日本のサービスは「知財」。人を軸に事業を展開、ライク創業社長「誰かの人生を変えるきっかけに」

日本のサービスは「知財」。人を軸に事業を展開、ライク創業社長「誰かの人生を変えるきっかけに」

「人」を軸に保育、人材、介護事業を展開するライクグループ。1993年に創業し、待機児童、少子高齢化、人材不足など、時代に応じてさまざまな社会課題の解決に取り組んでいる。ライク株式会社 代表取締役会長兼社長 グループCEOの岡本泰彦さんに、「人」にフォーカスする理由や自身のキャリアについて話を聞いた。

■モバイル業界に特化した人材派遣業、ビジネスの基盤を固める
――まず、ライクグループが現在どのような事業を展開されているのか教えてください。
【岡本泰彦】傘下にある事業会社としては、主に3つございます。売り上げ規模が最も大きいのが、子育て支援サービス事業を営むライクキッズ株式会社です。認可保育園や学童施設、病院企業などの保育施設を運営し、保育施設では1万1000人ほどのお子様をお預かりしています。施設数は414カ所で、売り上げは業界2番手のトップクラスの会社です。

【岡本泰彦】2つ目は総合人材サービス事業を営むライクスタッフィング株式会社です。弊社はもともとモバイル業界に特化した人材派遣会社として上場しました。すでに先発の大手人材派遣会社があり、後発が幅広く展開すると力を分散させることになります。そこで急成長していたモバイル業界に特化することにしました。人材業界(営業・販売支援人材ビジネス部門)におけるシェアでは3番手の人材会社に成長したため、戦略的には当たったのではないかと思っています。

【岡本泰彦】3つ目が介護関連サービス事業を営むライクケア株式会社です。首都圏を中心に現在25施設を運営しています。約1400名の方にご入居いただき、約1000名のスタッフが日々介護をしています。介護付き有料老人ホーム等を運営しており、介護・看護スタッフが24時間365日常駐する施設が多く、「看取り」を希望された方は全員が施設で最期を迎えることができます。

【岡本泰彦】これら3つが事業の柱です。また第4の事業として外国人材の就労支援も行っております。計画段階ではありますが、今期からベトナムで保育・介護事業をスタートさせる予定です。

――モバイル業界に特化するのは勇気が必要だったのでは?
【岡本泰彦】当時はすでに大手人材派遣会社が立派なオフィスを全国に構えて、テレビCMを流すなかで、当社のような後発の会社が求人広告を出しても、高学歴の人やビジネスマナーが身についているような人は応募してくれません。我々のところに来てくれるのは、働きたくても働けない人たちでした。

【岡本泰彦】だからそういう人たちが力を発揮できるのは何かと考えてみたのです。みなさん若くて、携帯電話に関する知識があった。携帯電話が急速に普及してショップが次々とできる時代に、モバイル業界経験者はマーケットにはなかなか出てきません。我々は業界未経験者を集めて、1カ月ぐらい研修を行って知識を吸収してもらってから勤務を始めていただきました。弊社に応募する人の特性、我々の人材育成ノウハウ、そしてクライアント企業のニーズがうまくマッチして、対前年比何十パーセントと成長していきました。

【岡本泰彦】実は当社は上場するまで、営業マンがひとりもいなかったんです。人材派遣会社がするような飛び込み営業やテレアポなどしなくても、たとえば家電量販店の売り場などでスタッフの評判が広まってオファーが来ていました。当時は大阪以外のエリアに、当社のように使い勝手のいい会社がなかった。
【岡本泰彦】名古屋も広島も、お客さんから声をかけられて支社を出しました。逆に言えば、営業力がない。上場後も5年ぐらいは、営業でクライアントを開拓した社員はひとりもいませんでした。でもレールさえ明確につくれば、極論を言えば誰にでもできる仕事をこなしていれば、放っておいても結果は出ていました。よく「上場って大変でしょう」と言われますが、全く大変じゃなかったんですよ。

■人の人生を変えるきっかけになるかもしれない
――「人」にフォーカスした事業を展開される理由や想いをお聞かせください。
【岡本泰彦】人材ビジネスをスタートしたとき、今までの人生で出会ったことのないような人たちに出会いました。大学までは、だいたい同じぐらいの学力の人間が集まっているので、びっくりするような差ってあまりないですよね。大学卒業後は銀行に就職したのですが、銀行もだいたい同じような偏差値の大学を卒業した人が集まっているので、朝はみんな時間どおりに出社をします。でも人材ビジネスを始めて出会ったのは、約束の時間どおりに来なかったり、お客さんとの顔合わせに金髪のまま現れたり、「何やってんねん」と言いたくなるような人たちばかりで(苦笑)。当時、黒染めスプレーや男女各サイズのジャケットや靴を会社に常備していました。

【岡本泰彦】でも、そういう人たちも「機会があれば何かを変えたい」という思いが強くありました。話してみると、たまたま高校が合わなかったり、家庭環境の事情で中退したけど、ずっとフリーターやニートでいたいわけではないとわかりました。あるフリーターの男性は、結婚しようと彼女のご両親にあいさつに行くと、お父さんに「娘をやるわけないだろ」と激怒されたそうです。持っていった手土産も投げつけられて、彼はこのままでは永久に結婚を認められないと思った。でも彼は高校中退なので、求人票を見ても応募できるものがほとんどありませんでした。そこで当社に来た。人材派遣は派遣先へ学歴を開示する必要はありません。研修をして携帯ショップでの勤務を開始すると、彼は頑張って店長にまでなり、さらにショップからクライアント企業の正社員になったんですね。彼からは「ライクのおかげで家庭を持つことができました」と言われました。

【岡本泰彦】そういう人たちに関わることって大変なこともあるけど、誰かの人生を変えるきっかけになるかもしれない。私たちは、引きこもっている人を引っ張り出すことはできません。でもドアをノックさえしてくれるなら、人生を変えられる可能性がある。そう思ったから、人に携わるビジネスを深掘りしていこうと考えました。

■日本のサービスクオリティは「知財」
――主力事業のひとつである保育事業について教えてください。
【岡本泰彦】保育事業に進出した当時、弊社スタッフの70%が女性でした。25〜30歳の人が多く、今のように子育て環境が整備される前だったので、子どもができるとほとんどの人が仕事を辞めてしまっていた。女性が働き続けるうえで、子育ては大きな課題だという思いがありました。共通の知人を通じて、保育事業を売りに出したいという会社の社長と知り合ったことがきっかけで、保育事業に参入しました。

【岡本泰彦】現在は首都圏を中心に認可保育園を運営していますが、もともとはナースやドクターが子どもを預けられるよう、病院が経営する院内の保育施設を中心に運営していました。そんななか、国が大きな予算を割いて、認可保育園をつくっていこうという流れがあった。国の方針には乗らないと、という経営判断で、認可保育園を直近10年では多い年で20施設、少ない年でも5、6施設は出し続けています。

【岡本泰彦】保育園といっても、たとえば英語を話す外国人の保育士がいるところ、算数を教えるところなどいろいろあります。我々の場合は何かを教えるというより、子どもに学ぶきっかけや興味を与えたいと思っています。たとえば化学なら、白い液体があって、そこに何かを入れて色が変わると、子どもは「何で?」となりますよね。ほかにも当社に所属する女子プロゴルファーを呼んでスナッグゴルフ教室を開いたりしています。

――少子化が続くと、保育市場も縮小するのでは。そのあたりは、どのようにお考えですか。
【岡本泰彦】保育園は増えましたが、待機児童問題は解消されたわけではありません。潜在的な待機児童はまだまだ多いのが現状です。「待機児童はほとんどいないから、今年新たに保育園をつくってもあまり入ってこないよね」と話していても、実際は思った以上に申し込みがあるんです。そういう人たちに話を聞くと「前から働きたいと思っていたけど、近くに預けるところがなかった。いいところができたから、働くきっかけになりました」と。保育園をつくってもつくっても、待機児童はいくらでも出てくる。特に首都圏では今後もニーズがあると思います。

【岡本泰彦】とはいえ過去に比べると、待機児童問題もずいぶんと解消されてきました。ですから我々が保育事業で新たに取り組んでいるのは、ベトナムでの事業展開です。ベトナムは共働き率が90%以上と、女性の社会進出が進んでいるため、保育施設のニーズは高まっています。そこでベトナムの航空会社「ベトジェット航空」を傘下に持つソビコグループと提携して、保育園をつくっていこうとしています。

【岡本泰彦】ベトナムで保育事業をやりたいと思ったのには、もうひとつ理由があります。視察に行ったとき、現地の保育環境を目の当たりにしました。日本の小学校の教室みたいなところに、0歳児が70人ぐらいいて、大人はひとりだけ。しかも椅子に座ってスマホを見ている。だから事故がよく起こるんです。

【岡本泰彦】だからクオリティの高い日本式の保育を現地に導入したいと思いました。日本のサービスクオリティは「知財」です。この知財を輸出すれば、恐らく我々のやり方をまねる現地の会社も出てくるでしょう。でも私はそれでもいい。みんながまねて、現地の保育水準が上がって貢献できたら、ベトナムという国にとってはいいことです。「良いやり方を教えてあげたい」という気持ちもあって、アジア展開を決めました。

■介護施設で看取りまで。その想いとは?
――介護事業について御社ならではの特徴を教えてください。
【岡本泰彦】介護事業のスタートは、怒りからです。7、8年前に母親が認知症になったので、大手の介護施設を5カ所ほど見学しました。すると介護施設なのに、元気自慢ばかり。重篤な状態になったらどうするのか聞いたら「うちはナースがいないから出ていってもらいます」と言うんです。「なんや、それは。賃貸マンションじゃないねんで」と怒りを覚え、自分で介護事業を始めることにしました。要望があれば看取りまで、徹底的に対応しようと思ったのがスタートです。

【岡本泰彦】当社のやり方だと、ご逝去されてからクリーニングの手配と次の入居者様の募集を行うので、何カ月も家賃が入らないこともあります。一方で他社の場合は、たとえば入居者が3月末で退去することが決まると、すぐに次の募集を開始でき、4月1日にクリーニングすれば、4月2日から次の人を受け入れられます。周りの介護業者からは、看取りなんかしていたら採算が合わないと言われました。でも介護事業は社会貢献という面もあります。

【岡本泰彦】収益的に効率が良くないことはわかっていますが、今のやり方は今後施設が増えたとしても続けようと思っています。

――人材サービス事業で培った御社ならではの人材採用・育成ノウハウは、事業にどのように活きていますか。
【岡本泰彦】我々の傘下に入った保育事業も介護事業も、保育や介護の専門知識はあったけど、採用や研修の知識はゼロでした。だから離職率が高く、コストのわりにいい人材が採用できていませんでした。

【岡本泰彦】また、傘下に入った当初の介護施設では、施設長がひとりで見学者の対応をしていたのですが、その施設長がサンダルを履いていたりする。接客業なんだから施設長もスーツを着て、革靴ぐらい履けと。そして本社の社員も施設に足を運んで入居希望者の情報を聞き、ニーズに合わせて当社の近隣施設を紹介するなど、セカンドセールスをするように教育しました。それによって保育も介護も赤字だったのが、人の意識を変えて保育事業は上場するまでになりました。新たに採用した人には徹底した教育をする。人材ビジネスを水平展開することで、うまくシナジーが生まれたのではないかと思います。

――外国人材の活用と事業戦略について教えてください。
【岡本泰彦】すでに我々のグループ全体で300人ぐらい、介護施設でも約60人の外国人材が働いてくれています。来日して2年ぐらいで日本語をマスターして、日本の国家資格を取っている人もいます。入居者の方に評判を聞くと「みんな若くて安心感がある」と評価が高いんですよ。

【岡本泰彦】少子化で労働人口が減ると、介護業界をはじめ、あらゆる業界で慢性的な人手不足が深刻化します。日本の一部のトップ企業を除けば、多くの会社が人を採用できずに困る時代が来るでしょう。我々としては意識が高くて、真面目でやる気のある外国人材に来ていただきたいと思っています。外国人材も日本人と同じ給料を払い、人事制度も同じです。

【岡本泰彦】よく勘違いされていますが、東南アジアの人たちが一番行きたい国は日本ではありません。今は韓国のほうが給料がいいし、英語圏のフィリピンの人たちには、シンガポールのほうが人気がある。だから日本が選ばれるために、彼らの処遇を良くする必要がある。そして生活をサポートすることで日本の環境になじんでもらい、永住してもらいたい。これからは毎年3000人ぐらいの方に入国いただきたいと考えています。

■学生時代から起業を意識
――ここからは岡本さんのキャリアについて教えてください。
【岡本泰彦】学生のころからずっと、サラリーマンをするというイメージが湧きませんでした。でも今と違って、当時はベンチャーという言葉もなかったし、学生起業家も周りにいませんでした。親の期待に応えてやろうという気持ちもあって、卒業して3年ぐらいは働くことにしました。

【岡本泰彦】でも就活は全くしていなかった。僕は広島生まれなのですが、ある日、急に地元の銀行の当時の次長から電話がかかってきました。「就活はどうしてるんだ」というので「ぼちぼちしています」と答えると、大阪支店の周りがオフィス街だから、就活中に顔を出したら昼飯をご馳走すると言われたんですね。次長とランチを食べていたら「うちの銀行に、こんなおもしろい奴はおらへん。交通費は出すから、地元に帰省したら本店に顔を出せ」と言われたんです。交通費をもらった手前、顔を出さないわけにはいかない。だからジーパンにTシャツで本店に行ったんです。

【岡本泰彦】「受付で大学名と名前を伝えてくれれば大丈夫」と言われていたのですが、実際に行ってみると受付で話が通じず、15分ぐらいたってようやく会議室に通されると、常務取締役と人事部長が座っていました。実はこれが最終面接だったようで、面接を終えて実家に帰ると、母親が「さっき銀行から電話があって、内定って言ってたで」と大喜びしていたんです。

【岡本泰彦】もともと3年で辞めるつもりだったから、どこでもよかったので「3年で辞めるけど、本当にいいんですか」と言って入社しました。でも2年目の12月に「3カ月後に3年になるので辞めさせてください」と言ったら「そんなの聞いてない」と言われた。結局3年で辞めさせてもらえず、4年目の9月まで在職していました。

――銀行時代は、次にどうするか考えながら勤めていたのですか。
【岡本泰彦】そうですね。銀行員ってすごくいいのは、銀行の名刺があると、だいたいの人が会ってくれることです。だから起業するならどんな業界がいいのか、業界を見るために興味のあるところに飛び込み営業をしていました。興味本位で働いていたから、上司に怒られることもあった。当時は現金の時代なのでデパートなどに毎日集金に行くんですよ。でも僕からしたら、ただの作業。勝手に行かなくなって、今思うととんでもない行員だったなと思います。銀行員の仕事は、先輩が何十年もかけて築いてきたルーティンワークです。零細企業に行って学ばないと一歩を踏み出せないと思い、社員8人ぐらいの小さい会社に転職しました。

――転職して、実際に起業したのはいつごろですか。
【岡本泰彦】次の会社に入って4、5年後ぐらいかな。起業するための勉強がしたいけど、働いている間は給料の10倍は稼ぎますと言って入社しました。だから10月1日に入って翌年の3月31日まで、土日も含めて24時より早く帰ったことは1日もありませんでした。銀行とは違って、前日に残業したら次の日は来ないような人がたくさんいた会社で、朝行ったら誰もいないなんてことも(笑)。今のやり方では、会社はこれ以上は伸びないし、まともな人ほど辞めていきますよと言ったのに全く聞かない。ここでどんなに頑張っても、社長がそんな感覚でしか事業をしないなら仕方ないと思い、31歳ぐらいで辞めて起業しました。

――起業を決断するとき、不安はありましたか。
【岡本泰彦】不安はゼロといえばゼロ。安定したポジションを捨てるという意味では、起業をしたときよりも、銀行を辞めたときだったと思います。当時は地方銀行も待遇がすごく良くて、普通に働いていれば出世しなくても30歳ぐらいで年収1000万は超えたし、年功序列で課長や支店長にもなれた。「それを捨てて辞めるのはおかしい」「人生の負け組になる」って断言する人もいましたね。でも何の裏付けもないのに、絶対に成功するという自信だけはありました。

――今のご自身から、20代、30代の自分にアドバイスを送るとしたら?
【岡本泰彦】銀行に就職しないか、就職したとしてもすぐに辞めたほうがよかった。「石の上にも三年」というのは昭和の考え方で、意味のないところに何年もいても無駄な時間を費やすだけです。

■事業を拡大し、積極的にチャレンジを
――仕事において大切にしていることと、リーダーとして大切にしていることを教えてください。
【岡本泰彦】仕事もリーダーとしても、どちらも人を裏切らないということです。これは公私関係なく自分の軸としてあります。自分から見捨てない、裏切らない、はしごを外さない。だから人を裏切るような人を見るとすごく腹が立ちます。

――社員の方とコミュニケーションを取る機会は日常的にあるのでしょうか?
【岡本泰彦】社員が増えて大きなピラミッドになってしまったので、最近はずいぶん難しくなってきましたね。以前のように自分の目の前にいる50人、100人だけというのとは違い、今は北海道から九州まで支社があって、どうしても会えない人たちがたくさんいます。人間関係が希薄化するなかで、幹部が自分がやってきたことと同じようなことをしてくれたらいいんだけど、なかなかそこまで教育ができていないというのが今の当社の壁。伸び悩んでいるひとつの大きな要因かなと思います。

――人数が増えると、自分の本来の考えはどうしても伝わりにくくはなりますよね。
【岡本泰彦】当社はベンチャーで、設立当初は少人数のスタートアップ企業でしたから、リーダーが旗を振ったほうへ盲目的に進むような集団でした。そういう集団はある意味でとても強い。リーダーが間違うと終わってしまうけど、合議制では当たり障りのない結論しかでません。今見ていると、やたらと集まって会議しているんですよ。みんなで決めると、うまくいかなくてもみんなの責任。そんなことより、早くやるほうが重要です。新卒採用を含めて困っているのは、急成長したため、昔からいる社員と新入社員との間に、学歴のギャップがあることです。これから20〜30年したらみんなが同じレベル感になるのかもしれませんが、急成長会社の課題ですね。

――最後にライクグループの、そして岡本さんご自身の今後の野望を教えてください。
【岡本泰彦】グループとしては規模をさらに大きくして、社会や国に影響を与えられるような会社になりたいと思っています。介護なら「ライクが看取りもやっているから、我々もしないとまずいよね」と思われるぐらいの存在になっていきたいですね。今後も社会課題の解決に取り組み、保育や介護以外でも、国の手が届いていないと感じる問題があれば積極的にチャレンジしていきたいです。

【岡本泰彦】それから、個人的には、そろそろゆっくりしたいですね(笑)。今は大学で客員教授や講師をしたり、ベンチャー企業の社外取締役を務めたり、手を広げすぎているので、徐々に減らしてひとつのことに集中したいと思います。

この記事のひときわ#やくにたつ
・人が最大限に力を発揮できる方法を考える
・既存のビジネスを水平展開することで相乗効果が生まれる
・時代や社会の変化に応じてビジネスを展開する
・まずは自信を持つことが大切

取材=浅野祐介、撮影=樋口涼

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