元劇団四季で舞台俳優の木南清香、40代で第1子を出産。幼少期から妹とともにバレエを習って俳優の道へ【インタビュー】

元劇団四季で舞台俳優の木南清香、40代で第1子を出産。幼少期から妹とともにバレエを習って俳優の道へ【インタビュー】

舞台俳優で現在は主にカメラマンとして活躍している木南清香さん。今年の初めに40代で第1子を出産しました。幼いころからバレエを習い、舞台へのあこがれが強い子どもだったようです。妹で俳優の木南晴夏さんとの幼少期の姉妹エピソードから、現在の仕事への思いまで、さまざまな質問に答えてくれました。全2回インタビューの1回目です。

すべての始まりは、1年間懇願した、バレエ教室

――まずは子ども時代の話から聞かせてください。幼少期はどんな子どもでしたか?

木南さん(以下敬称略) 母から聞いた話ですが、幼少期のころの私はまったく人見知りせず、だれにでも話しかけるような子どもだったようです。知らない人にでも「こんにちは!」と自分から話しかけ、どこでも踊ったり歌ったりして、とにかく元気でものおじしない子どもだったそうです。

――踊ったり、歌ったりと活発な子どもだったのですね。当時はどんな習いごと事をしていましたか?

木南 実家の近所にバレエ教室があったので母に「バレエを習いたい」とずっとお願いしたのですが、妹がまだ小さかったこともあり、なかなか習わせてもらえませんでした。どうやら母は私が1年くらい言い続けたら習わせてあげようと、様子をみていたようです。どうしてもバレエを習いたかった私は、「バレエを習いたい」と言い続けました。その結果、母が根負けし、1年越しで習わせてもらえることになりました。また、ピアノも同じ時期から習わせてもらっていました。

――幼いころからとくにバレエに魅了されていたのですね。

木南 小さいころからバレリーナになりたくて、バレエに対して強いあこがれを持っていました。バレエは自分が踊るだけではなく、だれかが踊っている姿を見ることも大好きでした。だから自分のレッスンがない日も教室に行き、お友だちやお姉さんたちが踊っている姿をずっと見ているような子どもでした。

初舞台でとりこになったミュージカルの世界

――小学生になるとミュージカルに夢中になったとのことですが、どんなことがきっかけだったのでしょうか?

木南 きっかけは、小学2年生のころに受けた「市民ミュージカル」のオーディションです。ちょうど子どものバレリーナ役を募集していたので母が「受けてみたら?」と背中を押してくれたので、オーディションを受けたところ晴れて合格を手にし、初舞台を踏むことができました。

――初舞台はいかがでしたか?

木南 その舞台で最年少だった私は、まわりの大人たちにとってもかわいがってもらいました。自分が出演していないシーンの稽古中は、演出家さんのひざの上に座って見学していたらしく、今思うと、とっても邪魔ですよね。また、“出演料”として、お金をいただいたことがとてもうれしかったことを覚えています。たしか1万円だったと思うのですが、大人になったような気持ちになりました。

――小学2年生には高額に感じたのではないでしょうか。

木南 金額よりも、「自分で稼いだ」という感覚がうれしかったですね。そのときからミュージカルの世界を知り、小学4年生からミュージカル教室に入り本格的に習うことにしました。

――オーディションを受けたりもしたのでしょうか?

木南 小学6年生でミュージカルの王道、「アニー」のオーディションを受けに東京まで行きました。でも、まわりの子どもたちの本気度に圧倒され、「東京の子たちとは戦えない」と軽いざ折感を味わいました。でも”いいところ”まで進んだ自分を誇らしくも思い、そこからは「もっと準備しよう」、「プロになりたい」という気持ちが目覚めました。とてもいい刺激をもらえました。

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