●親子で発達障がいでした
「子育てって、なぜか“早くできた子が偉い競争”みたいなことがありますよね。誰よりも早くできた子が偉いと褒められ、できなかった子は『そんなこともまだできないの?』と言われてしまう。僕も子どもの頃、『類君だけ、○○できません』とよく言われていたそうで、それを言われるのは、なぜか母親。僕自身、大人から『なぜできないの?』と言われたことはあまりなかったように思いますが、逆に褒められた経験もない。発達障がいの子は、何事もできるようになるのが遅い分、他の子どもよりも褒められる経験が極端に少ないまま育ってしまう傾向にあるような気がします。発達障がいと診断される前、母は何かにつけて『○○ができるようになるのが遅いです』と保育園から注意されていましたが、まったく気にせずむしろ言い返していたそうです」(栗原さん 以下同)
――栗原さんのお母様も、ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の診断を受けていますが…。
「はい。でも母の場合は、僕とは真逆で、小さい頃からなんでもかんでも一番早くできたようです。祖母はそんな娘のことを自慢していましたが、母にしてみれば、『頑張ったのは私で、お母さんじゃないじゃん』と常々不満に思っていたとか。だから保育園で『類くんだけ○○ができません』と言われると、『競争しているわけじゃあるまいし、一番を取ると何かいいことがあるんですか?』と言っていたらしい(笑)。母も僕もそう思いますが、何事も“できるようになることが大事”なわけで、他の子と比べて早いか遅いかなんてどうでもいいですよね。今できないことが20歳になってもできないというわけではない。もしも20歳になってもできなかったら、そのときに悩めばいいんじゃないでしょうか」
●母は僕のために、学校と戦い続けてくれました
――発達障がいということがわかってからも、お母様の葛藤は続いたようですね。
「診断後も、学校の先生とぶつかる度に暴論のような言い返し方をしていたようです。いろいろと比べられることは小学校の頃からありました。例えば、僕は日本語が不得意だったので、自分の名前を小学校3~4年の頃まで平仮名で書いていたんですね。それに対して、日本の学校の先生は、母に『この年齢になっても自分の名前を平仮名で書いているのは類くんだけです』と言いましたが、母は『でも自分の名前を英語で書けるのは類だけですよね』と言い返していました。今回書いた書籍でもそのようなエピソードはたくさん登場しますが、あの頃、僕のために日々戦ってくれていたということは、今回母からいろんな話を聞いて初めて知りました」
「母は、発達が早い・遅いという風潮を嫌がっていた分、僕ができなくても『なんでできないの?』という言い方は絶対にしなかった」と語る栗原さん。親に否定されずに育ててもらったことが、後の自己肯定感を育んだと自身を分析する。
「ありのままの僕を受け入れてくれた母親には、今とても感謝しています」そう語る彼は今、俳優としてタレントとして、着実に進化している。
(撮影/田子芙蓉 取材・文/蓮池由美子)