「まだ死ねん」と鼓舞する100歳の夫、「死にたい」と泣く妻と生きる“超老々介護”の日々


(C)2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”

――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回はその番外編として、3月25日から公開されるドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』における老親と一人娘の介護を見てみたい。

90半ばで家事をはじめた父。働く娘を思いやる

 一人娘でシングル。超高齢の両親は2人で広島県呉市に暮らしており、母親は認知症だ。診断された9年前にはすでに母は85歳、父は93歳になっていた。娘は、仕事をしている東京からたびたび呉に通うことになる。超老々介護かつ超遠距離介護だ。

 ――と、連載「老いゆく親とどう向き合う」シリーズで紹介するとしたらこんな感じになる。これまで紹介した家族と比べても、かなり厳しい環境だといえるだろう。それが、『ぼけますから、よろしくお願いします。』の監督で主人公でもある信友直子さん家族だ。

 2018年に公開された前作『ぼけますから、よろしくお願いします。』では、認知症になった母親・文子さんと父親・良則さん、東京から両親のもとに通う娘・直子さんの姿が描かれた。

 明るく社交的だった専業主婦の文子さんが認知症になり、それまで一日中座って本ばかり読んでいた良則さんは、文子さんに代わって掃除や洗濯、炊事、ときには縫い物までする。

 良則さんの飄々とした姿のせいか、はたまた直子さんと両親の交わす穏やかな広島弁のおかげか、老々介護にそれほど悲壮感がないのは救いだ。たまった洗濯物の上に寝てしまった文子さんを、ひょいとまたぐ良則さん。突然、文子さんが「邪魔になるなら死にたい」と泣くと、「バカタレ!」と一喝する。

 高齢の良則さんの負担が大きくなることを心配した直子さんは「帰ってこようか」と提案するが、良則さんは「ワシがお母さんの面倒は見る。人生は一度きり、やりたいことをやりなさい」と直子さんの申し出を断る。90代半ばを過ぎてもなお強く、優しい父親なのだ。

 その一方で、老いは隠せない。腰を90度曲げて坂の上のスーパーまで買い出しに行くと、疲れて店のベンチで休まずにはいられない。「立たねば何ごともすまんぞ」と己を鼓舞して立ち上がる。老いるとは、何と厳しいことか。

1回目の「おかえりお母さん」で生まれた希望


(C)2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

 18年。90歳となった文子さんは、前作が公開される2カ月前に脳梗塞で倒れ入院していた。98歳の良則さんは気丈にも「退院後は家に引き取る。働いている間は仕事しなさい」と直子さんに言い渡し、シルバーカーを押し、片道1時間かけて病院に通うのだ。

 そして文子さんを介護する体力をつけようと、マシントレーニングにも励む。とはいえ、玄関先で転んでケガをしたり、風邪をひいて体調を壊したり、さすがに高齢による衰えは進んでいる。

 それでも「まだ死ねん」と、鼠径ヘルニアの手術も受ける。100歳近くても、手術翌日からリハビリだ。そして退院後はまた文子さんの病院に通う。

 ところが、リハビリで一時は歩けるまで回復していた文子さんを、非情にも二度目の脳梗塞が襲う。もはやリハビリによる回復は望めなくなり、療養型病院(※)に移ることになる。転院する日、直子さんと良則さんは、文子さんをいったん自宅に連れて帰る。1回目の「おかえり、お母さん」だ。

 ほとんど寝たきりだった文子さんは、自宅に帰れたことを喜び、声を上げて泣く。良則さんは「はよようなって、またここで暮らそうや」と声をかけた。文子さんはまたがんばれるのではないか――。家族に希望が生まれた。

※文子さんが移った施設は、長期の療養が必要な比較的重度の要介護者のために、介護職員が手厚く配置された介護療養型医療施設のようだった

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