『虎に翼』、ドラマで描かれない松山ケンイチの桂場と寅子の関係――再婚相手は星航一?

桂場と寅子、史実はドラマと異なる関係?

 またこの頃は新憲法の施行が2カ月後に迫った時期でした。新憲法においては、裁判官などの司法官も、戦前日本のように男性に限定することは違憲とされていたのです。

 ところが新憲法の施行直前なのに、どうしても裁判官になりたい嘉子さんが先走って「採用願」を出してきたので石田さんは対応に困り、結局、石田さんから相談を受けた坂野千里さんという東京控訴院長の男性が嘉子さんの対応をすることになりました。

 この時、坂野さんから「日本において、女性が裁判官になるのは時期尚早だ」という要旨の回答が嘉子さんにあり、ハッキリいうと断られてしまった一方で、「司法省の民事部で、裁判所の仕事がどんなものかを勉強しつつ、勤務をしたらどうか」という提案もされ、それに乗った嘉子さんは裁判所でのキャリアを詰むことになるのです。

 しかしドラマとは異なり、石田和外さんは、三淵さんの人生とそれ以外では関係していないようですね。

桂場のモデルは5代目・最高裁判所長官のエリート

 史実の石田和外さん(1903―79)は、戦前はドラマ同様に刑事裁判官を務め、戦後には5代目・最高裁判所長官にまで上り詰めたエリートです。石田さんは「はっきりした右翼や共産主義者(=つまり、極端な思想の持ち主)は裁判官として好ましくない」という発言をしたことが有名な一方、世間一般からは「タカ派」つまり「右翼」の裁判官の代表格として知られました。

 また、歴史家の間でも彼の評価は大きく異なっており、この点も興味深く感じられました。

 石田さんの仕事ぶりとその評価について知るためには、自衛隊関係のお話を紹介するのが早いでしょう。戦後制定された新憲法において、要約すれば「日本は戦争をしない、軍隊も放棄する」と宣言していたにもかかわらず、わが国には自衛隊という組織が存在しています。

 それは昭和29年(1954年)6月9日に「自衛隊法」と「防衛庁設置法」、いわゆる「防衛二法」が公布されたからなのですが、自衛隊を違憲だと考えるであろう、リベラル主義の若手裁判官たちによる「青年法律家協会裁判官部会」の動きを、ベテラン裁判官の石田さんが「制した」という側面があったそうです。まぁ悪く言えば「弾圧」ですね。

 こうしたことから、1982年度版の『法律時報』にも「石田和外という人は非常に右翼的な思想の持ち主で、国家全体の中で司法を位置づけて、どういう司法であるべきかを考えていた」という一文が出てきます。

 「国家全体の中で司法を位置づけて」という表現は、石田さんに「国家の利益を第一に考え、司法的判断を行う傾向があった」と解釈しうる文章です。

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