「美智子さまいじめ」の主犯だった、学習院「常磐会」とは――皇太子妃の座をめぐる“アンチ活動”

“美智子さまいじめ”の主犯は常磐会メンバーだった

堀江 そんな彼女も皇太子妃時代の“美智子さまいじめ”の主犯だといわれていますね。しかし、吉原の遊女だった女性が、廓(くるわ)から逃げ出し、「自主廃業」するのを手伝うなど(参考:森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』朝日文庫)、先進的な社会運動家としての顔も柳原さんは持っていたわけです。

――美智子さま排斥運動にそんな柳原さんが加担するのは、矛盾している気がします。

堀江 そうなんですよね。常磐会のメンバーにとって、皇室は最高のスターであり、なにもかも崇め奉るような特別な存在であるべきだったのかもしれませんね。生まれた家が(旧)皇族・華族ではないことはよほど許せなかったのでしょう。もしくは、自分より上位の方々……たとえば松平さんからの排斥運動参加要請を断るようなことは、とてもできなかったのかもしれません。

 柳原さんは、戦前に華族の身分を奪われてしまったような奔放な女性ですし、戦後、ご存じのように華族という身分は消失しています。しかし、柳原さんアイデンティティとしては、高貴な生まれであるという自負心は消えずにあったでしょうし、自分より立場も、身分も上の松平さんから「常磐会出身ではない女性が皇太子妃になるなんてあってはならないことよ。有名人の貴女に協力していただきたいわ」などと頼まれたら、拒めなかったのでは……。

常磐会会員の有力者を巻き込んで、アンチ美智子さま活動を展開

――それにしても、当時の常磐会、相当に美智子さまへの敵対心が渦巻いていたのでは? 常磐会以外の人間が皇后陛下になられたわけですし。

堀江 本当はどの程度のものだったかは、関係者による信頼できる証言がないので、なんとも……なんですがね。でも「(美智子さま)反対派による結婚妨害の火の手は婚約成立後は『美智子妃いじめ』に姿を変えて燃え盛る」(塩田潮『昭和30年代 「奇跡」と呼ばれた時代の開拓者たち』)とか、書籍でも確定事項として取り扱われ、それに校正から特にツッコミが入ることもないという珍しいことになっている話ではあります。

 松平さんは、この連載で以前、紹介した皇太子殿下(当時、現・上皇さま)に帝王学を授けた一人とされるアメリカ人女性・ヴァイニング夫人をサポートしていたそうです。そして松平さんが、皇太子殿下の結婚相手としてプッシュしていたのは旧皇族出身の北白川肇子さんでしたから、美智子さまに決定したことで、他ならぬ、この自分の意志がムシされたと立腹してしまったといわれています。

 そして、昭和天皇の皇后である香淳皇后や旧皇族の梨本伊都子さんなどの、もちろん常磐会会員の有力者を巻き込んで、アンチ美智子さまの活動を繰り広げたとかなんとか。ただ、昭和天皇が皇太子殿下と美智子さまのご結婚に、理解をお示しになったら、表立って大反対の空気を出すことは控えたとされてはいます。

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