夏の夜空を鮮やかに彩る花火。その美しさに魅了されたことは誰もが一度はあるだろう。だが、その背後には膨大な努力と緻密な計算が隠されている。1872年(明治5年)創業の菊屋小幡花火店は、初代小幡忠英から現在の5代目へと代々受け継がれてきた。特に4代目の清英さんは「四重芯菊」を完成させ、多重芯ブームの火付け役となった名工だ。2003年(平成15年)には黄綬褒章を受章するなど、その技術力は内外に知られている。
今回話を聞いたのは、菊屋小幡花火店5代目の小幡知明さん。「花火が上がる世の中って平和だ」という言葉の背景には、コロナ禍で打ち上げた花火が人々に希望と癒やしを与えた経験がある。花火の一瞬の輝きで人々の心を揺さぶる瞬間を追求する彼の姿勢は、まさに日本一を目指す職人魂そのものだ。
これからの目標は、日本を代表する花火屋としての地位を確立し、さらに海外展開も視野に入れているとのこと。壮大な夢を抱きつつ、一つひとつの花火に心血を注ぐ知明さん。彼が描く未来の花火は、どんな光景を見せてくれるのか。菊屋小幡花火店の歴史や現代の花火への考え、そして花火にかける想いについて詳しく話を伺った。
■花火と共に歩む 菊屋小幡花火店の伝統と革新
――菊屋小幡花火店について教えてください。
【小幡知明】菊屋小幡花火店はおおよそ明治5年から始まったとされています。過去の資料に明治5年という表記があり、それが一番古い記録です。しかし、実際にはもう少し前から始まっていたのではないかとも思います。初代は学校の先生をしながら花火作りをしていました。「小松流」という名前は、小幡と松田さんの頭文字を取って名付けられたものです。私もその話を聞く前は、秋田の小松煙火工業さんと関係があるのかと思っていたのですが、実は単純に小幡さんと松田さんが始めたという話でした。初代から引き継がれ、私は5代目になります。
【小幡知明】歴史は古いですが、先々代、3代目が40代半ばのときに亡くなり、私の父である先代は当時まだ中学生でした。そのときは、私の祖母が女花火師として頑張って続けてきました。先代は秋田の大曲の競技会やそのほかの競技会で大きな功績を残し、小幡の名前が全国的に広まりました。私が入社して10年ほど経ったころに先代が急に亡くなり、私は31歳のときに店を引き継ぎました。
――お若いときに引き継がれたのですね。苦労も多かったのではないですか?
【小幡知明】そうですね。もう右も左もわからないというか。花火作りには携わっていましたが、経営などに関しては、すごく悩みながらやってきました。人脈や、いろいろなノウハウを見つけるために、地元の青年団体に無理やり入ってみたり。すべてが空回りしているというか、一生懸命やっているものの、1年、2年目はなんとかがむしゃらにやったら乗り切れて、ちょっとした結果を残せたかなと思いました。
でも、3年目ぐらいから5、6年目までは、本当に一番苦しみましたね。自分が何をやりたいのかということと、社長として何かやらないといけない、ちゃんとした結果も残さなくちゃいけないというプレッシャーで、本当に何を作ったらいいのかよく見えていませんでした。何をやってもうまくいかず全部失敗するというか…そんな感じで、ものすごく苦労しました。
【小幡知明】でも、そんななか、オリジナル花火「モノクロームの華」が生み出せたんです。それがきっかけで、考え方が少し変わりましたね。万人に受けるための花火じゃなくて、誰かに向けた花火。一人が喜んでくれたら、周りの人も喜んでくれるんじゃないかと気がついたんです。それが自信にもつながりました。それから大変ではあったものの、だんだん楽しみながらやれるようになりました。
【小幡知明】そして、技術のレベルもだいぶ上がって、経験も積んできたので、本当にみんなでいろいろとおもしろいものを考えられるようになりました。ちょうどいい体制になった2018年(平成30年)に工場を建て替え、その翌年、秋田の大曲の花火大会で内閣総理大臣賞を受賞しました。割り玉の部と自由玉の部、創造花火、スターマイン、昼花火の4部門で競技がありましたが、「尺玉二発」が両方優勝して、創造花火が2位でした。あのときは、社員一同で喜びを分かち合いました。
――先代の偉大さがプレッシャーになったりはしませんでしたか?
【小幡知明】いや、家ではただの酔っ払いでしたからね(笑)。尊敬の対象というよりは、亡くなってから周りの人に「お前の親父さんはな」みたいな話を聞かせてもらって、「ああ、やることはやったんだな」って思ったくらいです(笑)。
――厳しさといった部分ではいかがでしたか?
【小幡知明】厳しさもありましたが、結局やり続けたというか、挑戦して始めたから引くに引けなかったところもあったのではないかと思っています。先代から続けることの大事さを学びました。
――屋号に込められた想いを教えてください。
【小幡知明】屋号は、先代のこだわりなんです。当初は小幡煙火店という名前でしたが、一般の人たちにわかりにくいという理由で、1993年(平成5年)5月に社名変更しました。かつて菊屋という屋号があったらしく、それを使って「菊屋小幡花火店」にしました。菊屋を名乗り始めてから年数はまだ浅いですが、「菊屋さん」と愛着を持って呼んでもらえるんです。小幡さんと呼ばれるのも悪くないですけど。ですから、屋号の重要性は強く感じていますね。
【小幡知明】菊は花火の総称的な部分が強いので、先代もこだわっていた丸い花火とか、真円を描くという使命感がありました。そのこだわりが屋号にも表れています。屋号に関してはそんなところです。いかに丸い花火を作るかっていう思いは強いですね。
■美しき花火の裏側、菊屋小幡花火店の努力と工夫
――競技会の花火などは、打ち上げたときに手応えがわかるものなんですか?
【小幡知明】自分で「いいな」と思ったときに入賞しないことがけっこう多いんですよ(苦笑)。自分は、反省点が気になるタイプでして、「あそこをもう少し、こういうふうにやっておけばよかった」とかっていうのがあるので、「本当によかった」と思えたうえで賞をもらえることはかなり少ないですね。だけどオリジナルの「里山の忘れ柿」という花火は、審査員の方々にもすごく評価されました。花火の整合性がすごいって。一般の人も「どんな花火なの?」って楽しみながら見て、「あ、なるほどね」って納得してもらえるような玉が生まれました。実はその前から作っていたんですけどね。
――前から作っていて、それが結果に結びついたんですね。
【小幡知明】そうですね。それが一番勢いに乗っていたころで、翌年の競技会はコケたんですけど、それには理由があって…大会提供の花火もやらなくちゃいけなくて、そっちに力を注ぎすぎたんです。まあ、言い訳してもしょうがないですけどね。
――それは難しいですね。
【小幡知明】難易度もそうですが、それ以上に「またちゃんと見せなきゃいけない」というプレッシャーがありました。体制的な難しさも感じました。野村花火工業さんは毎年しっかりとやり続けているなって思いますが、それはまだ私の至らないところだと思います。とはいえ、調子がいいときと、(モビリティリゾート)もてぎさんで花火をあげるときの内容がかなりリンクしていて、いい形になってきたなというときはお客さんの反応が非常に高かったです。ただその後、一番ノリに乗ったタイミングでコロナが来てしまったという流れでした。
――確かに、コロナのタイミングもありますね。ちなみに、先ほど教えていただいた「玉名」はどういうふうにつけるものなんですか?
【小幡知明】玉名のつけ方はいろいろあるんです。まず花火を作って、それが何かに見えたり、現象をそのまま言葉に表した玉名もありますし、逆にこういう玉を作りたいというイメージを先に持ってから名前をつけるパターンもあります。「里山の忘れ柿」は田舎の風景や情景を描きたいなと思って作った花火です。そのためにはどういう構造にしたらいいかを考えて名前をつけましたね。うちはどちらかというと、イメージを先行させて、名前を出しながら玉を変化させていくやり方です。
――オリジナルの花火を作るときは、どう作っていくものなんですか?
【小幡知明】若いころは「これをやらなきゃいけない」「何かを作らなきゃいけない」と苦しみながら生み出していました。でも余裕が出てくると、「こんなの作ったらおもしろいんじゃないかな」と遊び心を入れてやるようになります。最近はフランクに「こんなのどう?」と口に出して、みんなに考えてもらいながら作ることが多いです。
――思い描いていたものを実際に打ち上げてみて、チェックを繰り返しながら作っていくんですか?
【小幡知明】そうですね。新しいものを一発で生み出すのは難しいんです。スターマインや創造花火で新しさを出すこともありますけど、新作花火コンクールといった毎年新作を求められるコンクールは苦しみしかないです。やりたいことをそれぞれがやりつつ、それをちょっとずつ伸ばすほうが進化できる気がしますが、あまりに新作を求められると無理して事故を起こすことだってあります。でも求められると見せなきゃいけない。みなさんいろいろ試行錯誤しながら、ある程度、無理してやっていると思います。今の流れはもっと原点に近い形に戻ってきている気がします。
――玉を詰めながら、画をイメージができるものなのでしょうか?
【小幡知明】いや、全部が全部思いどおりにはいきません。イメージを持って作っても、実際にやってみると「ああ、こうしたほうがよかったのか」ということがあります。それをちょっとずつ変えながら作っていく感じです。
――ということは、毎年上げる玉でも少しずつ差異があるわけですか?
【小幡知明】そうですね。いいものは同じような作り方をしていますが、原料が変わってきたり、有機物を使っているので、多少の違いがあるんです。
――先代が多重芯ブームの火つけ役だったんですよね。
【小幡知明】そうですね。でも、反面教師みたいな部分もあります。花火の芯をどれだけ入れてきれいに見せるかというのは、確かにいっぱい入れるときれいなんですが、崩れることが多いんですね。技術的には大変ですし、お客さんが見て歓声が湧くならいいんですけど、観客の方と同じ視点で多重芯の花火を見ることで、時々「お客さんはこれを本当に求めているのかな?」と思うこともあります。もっとわかりやすく楽しめる花火のほうがいいんじゃないかなと。
――ご自身が担当する花火の打ち上げ時はどこにいるのですか?
もてぎ(モビリティリゾートもてぎ花火の祭典)では観客席の真上で指示出しをしながら、肌で空気感を感じるようにしています。これはひとつのこだわりなのかもしれないですね。多くの場合、花火屋さんは現場で仕事をします。片付けもあるし、次の現場のことなどを考えると、現場の真下にいたほうが効率がいいんです。でも私は、お客さんの反応が一番大事だと思っていて、ちょっとした間であったり、“待てる間”と“待てない間”を見極めているんです。
――それはやはり客席じゃないとわからないと。
【小幡知明】わからないんですよね。これを最大限活かしているのは、高崎まつり大花火大会です。おおむね50分ぐらい上げるんですよ。プログラムはスターマインと、何号玉を何発とか繰り返しですが、そのプログラムすら読み上げない。打ち上げ始めたらアナウンスが一切入らないんですよ。でも、そのタイミングとかお客さんの反応を見て、「今盛り上がってるな。拍手を受けたな」と思ったら待つし。タイミングと間は本当に重要なんです。
――花火のライブですね。
【小幡知明】そうなんです。まさしくライブ派ですね。うちは動画が苦手でして、動画映えしない花火なんです。その場で見ている人たちが見やすいようにしています。その空間で見ている人が見やすいように、それが基本です。目線を徐々に上にいかせたり、下でやるときは徐々に下げていったりといったことを意識しながら構成しているので、ここが見る人の満足度が高くなる部分だと思います。
■夜空を彩る大輪の花とともに生きる、花火師のリアルな日常
――年間を通して、どういった流れで仕事をしているんですか?
【小幡知明】年間でいうと、近年は夏場の7月中旬から9月中旬までが打ち上げの繁忙期です。このシーズンに花火大会が集中します。作った玉を準備して、各地の花火大会で連日打ち上げを繰り返しています。ただ、この時期は一番暑いので、火薬の取り扱いには向いてないんですよね。気温が上がって黒い火薬は熱の吸収がよくなり、かなり温度が上がってしまうんです。燃焼性が非常に高く、ちょっとした衝撃や摩擦で火が出てしまうこともあります。作る人間も暑さでバテてしまうので、製造には向いていない時期なんです。だからこの時期に花火を上げるのが広まったんじゃないかなと私は思っています。そして暑さのほかにもうひとつ、夏の花火が定着したのは、雨が降りやすいので火事の心配が少ないとか、いろいろな背景があると思います。
【小幡知明】花火大会が終わると、夏の疲れが溜まっているのでいったん休んで、体を休めたあとにまた製造を始めます。9月からシーズン前まで、基本的にずっと製造を続けています。ただ毎年、夏が終わってから、次のシーズンに向けて「来年はどうしようか?」と話し合いながらやってるんですけど、とにかくここのところ忙しすぎるんです。コロナで花火が一度なくなり、徐々に復活してきました。主催者さん側に、祭りを再開できる体制が整ってきたのはありがたいんですが、我々がコロナで負ったダメージは大きいので、そんなに簡単に花火は作れないんですよ。製造をやめていた期間もあるので、手が少し不慣れになったりもしています。
【小幡知明】でもそれに精一杯応えようと忙しくやっているので、新しい花火の研究に時間を割くことが難しくなっています。とはいえ今は、玉のストックを増やしつつ、新作の研究にも時間を割いているのでフル稼働している状態です。それでも、依頼が多くてスケジュールが合わないこともあります。近年では主催者さんがスケジュールを調整してくれるようになってきました。
【小幡知明】作業工程としては、まず火薬になる原材料を計量して配合し、たとえば赤い炎を出す火薬を作ります。それを、粉の状態だと一点の光にならないので、丸い粒、星と呼ばれる光の粒を作ります。このあとの作業は分担し、玉を込める人は玉を込め、玉を張る人は玉を張る。ひたすらこの作業を繰り返していますね。そして、新しい人には、安全性を重視して火薬に直接触れないけど重要な仕事である玉張りをやってもらっています。何年かやって自分の花火を作りたいという想いが強ければ、違う玉込め作業や星かけ作業に移ります。
【小幡知明】さらに、近年では、花火の上げ方も変わってきています。昔は直接火をつけて花火を上げることが醍醐味でもありましたが、今は安全性を考慮して遠隔点火やプログラムを組んでやることが増えてきました。最近はプログラムを組みたいという人も増えてきているんです。
――最終ジャッジ、「これでOK!」といった、Goサインのような判断基準はどういったものになるんですか?
【小幡知明】基本的には、星が仕上がった段階で燃焼試験を常にしています。燃え方を見て、使えるか使えないかは判断できます。いいか悪いかは別ですが、使えるかどうかはわかるんですね。地上で燃やしてみていい色だと思っても、花火にしてみると暗かったり、色が薄かったりすることがあるので、配合の比率を変えたりしながら、もっといい色を出すようにしています。これをずっと繰り返していますね。
――花火師になるまでって、どれくらいの期間が必要なんですか?
【小幡知明】世間の考えと我々が考えているのとではまるで違うと思います。我々からすると、ずっと半人前っていう気持ちが強いと思います。理由は先ほどもお話ししたように、完全に思った通りのものはなかなかできないから。やっぱり足りない部分があるわけですよね。これは何年やり続けても、ずっとたどり着かないことだとも思います。
【小幡知明】そういう思いがあるので、自分で「花火師です」と名乗ることはほぼありません。テレビなどのメディアで「花火師の○○です」と名乗ることはあるかもしれませんが、花火師の「師」というものはそんなに軽くないと考えています。最終的に、亡くなったあととかに「あの人はすごい花火師だった」と言ってもらえれば、それでいい気がします。生きているうちにそんなに求めなくてもいいかなと。ですが、周りの方がそう呼んでくれることは、大変ありがたいことでもあります。
――何人くらいで花火を作っているんですか?
【小幡知明】今、私を含めて11人でやっています。全体の平均年齢は45歳くらいですね。一時はみんな若くて、これから伸びるんだろうなと思っていたけど、気がついたらだんだん平均年齢が上がってきている感じです。ただ、少し人手が足りないかなって感じるくらいが、ちょうどいい規模かなと思っています。
――花火職人に向いている人ってどんな人ですか?
【小幡知明】これはやってみないと本当にわからないんですけど、一番大事なのはやっぱり花火が好きだという想いがある人ですね。あとは、一見、器用な人のほうが向いてそうですが、不器用な人でも努力を続けて気持ちが折れなければ、後々、花開く可能性があります。だから、花火が好きで不器用な人のほうが向いているかもしれません。コツコツ同じ作業を続けられることが最も大事です。
――普段、募集を出したりもするものですか?
【小幡知明】うちは、この何十年って募集は出していないですね。人手が欲しいときに「やりたい」という声がけがあれば、基本的にはアルバイトから入ってもらっています。ただ、いきなり就職先として来られると同じモチベーションで続けるのが難しいこともあるので、やっぱり花火が好きな人に集まってほしいですね。
――ケースバイケースだと思いますが、花火の依頼は打ち上げのどれくらい前に来るものなんですか?
【小幡知明】短いと1カ月前とかに依頼が来る場合もあります。予算に合わせて準備はできますが、やれることが少なくなってしまいます。準備期間は長いほうがいいですが、やはりそこはお互いの信頼関係が重要になってきますね。
【小幡知明】たとえば、もてぎさんの場合、8月14日と1月2日はもう空けています。早い段階で「来年もやる」ということを伝えてくれるので、計画的に製造をスタートすることができます。
【小幡知明】もてぎさんの場合は担当が変わったとしても、後任の方に「こういうことはやったほうがいいんじゃないか」といったアドバイスをしてくれます。それがお互いのためでもありますね。それから、近年は少しずつ民間との取り組みも増えてきています。最近は音楽のイベント業界からの依頼が増えていますが、あまり営利目的の道具になるとそれはそれでバランスが崩れてしまうので、趣旨がおもしろければ賛同してやりますが、そこはかなり慎重に考えています。
――花火大会や競技会に出る際は、どういった体制を組んでいますか?たとえばもてぎさんのケースでは、当日は何人くらいで現地に入るんですか?
【小幡知明】大会の規模によって違いますが、1日で準備するのか、2日で準備するのかで決めています。新規以外の場所では「このくらいの人数がいれば大丈夫かな」というところで人数を決めます。社員以外にも打ち上げを手伝ってもらっている方がいるので、6月終わりくらいに一度集まっていただき、スケジュールをお知らせして「いつ出られますか?」と確認します。慣れた人で定着している現場があり「ここの現場は毎年行っている」という人にお願いしつつ、経験を積ませるために少し若手も導入する感じですね。
【小幡知明】もてぎさんの場合は、なるべく初めての人たちも連れて行くようにしています。それは、規模の大きいところで経験を積んでもらうため。一般の人が入れないところで作業ができるのもいい経験になります。人数はおおむね決まっていますが、メンバーは筒の固定や点火の配線を担当する人を見定めて決めます。全体の流れを見て、担当する人を決めるのも私の役目です。
【小幡知明】夏は前日から準備して。冬は1日ですが、延べでいえば40人弱くらいですね。花火大会の規模や設置場所の広さによっても変わります。もてぎさんの場合は事前に全部工場で仕込んで、当日に持って行きます。ほかの花火大会はだいたい当日の朝に工場で玉を筒にセットしてから出発します。
――一般的な花火大会や競技会では、ほかの花火師さんが上げる花火も見るものですか?
【小幡知明】見ます、見ます。ただ、よその花火だけを見に行くことは最近あまりしなくなりましたね。自分たちが打ち上げる会場で周りの花火も一緒に見ることが多いです。見ていると「あそこいいな」とか、よその花火を見るといいところがけっこう見えるんです。自分たちの花火は悪いところだけが目につくのに(苦笑)。
――花火師さん同士の繋がりはあるんですか?
【小幡知明】繋がりはあります。若い世代が出るようになってからは、比較的フレンドリーになり、情報交換も盛んになってきています。特にコロナの時期は、みんなで協力してどうしようかと考えることが増えました。いろいろな新しい花火大会の形が出てきて、最近では、どこの花火屋さんが上げている花火かという部分も注目されています。どこの花火屋さんが手を組んで協力しているといったことが興味を持たれるケースも増えていますね。
――花火大会の変化について教えてください。特徴や昔と変わってきている部分などはありますか?
【小幡知明】特徴としては、音楽ありきでやっているところが多くなってきています。音楽の使い方もかなり変わってきている気がしますね。もてぎさんでは、早い段階から全編で音楽を使い劇場型の演出を取り入れていました。最近ではフィギュアスケートなどほかのところでも、「劇場型」という言い方をするようになってきて、今思えば、もてぎさんがその走りだったと思います。みんながまねしたくなるような最先端のやり方をしていたんだなと感じます。そういう意味では、もてぎさんでの経験は本当に貴重で、いろいろな経験をさせてもらって成長できたかなと思っています。
――花火師になる前となってからでは花火大会の見方は変わりましたか?
【小幡知明】子どものころから花火大会に行っていたので、ずっと見続けていました。それから、これは多くの人がそうだと思いますが、若いころは、花火大会で花火を真面目に見ていたのかというと、誰を誘うかとか、花火のあとどうしようかとか、そっちに考えはいっていました(笑)。花火が上がれば「ああ、きれいだね」と思う程度で。花火大会というよりは、お祭りに参加する形でした。ひとつのきっかけというか、デートする場所だったりしましたね。ただ、花火が上がると「ああだこうだ」とうんちくを語りながら見ていたので、私と一緒に花火に行くと知識は高まるかもしれないけど、きっと楽しくなかったんじゃないかなと思います(笑)。
【小幡知明】私たちが考える花火大会の理想系は、観客ファーストです。見ている人たちが飽きずに楽しんでもらえるような構成を心がけています。最近では、企業協賛の重要性や継続するためのやり方も必要だと感じていますが、来た人が喜んで帰ってくれれば、また来年も来てくれると思いますし、それが協賛する側のメリットにもなると思います。観客の満足度を上げること、そこに一番注意しながらやっています。
■純粋に楽しむ花火大会、小幡知明が語る魅力とこだわり
――花火大会、花火を楽しむうえでのポイントを教えてください。
【小幡知明】もうそれは、何も考えずに純粋に見てもらうことですね。ネームバリューや話題性といった知識はあまりいらなくて、純粋に楽しめた花火大会がいい花火大会なんじゃないかと思います。その場の環境をそのまんま味わってもらえればいいんです。会場のアナウンスでより見やすいように工夫しているところなど、それぞれの魅力もありますし。
――誰と行くかといったことも込みですし、花火を見て何を感じるかも人それぞれですしね。
【小幡知明】うちが大切にしているのは、花火の最初から最後までどうやって楽しんでもらうかというところです。ほかの花火師さんと一緒に連携して見せる花火大会はまだ少なく、コロナ禍で何カ所か試みていますが、最初から最後までの流れを魅せられるのが、うちらしい花火大会になると考えています。
――「モビリティリゾートもてぎ花火の祭典」は、小幡さんにとってどういう場になっていますか?
【小幡知明】花火を上げる環境として、本当に最高です。大きな玉も上げられますし、広大なフィールドがあるので、そこをどう使うかが大事です。現状で使いきれているかどうかは別として、もう少し何かできるんじゃないかと思いながら、徐々に打ち上げられる範囲を広げています。もてぎさんでの経験は本当に大きく、開業当初からお世話になっていて、音楽に合わせて花火を上げるなど、多くの試練を乗り越えてきました。我々にとって新たな挑戦をする場でもあり続けています。非常に貴重な存在です。
――あの空間は“The 花火を楽しむための場所”って感じですよね。
【小幡知明】もちろん本来はサーキットですけど、「花火専用スタジアムにすればいいんだよ」って言われたこともあります(笑)。それぐらい環境は最高です。観客にとっても、上がるところも目の前で見えるし、遮るものがない状態で花火を楽しめる場所は日本ではなかなかないと思います。関東圏から車で来れる方には特におすすめですね。
【小幡知明】始めた当初から選曲や斬新な音楽の使い方が印象的でした。メジャーな音楽でやる花火大会は多いですが、もてぎさんは初めて聞くけどすごくいい曲を使ったり、音楽と花火を組み合わせて楽しませることにとにかくこだわっています。そういう“もてぎイズム”を継承しながら、よりよくしていきたいと思っています。音楽担当の方とも意見交換しながら、いろいろな挑戦をしつつ、楽しみながら盛り上げていけたらと思っています。
――菊屋小幡花火店さんの花火が見られる、この夏、注目の花火大会を教えてください。
【小幡知明】「モビリティリゾートもてぎ花火の祭典」はもちろんですが、今年でいうと8月31日(土)に予定している伊勢崎の「3市連携利根川花火大会」が注目ですね。今回は記念の大会ということで、群馬の伊勢崎市と埼玉の深谷市、本庄市の3市合同で行います。これまでは最大5号玉までしか上げていませんでしたが、今回は尺玉までの打ち上げもやります。花火大会の規模が倍増していて、群馬県内では見どころ満載の大会です。ただ、大会当日が秋田の大曲の競技会と同日なので、あんまり大きな声で言えないんですけど(笑)。大曲まで行けなくて、その日花火を楽しみたい方はぜひ伊勢崎の花火大会を楽しみにしていただきたいです。
【小幡知明】それと昨年、「土浦全国花火競技大会」で内閣総理大臣賞を受賞したので、今年は大曲でも獲りたいと考えています。アイデアもかなりいい感じなので、期待してください。
――最後の質問です。今後、菊屋小幡花火店としての目標も含めて、小幡さんの今後の野望を教えてください。
【小幡知明】野望といえば、「日本一の花火屋になりたい」という想いはあります。若いころは口にしていましたが、最近はめっきり言わなくなりました。なぜかというと、この世界って、何をもって日本一なのかが曖昧じゃないですか。でも、日本を代表する花火屋になりたいという想いはこの世界に入ったときから変わっていません。そして、機会があれば海外で展開してみたいという夢もあります。そのためには、まずはこの日本で一番メジャーになることが目標ですね。
【小幡知明】それと花火をより楽しんでもらえる人たちを増やしていきたいんです。コロナ禍を経て、花火が平和や復興のシンボルになってくれたら一番いいなと思っています。花火が上がる世の中って平和だし、そんな世界がいいなと思ってもらえたらうれしいですね。
――世の中の受け止め方としてもシンボルでしたよね。コロナ禍でも少し上がっている花火であったりを、復興や復活へのシンボルとして見る人は多かったと思います。
【小幡知明】そうですね、そう思ってもらえたなら本当によかったです。
――見上げるってそういうことだと思います。見上げることで心が明るくなるというか。
【小幡知明】そうなんですよね。コロナ禍に「CHEER UP!花火」として全国で一斉に打ち上げましたが、「花火って見上げるからいいよね」、そういった声も届きましたし、それが花火の一番強いワードなんですよね。
――見上げると笑顔になるというのはありますよね。それに、偶然見る花火ってまた感動が違いますし、特別な感じがします。
【小幡知明】そうですね。当時、隣町の安中市で10カ所ぐらいに分散して花火を上げたんですけど、自分たちの担当の現場で上がる花火を見ればいいのに、私も遠くの小さい花火を見ていたんです。隣の芝は青く見えるというか、近ければいいってわけじゃないんだなと、あの場所で小さな花火を眺めながら、そう感じました(笑)。
――本当に素晴らしいお話をありがとうございました。めちゃくちゃおもしろかったです。
【小幡知明】8月14日(水)の「モビリティリゾートもてぎ花火の祭典」と8月31日(土)の「3市連携利根川花火大会」で、会場の雰囲気と感動を共有できればと思います。ぜひ楽しみにしていてください。
小幡さんの語る花火への情熱とその裏側にある信念に魅了されたインタビュー。幼いころから花火と共に育ち、日本一の花火屋を目指す彼の姿勢には、純粋で真摯な想いが込められている。
「花火が平和のシンボル、復興のシンボルになってほしい」という小幡さんの言葉には、コロナ禍を乗り越えた経験が滲み出ていた。「モビリティリゾートもてぎ花火の祭典」は、彼にとって新たな挑戦の場であり続け、その最高の環境で花火を打ち上げることが小幡さんにとって大きな意味を持つことも伝わってきた。
「純粋に花火を楽しんでもらいたい」、という想いで手がける花火大会は、見る者にとって特別な体験となるだろう。花火が描く一瞬の美しさ、その瞬間に込められた情熱と背景の努力もあわせ、“花火師”小幡知明の花火は、これからも多くの人に感動を与え続けるに違いない。
取材=浅野祐介、取材・文=北村康行、撮影=阿部昌也
配信: Walkerplus
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