理解してもらうための本当の「努力」とは
ここまで、別物と分けることの必要性と、これを理解してもらうための努力がかえって空回りしがちなことをお伝えしてきました。とはいえ私自身も、人格の問題と捉えたり、虚言癖と捉えたりする発言を目にすると、もう少し調べて欲しいなと思ってしまいます。
この私の発想も、前述の(1)と同じですね。 他者を否定しても、何もはじまりません。「分かってもらえない病気」、それが依存症です。 私は32歳のときに精神科に入院しました。当初は、冒頭で述べたように、(1)や(2)、(3)の努力を繰り返していました。誤った努力を続けている以上、なかなか回復できませんでした。悶々としていたんですね。「どうして、理解してもらえないのだろう」「こんなに自分は理解してもらう努力をしているのに……」と。
依存症と診断されて3年目のある日、ふと気づいたんです。「依存症は病気」であること、これを証明したかったら、自分がエビデンスになるしかない、自分がやめて、証明するしかない、と。
あの日以来、酒をやめ、依存症から抜け出すことができました。
ポイントは「分かって欲しい」というこだわりを捨てたこと、です。つまり、「分かってもらえないのなら、分かってもらいたいと願うことをやめること」にしたんです。このように考えたら、妙に肩の力が抜けたんですね。
さいごに
依存症者は幼少期に機能不全家族に育ちます。その結果、愛情を知らない、ないしは不足のまま大人になります。この愛情不足が自分を認めて欲しい「承認欲求」となります。そして、「欲しい欲しい」と何かに依存します。分かって欲しいも同じ発想で、「分かって欲しいという願いに依存している」ともいえます。そこで、「その願い(欲求)をやめる」発想が必要なんですね。
依存症は完治のない病です。いつ再発してもおかしくはありません。これは薬物依存の人が再犯を繰り返すことからも分かります。私自身もこの先生涯の努力は必要でしょう。ただし、分かってもらえないと嘆いたり、他者を批判したりすることが努力ではありません。 本当の努力とは、肩の力を抜き真っ当な人生を歩むこと。それが一番の近道です。
(佐藤城人(さとう・しろと))
配信: LASISA
関連記事: