物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは

物忘れが激しくなった母。パニックで叫んだり徘徊したりすることも…そんな母に教えてもらったこととは

「認知症」と診断された母

病院を受診し、母は「認知症」と診断されました。もしかして……とは思っていましたが、いざ診断されるとショックでした。医師から母と接するときのアドバイスや、デイサービスの利用などの説明を受け、家に帰りました。

私は週に2日のみ生け花講師の仕事をしていたこともあり、母のことは自宅で様子を見ることになりました。

ある日、母は転んで足をけがしてしまいました。筋を痛めたようで足が悪くなり、あっという間にほとんど寝たきり状態に……。

介護施設へ入れることも考えましたが、「今まで母に助けてもらってきた恩を、今度は私が返す番だ」と思い、仕事を辞めて自宅介護に踏み切ります。日中は息子も小学校へ行っていることもあり、母との時間に集中できていました。

介護の本を買い、素人ながらに勉強して母の介護に努めました。

しかし、寝たきり状態になったことで、母の認知症の症状はさらに進んでしまいます。約束していないのに「今日は友人とランチに行くから、準備させてくれる?」と、笑顔で頼む母に、私は胸が痛くなりました。

自宅介護に限界を感じた私

時々幻覚も見え始めた母は、パニックになって叫ぶことも。「母に恩返ししたい」という一心で介護していましたが、息子との時間を十分に取ってあげられないようになってしまいました。そのことが、自宅介護を選択した唯一の後悔です。

息子と話をしていても母がパニックになり叫びだすと、どうしても母を優先しなければなりませんでした。自分の時間は一切なく、息子にも罪悪感を覚えながら介護する日々。

しかし、このときの私は1日を無事に終えることに精一杯で、誰かに頼るという選択肢はありませんでした。

母は認知症が進んでも、私と息子のことは覚えていましたが、友人がお見舞いに家へ訪れても「どなたでしたっけ?」と言うようになりました。友人は母に見えないところで涙を流し、「また来るからね。頑張り過ぎないでね」と私に声をかけてくれて、その後何度も母の顔を見に来てくれました。

時がたつにつれて、母は夜に徘徊するように。母がどこかへ出て行ってしまわないように、私は睡眠時間も削り、寝ていても休んだ気がしない日々が続きました。

そんなとき、家へ訪れた母の友人が私の様子を見て、「自分の母親だからって全部抱え込まなくていいのよ」と言ってくれたのです。母の友人と話をしたことがきっかけで、施設に入れるのではなくデイサービスなどを利用してみることにしました。

利用を始めてから、自分が母の介護をできないという罪悪感はありましたが、ヘルパーさんにその日の母の様子を聞いたり声をかけたりしていただいたおかげで、安心してデイサービスに頼れるように。息子との時間もでき、自分の心にも余裕ができたように感じました。

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