シンガーソングライター川嶋あい、特別養子縁組の当事者であることを公表。「13歳まで育ての親を実の親と信じていた」

シンガーソングライター川嶋あい、特別養子縁組の当事者であることを公表。「13歳まで育ての親を実の親と信じていた」

シンガーソングライター 川嶋あいさんは、19歳のときに、特別養子縁組で育ての親に引き取られた当事者であることを公表しています。
川嶋さんが児童養護施設から育ての親に迎え入れられたのは3歳のときだったそう。育ての親との新たな生活が始まるまでは、福岡にある乳児院、児童養護施設で過ごしていました。川嶋さんが自身の出生を知ったときのこと、育ての親への思いについて聞きました。
全2回インタビューの1回目です。

13歳のある日、偶然、出生に関する書類を発見。頭がまっ白に

川嶋さんが3歳で特別養子縁組で新しい家族に迎えられたのは1989年のこと。最近では特別養子縁組をすると、育ての親から子どもへ早めに真実告知をすることが多いようですが、川嶋さんは親と血のつながりがないことを知ったのは、中学1年生のときした。

――出生について知ったときのことを教えてください。

川嶋さん(以下敬称略) 中学1年生のとき、育ての母から「あい、金庫から〇〇の書類取ってきて」と頼まれたんです。書類を探していると、偶然、私の出生に関する書類を見つけてしまって・・・。そこには「〇〇愛」と私とは違う名前が記されていましたが、生年月日は私と同じ1986年2月21日生まれになっていました。よく見ると母の名前の欄に知らない人の名前が記されています。中学1年生の私でも「これってもしかして・・・」と気づいて、頭がまっ白になりました。

すぐに母に書類を見せて「これは何?」と聞きました。母はこれまで見たことがないようなとても悲しい表情をして、「あいは施設におって、お父さんとお母さんが引き取りたくて、引き取ったんよ」と静かに話してくれました。

私は一瞬かなり混乱しましたが、それ以上は追及したり、母を責めたりはしませんでした。育ての父は病気で、私が10歳のときに亡くなっています。私が特別養子縁組で迎えられた子だと知ったそのときは、母と2人だけの生活でした。母が私にどんなに愛情を注いで育ててくれたかということは子ども心にわかっていたので、静かに事実を受け入れました。

――その後、親子関係は変わったのでしょうか。

川嶋 何も変わりませんでした。母はとても豪快で明るい性格の人でしたが、翌朝には、いつもの明るい母に戻っていました。よそよそしさなどは少しも感じさせませんでした。
そのころ私には歌手になる夢があり、母も必死に応援してくれているときでした。母と私は歌によって結ばれているような親子でした。母を信頼しているから、心がくずれなかったんだと思います。血がつながっていなくても大好きな母がそばにいてくれるだけで十分でした。血がつながっていなくちゃいけない、なんて全然思っていませんでした。

育ての母が亡くなった後、真実を知るために幼少期を過ごした児童養護施設を訪問

育てのお母さんは、川嶋あいさんが16歳のときに亡くなっています。お母さんを亡くした後、心のすき間を埋めるために、川嶋さんは自分の生い立ちを調べ始めます。

――お母さんが亡くなったときのことを教えてください。

川嶋 育ての母は、私が16歳のときに病気で亡くなりました。それまでも時々、入院をしていましたが、まさか亡くなるとは思っていませんでした。とっても急なことで、本当につらかったです。

父も10歳のときに亡くなっているので、母が亡くなって、親せきはいるものの孤独を感じたのは事実です。ずっと心のすみっこに引っかかっていた自分の生みの親のことや生い立ちについて知りたくて、以前見つけた書類に記されていた福岡県の児童養護施設に連絡をしてみました。

事情を話したら「施設に来てください」と言われ、行くことにしました。
すると私が施設にいた当時ことを知る先生がいて、私のことを記した日誌を見せてくれました。10年以上前のことなのに日誌が保管されていたんです。
そこには「今日は、ぐずぐず泣いていました」など、日々の私の様子が記されていました。生みの母は、病気がちで私が生後半年ぐらいのときに病院で亡くなってしまったということも教えてくれました。

私も、児童養護施設のことは少し覚えていて「大好きな先生が一緒に夜、寝てくれない」と言って泣いた記憶があります。ただ、どんな事情でここにいるのかはわかっていませんでした。3歳のころのことなので、覚えていなくて当然かもしれません。
でも育ての親になる父と母が時々、会いに来てくれたことは覚えています。お父さんとお母さんは会いに来てくれるけれど、私はお泊まり保育中のように考えていました。「なんで連れて帰ってくれないんだろう?」とは思いましたが、児童養護施設にいることに疑問をもったりはしていませんでした。

――書類を見つけるまでは、育ての親との血のつながりについて疑うことはまったくなかったのでしょうか。

川嶋 私は父にも母にも顔が似ていません。私を引き取ったとき、父は46歳ぐらい。母は42歳ぐらいでした。そのため私が小学校高学年ぐらいになると、両親が祖父母と間違われることもありました。でも「私の本当のお父さん、お母さんじゃないのかな?」なんて全然思いませんでした。自宅の近くには父の母やいとこも住んでいたのですが、「おや?」とか「あれっ?」なんて疑問に思ったりすることは何もなかったです。

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