シンガーソングライター 川嶋あいさんは、3歳のとき特別養子縁組で育ての親に迎え入れられました。それまでは福岡にある児童養護施設で過ごしていました。川嶋あいさんが、自身の出生について知ったのは中学1年生のときです。衝撃を受けたものの、親子関係がくずれることはなかったと言います。
育ての親との出会いや川嶋さんがどのように育てられてきたのかについて聞きました。
2回インタビューの2回目です。
生みの親は生後半年で逝去。3歳まで乳児院と児童養護施設で過ごす
川嶋あいさんは、生まれてすぐに福岡の乳児院に預けられ、その後、児童養護施設に移っています。育ての親と出会ったのは、児童養護施設にいたときです。川嶋さんが特別養子縁組で迎え入れられたのは1989年。2020年の民法が改正されるより前のことです。
――育ての親との出会いについて教えてください。
川嶋さん(以下敬称略) 私の生みの母は、私が生後半年のときに病院で亡くなっています。そのため私は、福岡の乳児院と児童養護施設に預けられていました。
児童養護施設では、私に何回も会いに来てくれる40代ぐらいの男性と女性がいました。その人たちは、いつも私にまっすぐに会いに来てくれて「元気だった?」と笑顔で優しく話しかけてくれます。でも、しばらくすると帰って行ってしまうんです。私は、その人たちをお父さんとお母さんだと思っていたので「なんで、私のことを連れて帰ってくれないんだろう?」と不思議に思っていました。寂しかったです。
当時、私はまだ3歳だったので、児童養護施設に預けられていることを理解していませんでした。子どもたちとお泊まり保育にでも参加しているような気分で毎日を過ごしていました。
迎え入れられたときは、本当の両親だと思っていた
川嶋あいさんは、特別養子縁組の手続きをへて、3歳のとき福岡にある育ての親の家に迎え入れられました。
――新しい暮らしについて教えてください。
川嶋 先ほども話したように、私は育ての親のことを、本当のお父さん、お母さんだと思っていたので、知らない人に引き取られたとは思いませんでした。
育ての父は、福岡で土木建設会社を経営していました。父は物静かで優しい人でした。休日は私とトランプをしたり、オセロをしたり、遊園地に連れて行ってくれたりしてよく遊んでくれました。
育ての母は、とにかく明るくて豪快な人でした。従業員や近所の人などを家に招くことが大好きで、母がいるだけでその場の雰囲気がぱっと明るくなるような感じの人でした。私が小学生ぐらいになると、母の提案で、私の友だちを誘って一緒に旅行に行ったこともあります。
配信: たまひよONLINE