も聞こえてくる。しかし、「皇室の伝統を正しく理解すれば、『女性宮家』だからと一律に反対するのは適切ではない」と話すのは皇室史学者の倉山満氏だ。皇室を守るためには、杓子定規に先例を当てはめることではなく、大枠を守りながらも時代に応じた知恵が必要なのである(以下、倉山満氏による寄稿)。


’24年11月15日に三笠宮妃百合子さまが薨去され不在となっていた当主を継ぐこととなった孫の彬子さま。歴史に知恵を求め、現実に理念を合わせ皇室はここまで続いてきた 写真/産経新聞社

◆先例とは杓子定規に再現し続けるものではない

 皇室を語る際に最も大事な基準は、何か。先例である。先例の積み重ねで、伝統になる。我が皇室の伝統は、世界最長不倒の2685年を誇る。先例がどうでも良いなら、共和制にでもしたらよかろう。そんなに合理性が大事なら、世襲のような不合理など続ける必要はない。

 ただし先例とは、何も考えずに、杓子定規に再現し続けるものではない。そんなことは、人間界において不可能だ。だから何が吉例かを、常に考えねばならない。そして時代に合わせて准じて変えて、大枠を守る知恵を出し続けてきたから、皇室は続いてきたのだ。考えなしに先例墨守したのではないと同時に、伝統の大枠を壊さなかったから、今日まで続いてきたのだ。

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◆近代法を考えなしに、皇室に当てはめる愚

 皇室において、先例は吉。新儀は不吉である。そういう世界だ。

 一見、その時点で合理的に見えても、本当に合理的かどうかはわからない。一時の多数決など、しょせんは歴史の中では少数派である。だから、歴史の中に知恵を求めてきたのが、皇室の在り方だ。

 ここで気をつけねばならないことがある。近代法を考えなしに、皇室に当てはめる愚である。皇室は西洋の衝撃に耐え、日本国憲法とも共存してきた。しかし、皇室の藩屏(はんぺい)たる人々の中でも、西洋由来の近代法と皇室法が真逆の発想であると知らず、意識できない人が多い。

 近代法は、理念(つまり法律に書かれた条文)に現実を合わせる。たとえば、「この場所に入るな」と法律の文字で決めて、すべての人を従わせる。一方、皇室法は事実に理念を合わせてきた。